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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

美味しいものと幸福感 (湧き上がる感情 9/10)

2019-12-17 | 第二章「五感と体感」

 幸福感を感じたことを幾つか述べてください?と急に訊かれても戸惑ってしまうが、今まで、これは美味しいと感じた事を述べて下さい?と聞かれると、いろいろ出てくるものである。そして、美味しいと感じた時にはなんともいわれぬ幸福感があったのかな・・と考えたり。

 美味しいと思った時の私の記憶で鮮烈なのは、1950年代のおわりのころ、まだ日本も貧しかった時期にアラスカに父母と住んだ7歳の頃。その時に食べたアイスクリームやソーセージの味は衝撃的であった。今では普通に食べられるが、当時は脱脂粉乳のアイスクリーム、魚肉ソーセージが普通の日本から来たときは衝撃であった。考えてみれば、1960年代頃までは日本でもトンカツやバナナはなかなか食べられなかった記憶がある。

 それから、思春期や青年期になっていくと、複雑な味も身体も発達して理解するようになってくる。写真のドジョウ鍋の思い出は祖父に連れられて食べたことだ。その時の楽しいひとときは、ドジョウ鍋の独特の味や香りと共に、幸福感の思い出に繋がっていったようだ。だから、ドジョウ鍋を食べに行くことは、私にとってはドジョウだけではなく、当時の幸福感を味わう為かもしれない。

 さて、U先生から以前から薦められていた、映画「バベットの晩餐会」を昨晩見ることができた。味覚とは何か、五感とは何か、私たちにとって大切な実感とは何かを学ぶ上でも、良くできた映画であった。今では、忘年会や新年会などで会場探しには、インターネットでグルメ情報や評判を調べたりすることが一般化されているが、頭から得た記号化された情報は、特に味覚や臭覚、触覚といった人間がこの世における生き物の一つであることを証明するような感覚とは明らかに質が違うようだ。五感と体感は自分の生き死ににも直接関係する生命体としての情報原であり、疑似情報とはちょっと違う。

 食は本来、私たちが生きる為に他の命を頂くことである。昔は近所のお肉屋さんに行ったり、魚屋さんや豆腐屋さんに行っても、結構生々しさ(生き物を食材にしているという)があったが、今は切り身にされたりパックにされて、無臭で生き物感が消えた状態で売っていることが多い。といって、私たちが生命を頂き自分の生命を生かしているという現実は自己欺瞞的に見えにくくなっているが、決して変わってない。ペットの死は哀しく、今も時々思い出したりするが、毎日の食事で亡くなっていく沢山の命について想いを馳せることは殆どない。でも、卵ひとつでも可愛いヒヨコ一匹の命なのだ。

 しかし、長い歴史を考えると、そんなことはごく最近のことであり、例えば日本の歴史でも大部分を占める縄文時代や旧石器時代でも、私たちの祖先はたき火や囲炉裏を囲んで、食材に対するリアルな罪悪感などを五感を通して感受しながらも、大いなる何かを信じ心を昇華し、リアルな幸福感と連帯感を感じていったのだろう。

湧き上がる感情 9/10

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