相場奥の細道 ~ 為替比較サイトもお勧めの本「先物罫線」「相場の張り方」の筆者、鏑木繁先生の連載コラム~

著者なりの相場観を綴ったもので、実際の投資および取引に関する最終決定は、お客様ご自身の判断で行われるようお願い致します。

空腹は幸福感

2006-04-28 | Weblog
 食べるのが、なにより楽しみだというのが普通である。

 筆者は、たべることに、ほとんど執着しない。

 食べるのが、めんどうくさい。これでは、もう人間も、おしまいだ。

 たべないでいると、空腹になる。空腹は気持ちがよい。

 なにか、たべたいと思う気になったら、幸福である。

 朝は、オートミール(西洋のお粥)。ひるは、ざるそば、晩は、ひじきの煮たもの。

 家内が病気だから、食事は全部自分でつくる。時には、3日ぐらい、おコメを口にしないこともある。

 コンビニで、おにぎりぐらい買えばよいのに、それが、めんどうくさい。

 「たいくつ」を楽しみ、「空腹」を楽しむ。

 勿論、テレビなど、ほとんど観ない。

 なんのために生きているのか?と思われる。仕方ないから生きているだけである。

スーパーの買い物

2006-04-26 | Weblog
 休みの日は、スーパーに買いものに行く。

 興味があるのは、レジのところで、人それぞれ、なにを買っているのか見る事だ。

 それぞれ、大量の品物をカゴに入れて勘定してもらう。

 肉ばかり多い人や、野菜の多い人。筆者は、肉は買ったことはない。せいぜいベーコンぐらいだ。

 それでも重たい荷物を下げて帰る時に、これらは全部、糞(フン)の原料になるのか、人間は、つまるところ「製糞器」じゃないかと思う。生きていくうえの必要なものではあるが。

 それでは、なんのために生きていくのか。仕方がないから生きているみたいなものだ。

 死ぬのも仕方ない。生きていくのも仕方ない。

 この世は、成るように成っていくだけ。困るのも仕方がない。病むのも仕方ない。お金が無いのも仕方がない。

人相の話

2006-04-24 | Weblog
 通勤の電車の中で、前に座っている人の、人相を見る。

 概して、たいがい、人相はよろしくない。生活の苦や、心配ごと、職場のこと。

 考えて毎日、あくせく暮しているから、人相に出る。

 しかし、誰もが、一生懸命に、まじめに生きている。

 その点、高校生や、若い人たちの人相は、悪くない。

 生活や、職場の苦労がないからである。

 人相が悪くなると、運勢も落ちていく。

 家の中に、鏡(カガミ)を出来るだけ置けという。

 自分の顔の相(そう)を朝・晩眺める。常に、晴々した顔でいることは難かしい。

 嫌なことや、苦しいことの多い毎日である。これは、誰でも同じだ。

 だから音楽などかける。筆者は、家にいる時は、モーツァルトのCDをかけっぱなしで、テレビなど、めったに見ない。テレビはよくない。

なにを食べているのか

2006-04-21 | Weblog
 アメリカの航空母艦には、6000人ほど乗員がいる。

 この6000人が朝・昼・夕食・夜食と、毎日、たべていくのは、つくるほうも大変だと思う。

 前々から、この事が気になっていた。

 毎日、三度、三度、なにをたべているのだろう。

 光人社から「アメリカ海軍士官の航海日記」空母ミッドウェイ(1700円)が出た。

 朝食5時~7時/昼食11時~13時/夕食17時~19時/夜食23時~1時。

 カフェテリア方式は料理を皿に盛ってもらう。もう一ツはファースト・フードラインの二ツの流れがある。

 スパゲッティ、ステーキ、魚料理などの日替りメニューと、サンドイッチ、ホット・ドック、ハンバーガー、フレンチフライの流れ。

 アメリカの朝食料理と別段変わるところがないようで、人間、食べるのが楽しみの船の上だけに、気を使っている。

モーツァルト31番パリ

2006-04-19 | Weblog
 ヒロセ通商の、細合俊一社長が、6月4日、大阪府八尾の八尾プリズム・ホールで、八尾フィルハーモニーの指揮をすると聞いて、びっくりした。

 会場には1500人入る。

 毎朝、通勤電車で、八尾の西武百貨店の前を通る。会場は、その隣のビル会館だ。

 なんでもモーツァルトの交響曲、第31番ニ長調パリの指揮だから聞きたい。

 細合さんに、そのような特技があるなどと、思わなかった。

 31番のパリは大好きな曲だ。

 第一楽章アレグロ・アッサイ、ニ長調四分の四拍子。

 第二楽章アンダンテ、ト長調、八分の六拍子。ソナタ形式。

 第三楽章アレグロ、ニ長調二分の二拍子ソナタ形式。

 ほとんど毎日聞いている。

 38番の(プラハ)も好きな曲だ。

 当日はシューマンの「春」も、八尾フィルハーモニーが演奏するそうだ。

 細合さんは、演奏もされるそうで、人は見かけによらない。

駄目なものは駄目

2006-04-17 | Weblog
 目に見えない社会の仕組みというものは、百年前も、今も不変である。

 人間は、千年前も、今も変わったようで、変わっていない。人間は欲張りである。

 人間は、男も、女も助兵衛である。

 人間は、人より偉く見せようとする。

 今の世の中、目まぐるしく変化していると思うが、人間は、ちっとも変わっていない。

 そこのところが判れば、企業の経営も、商売の仕方も、自ら成功するコツが判ってくるのである。

 なにをやっても駄目な人間は、どんなに叱っても、どんなに教えても駄目である。

 どこが、肝心なところの釘が1本抜けているからだ。

 高野山に行って瀧に打たれる修行をしても駄目なものは駄目である。

 まったくの無欲になりきれば、開眼するのだが。
無欲どころか、ドン欲から抜けだせない。

タクシー稼業も人生学

2006-04-14 | Weblog
 タクシーの運転手さんと話をしていて、この人は稼ぎが良いと思う人に、仲間の中でも、あなたは成績が、いつも上位にあるでしょうと言う。

 あかん、駄目な人には、モノを言わない。

 『なんで判ります?』と問われる。

 悪い時(売り上げ)は、悪いなりに、クサらず、コツコツ地道に走るでしょう。

 『そうなんです』
 悪いなりにコツコツ流していますと、必ず、いいお客さんにあたります。
 これは不思議です。世の中は、まわり合せ、うまくできています。
 成績(売り上げ)が、もの凄く良いあとには必ず反動がありますから、そのことを考えて、無駄使いはしません。

 あなたは、かなりのベテランで、事故も、ほとんどないでしょう。

『おかげ様で、いつも感謝しているのです』と。

ほめ殺しの妙手

2006-04-12 | Weblog
 人の悪口を言い続けたら、自分の運勢は必ず落ちる。

 人を攻めて、お金を取ったら恐喝の罪に問われる。

 人を褒めて、お金を取る分には罪にならない。

 だから褒め殺しという手があるわけだ。

 平安時代の宮中は、気にいらない者を抹殺するのに、宮中での階級を、どんどん上げて、本人が自ら転ぶのを待つ。

 それだけの値打ちも、内容もない者を、上位に祭り上げると、うぬぼれや、下の者からの攻めで、自滅してしまう。それを待つのだ。

 手のこんだ、一種の、ほめ殺しである。

 自民党の小泉総理が、ウルさ型の田中真紀子を外務大臣にして、政治生命を殺したように、現代でも、政党や、企業には、この手があるから怖い。

 組織の中で、嫌な奴というのはいるが、悪口を言わず、ほめることである。

会議で発言するな

2006-04-10 | Weblog
 会議の多い会社は、潰れる前兆である。

 日本の会社の会議は、言うべき事を発言したら、村八分にされてしまう。

 会議には、その場の空気。ムードを無視しては、組織での自殺行為になる。

 だから言うべき事をいわないで、会議のあと、気心の知れた者が、一杯呑み屋で、ウップンを発散する。

 二次会とか、三次会と飲み店を次々に移るのは、気心のしれた者を、より選別していくわけだ。

 欧米人は、会議で、言うべき事は、はっきり言う。

 日本は、民主国家だというが、根回し国家である。

 国会での根回しが、国会対策委員長で、反対党にお金をばらまく。
なんでも反対の社会党は自民党の金丸・国会対策委員長から、どれだけお金を、ふんだくってきたか判らない。だから社会党は潰れてしまった。

言っては、ならない

2006-04-07 | Weblog
 大きな声で、言ってはならないことが、今の日本にはまだ多く残っている。

 自衛隊は、立派な超装備の強力な軍隊である。

 国民も、政治家のすべてが判っている問題である。

 靖国神社に、なぜ小泉総理が参拝してはいけないのか。

 中国や、韓国が、内政に、つべこべ言うな。

 日本人の中にも、総理の靖国神社参拝に文句を言う人がいる。こんな奴は、日本人でない、となぜ言えぬ。

 皇太子に男の子が生まれなければ側室を持つべきだ。

 嫁として三年、子なきは去れで、離婚すべきだという人はいないのか。

 女帝論争なんて、噴飯(ふんぱん)ものである。

 どこかの宗教法人に対しても、日本の新聞は敬して遠ざけている。
不買同盟を結ばれては、たまらないから、さわらない。
週刊誌も書けない問題は、まだ多い。

真理は変わらない

2006-04-05 | Weblog
よく若い人から、生きていくうえで、なにを勉強すればよいか?と問われる。

 自分のためになるのは「老子」でなかろうか。

 老子は、若い頃20代~30代に読んだ時と、50代~60代になって読んだ時と、いま(76)とでは、こんなに違うものかとあらためて思う。

 「易経」も30過ぎから40年間、勉強している。これは難しかったが、いまになると、大変、役に立っている。

 若い人に、易経といっても歯が立たないだろうから10年~20年勉強するつもりでないと駄目である。

 良寛もよし。道元もよし。西行も、鴨長明も、蕪村もよしである。

 時代が、どんなに変わっても真理不変。

 毎日を、がむしゃらに生きているだけでは、人間としての成長がないし、見えるものが見えない。なんでもよいから専心する事が自分のためになる。

お墓の怖さ

2006-04-03 | Weblog
高槻市の山の中の古いお寺に「伊勢寺」がある。そこに先祖のお墓がある。

 昔は竹ヤブの中を、かなり歩いていった。
  江戸時代の無縁の石だけのお墓が沢山あった。
  宝暦とか、安永、弘化の時代が刻まれている。

 商人や一般の人のお墓は下のほうで、侍の家のお墓は上のほうだった。まわりのお墓といっても石だけのものに、線香を一本一本たてて、お水を石にかけて手を合わした。

 その帰り、車で、上町のあたりで、いつも通っているのにグルグル同じ場所を回って迷ってしまった。

 妙な事があると思っていた。

 霊にくわしい人に聞いてみたら、無縁のお墓は、絶対に触れてはいけないと言う。

 ワッと、死者の霊が、とりつく。供養するなら徹底的にお寺さんにお経もあげてもらい、お供えもする事だといわれた。中途半端は、身の危険におよぶといわれた。