自分のルーツを探したり、自分の祖先に思いを馳せたり。何か雲をつかむようなところがある話だが、生き甲斐の心理学を学ぶようになって、大事だと思うようになった。これはアイデンティティの問題の一つなのだ。
今年も今治市の大島まで4-5代前の祖先を訪ねて旅をしたり、生き甲斐の心理学の論文を書いたのだが、これも縄文時代の祖先についての思索だ。
来年も、縄文時代、7-8世紀の世界、近代など楽しく遊ぶ予定である。
さて、そうした自分探しの旅の中で気が付いてきたのだが、グローバルとローカルという問題だ。多摩とか、瀬戸内海とか、琵琶湖などローカルのことを考えていくとグローバルな課題にぶつかる。これは実に不思議で現代だけの問題ではない。天平時代だけでなく、弥生時代、縄文時代、そして旧石器時代も同じようだ。縄文時代の中期の図像が実にヨーロッパや中国などの図像に近似していたりする。
なぜ、ローカルとグローバルがつながっているか。従来の教科書的な発想からか、日本に遣唐使を通じて中国文化が・・・とか、宣教師がやってきて・・・とか、日本神話にもなぜかシルクロードの影響からかギリシャ神話の影響が・・・などという物言いをする人が実に多い。しかし、これは余りにローカル的な発想だ。
現世人類は5-6万年前にはすべてアフリカにいたことが遺伝子研究の成果もあり定説化されてきた(人類一元発生説)。つまり、もともとはアフリカがグローバルでありローカルであった。氷河期の最悪の環境では人類は同じアフリカの一地域にかたまっていたに過ぎなかったかもしれない。それをグローバルとかローカルと区別することはできない。
文化のグローバルとローカルを考える上で、時間軸的に遡る視点と空間的に伝搬・影響する視点の両方が重要だと思う。
例えば冬至の祭り。これは実に、このローカルとグローバルの関係を象徴的に示している。新石器時代は冬至の祭りはたぶん一般的で同じようなことをどこでもやっていたのだろう。それが、メソポタミアから西側ではキリスト教ではクリスマスにつながり、東側は東洋の宗教や文化に影響を与える。日本の宮廷儀式の新嘗祭にも影響を与えているという説もあったりする。
自分の起源を訪ねる。一見、とても特殊な旅のようだが、意外にも普遍的な世界への扉とつながっている。
新しい年の迎え方! 7/10