人生というものは、不思議なものだ、ということが七十歳も過ぎた老人になってくると判る。
若い時には、人に言われても、本に書かれていても、実感というものはない。
なにが、不思議かというと失ったものが大きいと、得るものも大きい。
その反対に、得たものが大きいと、必ず失うものがある。なぜだろうか?と色々考えても判らない。
これは、自分の一生のあいだでもそうだが、親の代→子供の代→孫の代と、3代を、一本の棒に見たてて眺めた場合でも、同じである。
昔の中国人は、七代前からのご先祖様に感謝し、七代先の子孫の無事を願った。
日本人は、せいぜい三代前の、じい様。三代あとの孫のことしか念頭にない。
両親の両親の、その両親と数を考えたら、10代前のご先祖様は、いったい幾人か?
若い時には、人に言われても、本に書かれていても、実感というものはない。
なにが、不思議かというと失ったものが大きいと、得るものも大きい。
その反対に、得たものが大きいと、必ず失うものがある。なぜだろうか?と色々考えても判らない。
これは、自分の一生のあいだでもそうだが、親の代→子供の代→孫の代と、3代を、一本の棒に見たてて眺めた場合でも、同じである。
昔の中国人は、七代前からのご先祖様に感謝し、七代先の子孫の無事を願った。
日本人は、せいぜい三代前の、じい様。三代あとの孫のことしか念頭にない。
両親の両親の、その両親と数を考えたら、10代前のご先祖様は、いったい幾人か?