相場奥の細道 ~ 為替比較サイトもお勧めの本「先物罫線」「相場の張り方」の筆者、鏑木繁先生の連載コラム~

著者なりの相場観を綴ったもので、実際の投資および取引に関する最終決定は、お客様ご自身の判断で行われるようお願い致します。

長崎の鐘が鳴る

2006-07-31 | Weblog
 8月という月は、なぜか、なんとなく悲しい月である。

 前の戦争を知っていて、敗戦の日から、次の年(昭和21年)の3月まで、台湾にいて、日本内地の様子とは、まったく違った時間を過ごし引き揚げたことにもよかろか。

 それもあるが、広島の平和記念日(6日)、長崎の原爆の日(9日)。当時の、むごさ、悲惨な様子を思い浮かべる。

 長崎医大の永井隆博士が、被爆して死を待つ床で著した「長崎の鐘」が歌になった。

 サトウハチロウの作詞。

 こよなく晴れた青空に

 悲しと思うせつなさよ

 うねりの波の、人の世に

 はかなく生きる野の花よ

 なぐさめ、はげまし長崎のああ長崎の鐘が鳴る。

 ラジオで(まだテレビのない時代)どれだけ藤山一郎のこの歌を聞いただろうか。

 8月が来ると、この歌が聞こえてくる。あれからもう、何年になるだろう。

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蜩(ひぐらし)を聞きたい

2006-07-28 | Weblog
 9月を新涼というが、残暑である。暑さも彼岸まで。お彼岸が来ると少しは、楽になる。9月の終り頃には、法師蝉を聞く。おーしいツクツク、おーしーツクツク。

 ツクツク法師。あれは子供の頃、夏休みの宿題をためていて、片づけるのに追われている時に聞いて、それが、いまでも、なんとなく、せわしない気になる。

 せみは、蜩がよい。夕方、ひぐらし蝉を聞く。

 一声のよく続くなり法師蝉・高浜年尾/蜩(ひぐらし)の最後の声の遠ざかる・稲畑汀女。8月に入ると関西ではお盆で、8月の16日の京都五山の送り日。

 京都のお茶屋さんに、よく呼ばれて行った。近すぎて妙法の火の字とならず・忠彦。

 大きなキャデラックの車に乗せてもらって、帰りは渋滞で困った。やはり、京都に一泊すればよかった。という思いは残る。いい思いは消えている。

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おどま盆ぎり盆ぎり

2006-07-26 | Weblog
 100回目になるそうで、小さな花火でも上げてみようかと思うだけである。

 日本最大の花火大会は、8月の1日、羽曳野のPLで、わが家からは山があるので見えないが音だけは聞こえてくる。

 一度、見に行きたいと思うが、人出の多いところは苦手で、とても行けない。

 花火は、近くでも、遠くても、見ていて気持ちがよい。

 ああこれで、今年の夏も終るのかな。

 自分の住んでいる家の遠くで、盆踊りをやっていて、風が吹き込んで、吊っていた蚊帳(かや)が大きくふくらむ。

 いまはもう蚊帳は吊らないが、蚊取線香のにおいと、遠くの盆踊りのうたが風に乗って聞こえてきた。

 いまは夜、遅くまでやると住民から文句が出るらしい。

 おどま盆ぎり、盆ぎり、盆から先ゃ、おらんど。五ツ木の子守唄などやってくれたらいいのにと思う。

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天神様に約束

2006-07-24 | Weblog
今回で99回目になるそうで多分、7月の24日の大阪天満の天神祭の宵宮の日になるのではないかと思う。

 毎年、天神様の日は、暑いです。暑いから、このお祭りは盛り上がるのでしょう。

 考えてみますと、寒い寒い時には、お祭はありません。

 昔、私が若い頃、天神祭の前頃になると、張っていた相場が、うまいこといきませんので、お祭の済んだ26日に10円のお賽銭をあげて、これから毎年、お賽銭を倍、倍にしますと、お願いした。

 なんとなく、その後、うまくいっていた。

 しかし、10円。20円。40円。80円。160円。320円。640円の7回目のあと、これは、えらいことを天神様にお約束してしまったと判った。

 8回目の時、1000円を入れて、これで終りにして下さいと勝手なお願いをしてしまった。

 相場のほうは、別条なかったが今でも気にかかっている。

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そんな事、簡単

2006-07-21 | Weblog
 自分が変わらないと相手は変わらない、と、よく言っているのだが、『自分を変えるのは、どうやって変えるか』と聞かれる。

 嫌な相手だと思っても、嫌だと思わないようにする。

 子供が、言うことを聞かない。言う事を聞かそうと思わないで、子供の言い分をよく聞くことにする。

 勉強せい、勉強せいと、押しつけても、果たして自分は、この子の時分に、勉強したか。

 自分の主人、自分の奥さんに、もっと、変わってくれたらという思いは、言いだせば、山ほどあるだろう。

 今まで、言って直らないのは、自分が変わっていなかったからである。と自分で判れば、いいのだが。

 修行だと思って努力する。いえば自分のためである。

 今までとは違う手の平を返したように変わると、相手も必ず変化する。実験してみると、成る程と実感しよう。

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相場が上手になった

2006-07-19 | Weblog
商品取引員会社の経営者から電話がかかる。

 昨今の業界は、いかがか?と。お客様が減りましたね。

 なんでです?。株で、やられたのです。

 株のいい時には、商品にもお客さんは来た。

 それと、お客さんは上手になりましたね。日計りの、デイトレをやっている若い人が多くなりました。

 営業部員の意識改革が、大変だと、おっしゃる。

 昔のように、無茶は出来ない。すぐ役所から営業停止処分を受けるそうだ。

 講演会で、御来場者のお話(質問)を聞いていると、たしかに、相場に哲学を持つ人が多くなった。

 自分なりに世の中を眺めて予測されている。

 ゴールドやオイルなど、世界の動きを見ていないと判らないし、まして為替の円高・円安は政治、経済を、ある程度読まないと判らない。

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易は当るから怖い

2006-07-17 | Weblog
 お手紙ではない、なんというのか、おたよりを、よくいただくようになって、その御返辞は、どんなに忙しくても必ずヒロセ通商さんにFAXで送る。

 プログという日記風のサイトが日本で868万人の登録者だそうで、プログが、どんなものであるかまだ見ていない。

 息子が、投資日報社の東京で、なんだ、かんだとワープロで出しているようで、風林火山のプログを毎日書けという。

 200~300字ぐらいなら、簡単なことである。

 例えば今朝の電車の向い側の席は、男女男と並んで易でいうと「火」である。

 続いて女女女と並んでいたから「地」である。

 易では「地火明夷」ちか、めいいだから、あきらかなるものをやぶる。相場は安し。

 易を勉強しだして30年になる。易古は当る。当るから怖い。

 世の中には不思議なものがあるものだと感心する。



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第95回 続・ホテルの朝食

2006-07-14 | Weblog
ホテルの朝食で、昔は、礼儀正しいボーイさんが注文をとりにきてくれた。

 タマゴは、オムレツでも、目玉焼き(フライエッグ)でも、意義を正してナイフ、フォークを持つと、眼がさめる。

 いまは、バイキング方式というのか、自分で好きなものをお皿にとってくる。

 あれを見ていて、さすがはと思うような食事のマナーを身につけている人は、ほとんど見なくなった。

 お皿に、食べきれぬほど乗せてきて、食べちらかして沢山残している。

 自分の食べられる量は、わかっているはずなのに、お皿に取る時、見た眼で、ついつい盛ってしまうのだろう。

 昔の中国人は、ものを食べる姿、お酒の飲み方、そして寝る姿で、その人物の値打ちを計ったという。

 安もん人間か、尊敬すべき人間か、ものを食べる時の姿は、怖いものである。

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ホテルの朝食

2006-07-12 | Weblog
 7月の6日は、東京入谷の朝顔市であった。9日が、浅草の、ほおずき市であった。

 いかにも、お江戸の情緒を感じる。東京の友人(読者)から毎年、ほおずき市の、鉢植えの、風鈴のついたほおずきを宅急便で送っていただく。

 本当は、朝顔市の、鉢植えの朝顔が欲しいのだが、勝手は言えない。

 毎年、朝顔の苗を植木屋で買ってきて、庭に植える。

 8月になると、毎朝、気分よく咲いてくれる。

 朝の食卓といってもパンとコーヒーだが、朝顔の花を一輪だけ取ってきて、みがいたピカピカのコップに水を差し、花一輪を浮かす。

 パンとコーヒーだけにせずベーコンでタマゴの目玉焼きでもすれば、ホテルの朝食の気分になれるのだろうが。

 今のホテルの朝食は、自分で取りにいかなければならずオートミールは別料金だという。しかし、やはりおいしい。



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老記者茫茫の風林です

2006-07-10 | Weblog
 おたよりのメールをよくいただく。必ず、御返辞は書くが、この歳で、ワープロも携帯も駄目だから、書いた御返辞を、ファックスでヒロセ通商の細合様に送ってそれを、ワープロで送っていただいている。

 細合社長は、なんだったらコラムのあとに、御返辞を、お相手の名前を出さずに掲載しますよと、おっしゃる。

 ぜひお願いします。

 沢山の方から、おたよりをいただくのは、嬉しい事です。

            ◇

 過日、ある方から「アポトーシス」のつづりを問われた。

 御返辞は出したが、とどいているか心配なので、もう一度書いておきます。

 [apoptosis]。生物を構成する細胞が役目を終えたり、不安になると自ら死ぬ現象。

 もう一人の方からは、投資日報の風林ではないか?と。

 老記者茫茫の風林です。これからもよろしくお願いします。




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白いローラーカナリヤ

2006-07-07 | Weblog
 筆者が、東京ガソリンと、東京灯油の相場を売って、どんどん相場が高い。(今ではありません。)

 追い証、追い証の毎日で、暑い時だった。

 追い証というものは、一回入れたら、もって来い、もってこいと、際限なく続く。

 入れた追い証が可愛いくて悪い玉が切れない。(損切りできない。)

 もうアカンという時、ある商品会社のコミッション・セールスの人が、白い、ローラー・カナリヤを大きなカゴに入れて事務所に持参された。

 その時、瞬間、ガソリンも灯油も、天井打ったと思った。

 家ではレッドカナリヤと、黄色のローラーカナリヤを飼っていた。白のカナリヤは始めてである。

 そして、確かに、相場は崩れだした。

 いまも、白いローラーは、よく鳴いてくれる。タマシイを、とろけさすような声である。




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逃げてしまった蛙

2006-07-05 | Weblog
 蝉が好きだという事を書いたが、蛙(かわず)も好きで、田植えしたあとに鳴く蛙の声が聞きたくて、タンボの中に家があるという友人宅に泊めてもらったことがある。

 友人は、あんな、うるさい蛙の声のどこがよいのかという。

 黙って聞いていたら、不思議に、あれほどうるさく聴こえた声も静寂である。

 「夕蛙どの畦のどこ曲ろうか・桂郎」。

 悪党芭蕉という本を買ってみた。

 芥川龍之介は「芭蕉は三百年前の大山師だ」と決めつけている。

 古池や蛙飛び込むの句は、ヘドロ池だという説もある。

 それでは、俳句のイメージが台なしだ。

 田んぼから蛙を沢山とってきて庭の池にはなしたが、ゲロゲロとも言わず、みんな逃げてしまった。風流は、自然でないと駄目なのかもしれない。



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鳴くは裏山、蝉ばかり

2006-07-03 | Weblog
 7月に入ると蝉が、うるさくて、かなわんという人もいる。

 西東三鬼の俳句に「身に貯へん全山の蝉の声」。

 筆者は蝉の声が好きだ。

 「あすは山こえ、どこまで行こか、鳴くは裏山、蝉ばかり」

 五木の子守唄の歌詩の一部である。

 おどんが打死(うっちん)だゆて誰が泣いてくりゅきゃ、裏の松山蝉が鳴く。

 蝉じゃござせん妹でござる。妹泣くなよ、気にかかる。

 種田山頭火は「けふの日も事なかりけり蝉暑し」。

 この句を、書中葉書に一行だけ印刷するのも粋である。

 「山暮れて山の声を聴く」山頭火。日が暮れても山の蝉は鳴いている。

 筆者が東京六本木の元麻布の日本ではじめて出来た外人専用のマンションに出張のたびに宿泊した広大な庭の蝉は、外灯のあかりで夜中も鳴いて、タヌキまで出てきた。



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