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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大森貝塚の時代と現代・・厳しい時代に希望を見つける (3/10 五感と喜怒哀楽)

2021-05-02 | 第二章「五感と体感」

写真は6年前に初めて大森貝塚の遺跡公園に行った時の写真である。JRの車両が通過しているところであるが、3500年くらい前は海岸線はどこだったかな・・などと考えたものだ。あれから何回か大森貝塚遺跡公園や品川歴史館に訪れたが、私が生後すぐから羽田飛行場の近くに一年近く住んでいた影響もあるのだろうか(記憶は無いが)、大森周辺で湧き上がる感情は何ともいえない温かさがある。

私は昨年後半から今年の初めに、「生き甲斐の心理学」の勉強で頭は7-8世紀でいっぱいだったが、やっとこのところ縄文に戻り、縄文時代の信州・甲州の中央高地と南西関東を中心とした文化圏(富士眉月弧文化圏と呼ばれることもある)を追っていた。そして、その南端に近い大森貝塚のことを数日考え続けている。本来であれば現地に行きたいところだがコロナ禍で、カシミール3Dというソフトで地図情報を楽しんだり、出土品の写真をじっくり見て楽しんだりすることで、かえって新しい気づきを得たようでもある。コロナ禍で幸いということもあるようだ。

大森貝塚が南に位置する文化圏は、主として縄文中期に最盛期を迎えたが、いろいろな事情で4000年前ごろから(縄文後期)中央高地や私の住む多摩丘陵などでは住居跡が希薄になっていく。その中にあって海沿いの貝塚エリアは減少している風はない。大森貝塚出土の土器などの遺物の図録を見ていると何か元気になる。中部高地・南西関東の文化圏の後裔は大丈夫だと主張しているようなのである。確かに出土品は地味ではあるが、長い歴史を背負っている深い美が見え隠れしているように思う。発見者のモース博士に感謝である。しかし、いろいろ調べていくと大森貝塚が頑張った3500年前頃はかなり厳しい時代のようで、今のコロナ禍のような何らかの大きな災害があったのではと秘かに考えている。

富士山の噴火説も無視できないが、世界的な天候不順もあったかもしれない。大森貝塚の近くの海も汽水域などが激変しとれる貝の種類が大きく変わった。そして、そんな変化の中で弥生時代への動きが胎動し始めるのかもしれない。南西関東の北側に位置する下宅部遺跡の遺物が最近たくさん重要文化財に指定され、企画展に今年見学に行ったが美しい漆の工芸技術には驚いた。大森貝塚でも少し漆関係が出土しているが、当時の漆文化の高さを示しているようだ。厳しい時代に咲く美といえようか。

私は考古学や日本の歴史、日本の詩歌などは好きであるが素人であり、U先生の「生き甲斐の心理学」を楽しみつつ縄文小説に向き合っている。その中で、一番の関心事は普遍的な愛と自分中心の自己愛に関わることである。と言っても宗教や哲学の領域そのものではなく、例えば普遍的な愛といったとき、年末年始に神社仏閣教会に行ったりする心の動き。あるいは一生を伝統宗教にささげる宗教家のこころ。もちろん自分のこころや感情の流れに関心を抱いている。自己愛の問題は現代の大きな問題である。ギリシャ神話に登場するナルキソスは水仙になってしまい可哀そうだなと思うが、ナルシスに近寄った美しいニンフは木霊になるという悲劇を生む。社会の要となる人がナルキソスであれば、どれだけ多くの悲劇が起こるのだろうか。

自己愛の問題は愛の孤独からくるという。愛の孤独の問題はその人の生育史から説明されるようだ。日本の原型ができた7-8世紀のころの日本列島もこの問題で多くの悲劇があったと思う。しかし結果良ければすべてよしということもあり、政治というのは不思議な世界だとも思う。

縄文時代はどうかと言えば。脳科学の知見から4万年くらい前までの祖先の脳の発達度は現代と同等という説が定説になりつつあり、おそらく大きく環境は異なっているものの、普遍的な愛と自己愛の問題は縄文時代にもあったと類推できる(ギリシャ神話にもあるくらいだ)。縄文時代には戦争はなかったし自然破壊もほとんどなく平和な時代だったという説が一般的だが、記紀などを読んだり、関係の深い環太平洋地域の文化を考えると、人柱や人身御供など今では想像もできないこともあったのだろう。しかし、こうしたことを原始的とか不可解なものとして過剰に恐れたりするのもどうだろうか。私たちの時代には原爆やアウシュビッツなどの悲劇もあり、日本に限っても唖然とすることがあるではないか。もちろん、人のこころの動きで右往左往することなく、自分の心のうちを振り返っても同じようなことを感じる。一方、蓮の花のように輝く部分もある。火炎土器や水煙紋土器、国宝第一号の縄文のビーナスなどを鑑賞すると、祈りの世界というか高い精神性に裏付けられた美を感じる。もちろん現代にも自分の中にもそうした真善美が存在するのも確かなようだ。絶望することはない。

今は3.11やコロナ禍という深刻な時代の変曲点なのだと思う。こうした時代は自己愛の悲劇や普遍的な愛の世界が平時以上に見え隠れする。大森貝塚の3500年前を中心とした時代も同じような変曲点(生きにくい時代)であったように思う。そして、この縄文後期にも仮面のビーナスや大森貝塚の美しい土器が登場してくる。影があれば光もあるのだろう。

さて、生れ落ちて一年もたたないころから人格形成は始まる(人格形成は大人になってからも当然あるが三つ子の魂百までもとあるように幼少期・子供時代は結構大切だ)。両親も周りの人々も今の私のように、意識するしないに関わらず、普遍的な愛からの行動もあれば自己愛からの行動もある。そんな中で人格は形成され、そうした人たちから成り立つ社会も形成されていく。私の1歳ごろまでの記憶のない羽田周辺、大田区での生活も1951年という戦後6年目の環境の中で人格を形成するいろいろな営みがあったのだろう。

ある出来事により五感からの感情による記憶の断片は、人格を形成するうえで大切なピースとなるようだ。羽田飛行場の記憶は思い出せないが2歳前後からの記憶は増えていく。母の背中におんぶされ背のぬくもりを感じたたり、祖父母にはやされ踊ったり、神社に行って門の仁王様に驚いたり。記憶の断片を組み合わせ、生きるための羅針盤を完成して人は生きていくのだが、ある時にあるピースの解釈が変わることで世界が変わる。自己愛の世界から普遍的な愛の世界といった羅針盤の変化もあれば、その反対もあったり。少し大人になったり・・いろいろである。

大森貝塚の3500年前ごろ。何があったのだろう。クレタ文明が崩壊したころ。中国の夏も崩壊したころ。日本の海も汽水域などが大幅に変わりたぶん生活も大きく変わったころ。祖先は何を悩み自己の中に何を見つけたのだろうか。そして、私と同じように幼いころの普遍的な愛の思い出を抱いて、奮闘努力し後世に命のバトンタッチをしていったのではないだろうか。

 

3/10 五感と喜怒哀楽

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