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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

スパイラル・アップ (私のストレスとは? 6/10)

2017-04-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 4月は、毎年忙しい時期であるが、今年はさらにお目出たいことが二回あり、ちょっと大変なことが一件、さらに仕事も大変で、何か怒涛のような一ヶ月である。しかし、そういった中でも昨日はA先生の太極拳・気功のレッスンがあり、その後は楽しいランチタイムがあった。

 このところ、八王子のレストランをレッスン仲間と開拓しているが、不思議にもおいしい店に出会う。昨日は労政会館のそばの南米ペルー料理。ちょうど、巨石文化に興味をもっていたこともありお料理もおいしかったが、マスターのお話しに興味深々。心と身体に元気をいただいたようだ。しかし、南米の現地語(スペイン語やポルトガル語以前)が二通りでケチュア語とガラニ語であり日本語にも似ているとのことに驚いた。縄文時代の交流はどうだったのだろう。妄想の世界が羽ばたく。

 さて、大変な中で何とかやりくりし、ストレス曲線を乗り切り幸福曲線にたどりつくと、またもや次のストレス曲線がくるようである。この流れは円環のようだが、私にとっては円環というより螺旋状に上がっていくイメージがある。実際は私は自分の死に向かっているだけなのだろうが、天に向かって少しかもしれないが登っているイメージがあるのだ。

 このことは、私の信仰故の精神力動と深く関係しているのだろう。

 私は母がクリスチャンで幼児洗礼を受けたが、自我が発達し(生意気になり)高校生のころ決定的に神が信じられなくなった(逆回心なのだろうか)。まあ、それは小学校のころの事件が遠因だったと今では分析していて、神を信じようと思っても信じられない経験は、深い悩み(ストレス)でもあったと思う。これは、昨日の関係性の問題であり(他者が神仏のケース)、求めているのに求めきれない。一言でいうと、昨日の映画だと主人公がピアノの鍵盤押せばいいのに押せない。そんな状態だったようだ。一歩踏み出せばいいのに踏み出せない。

 それが、不思議なことに50歳近くになって、背中を押される不思議な経験をし、一瞬にして私の深い悩みは去っていた。そして、天の方向を見えて来ると、それに伴い螺旋状に上昇する感覚をもつようになった。

私のストレスとは? 6/10

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