啄木の短歌を始めて見たのは、父の本棚の中にあった岩波文庫であった。小学生の高学年の頃であろうか。
そして啄木に関心を持ったのは、21歳の工学部の学生のときであった。創造工学に興味をもち、当時小学館が発行していた雑誌「創造の世界」を愛読していたが、啄木について、湯川秀樹先生と市川亀久弥先生が対談で語った記事であった。
その記事の中で、石田六郎著「啄木短歌の精神分析」が引用され、有名な「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」ができるまでの創造のプロセスのことが書かれていた。「東海の・・・」完成の直前に日記に書かれたいた短歌がなんと「我が母の腹に入るとき我嘗て争いし子を今日ぞ見出ぬ」であるそうだ。この似ても似つかぬ短歌が、ある意味で深層心理で繋がっているとのことだ。そして、この短歌が等価変換されて、「東海の・・・」になったということであった。
創造工学は、創造のプロセスを工学的に研究応用する学問だと思うが、この等価変換(ちょうど、青虫が蛹を経て蝶に変身する例えが良く用いられる)と同じように、こころの世界では「体験の解釈が世界を変える」と表現している。
想えば、自分の人生の中でも、この「体験の解釈が世界を変える」とか、等価変換は生育史の中でも沢山あった。同じ一人の人間が、考え方一つで青虫から蝶に変身(こころの状態であるが)できるのである。
写真は町田ダリア園の花である。台風20号で打撃を受けたにも関わらず、美しく咲いている花もあり、嬉しかった。
(一握の砂 5/16) *「天才の世界」知的生き方文庫 湯川秀樹著を参考にしました。
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