イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

クリスチャン・ネーム

2007-09-01 | 第八章「魂と聖霊」

私は日本では珍しいキリスト教・カトリック信徒であるが、生まれて4ヶ月の時に幼児洗礼を受けた。そして母の信頼するシスターからクリスチャン・ネームの提案があり、「イグナチオ・マリア」というクリスチャン・ネームに決まった。

通常男性には男性の聖人の、女性には女性の聖人の名前がクリスチャン・ネームになることが多いが。私の場合は、イグナチオという男性聖人と女性のマリア様の二つがついている。

私のクリスチャン・ネームは成人になるまで、「イグナチオ」であると思っていた。母が女性の「マリア」を私に言わなかったのである。後日住まいの関係から教会の籍を移したときに発見した。

日本の習慣を考えれば、男性は男性の名前を選ぶだろう。そうでないのはちょっと感覚的に変であり、息子にうまく説明できなかったこともあるようだ。

この世の次元と魂や純霊の次元は異なり、性など関係ないのであろうが、日本人の感覚ではちょっとと思う。

ただ、今となっては、「マリア」に愛着を覚えている。所詮洗礼は恵みそのものであり、クリスチャン・ネームも恵みであると考えると平安になる。「マリア」様も大好きだし・・

そして、自分のクリスチャン・ネームの中に男性性と女性性がが入っていることで妙な安定感を感じる。

ただ、自分の生き方やアイデンティティを考えると、最近は男性性や父性の重要さをもっと見詰めるべきだとも思う。「イグナチオ」は武人であったこともある。

クリスチャン・ネームを思いながらいろいろと考えを廻らしてしまう。

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