相場奥の細道 ~ 為替比較サイトもお勧めの本「先物罫線」「相場の張り方」の筆者、鏑木繁先生の連載コラム~

著者なりの相場観を綴ったもので、実際の投資および取引に関する最終決定は、お客様ご自身の判断で行われるようお願い致します。

偶然の不思議

2006-03-31 | Weblog
この原稿は、3月31日付けになり、50回目になる、とヒロセ通商さんの細合社長さんが教えてくれた。

 区切りのよい日に、区切りのよい回数で、これは、意識していたものではない。
  たまたま、そのようになった偶然である。

 世の中には、このような事がよくある。偶然その電車に乗ったら大事故で、死んでしまった。
  偶然、その飛行機に、乗り遅れたため、命が助かった。

 偶然というものは、不思議である。
  好運をもたらしたり、不運に遭遇したりする。

  だから、目に見えない神様や仏様を信じる。
  毎日、朝晩、ありがたい、ありがたいと唱えていると、ありがたい事が起る。

 悪い事ばかり考えていると悪い事が起る。不思議だなあと思う。そんな事、あてになるかいと思う人は、それはそれでよい。

本当に必要なのか

2006-03-29 | Weblog
平々凡凡と、生活していることが、どんなに幸いなことかが、判るのは、病気した時や、なにか事件や、事故があった時である。

 退屈することは、ぜいたくの、きわみだと思う。
  退屈は、貴族の特権である。
  貧乏閑なしという。貧乏もいい。お金が欲しい。お金が欲しい。生活に、ゆとりが欲しい。百人が、百人、そう思って生きている。
  しかし、お金が必要ないから、お金が入らない。

 神様は、ちゃんと、おわかりである。

 いま、欲しい、欲しいと思っているお金は、本当に必要なのか。
  必要なものは手に入るのである。それは「天の理」にかなっている場合である。

 仕事が欲しい、人手が欲しい。それを念ずれば必ず入手できるが、本当に神様が必要と認めた場合は、すぐに手に入るから不思議だ。

自分の先祖様

2006-03-27 | Weblog
 人生というものは、不思議なものだ、ということが七十歳も過ぎた老人になってくると判る。
  若い時には、人に言われても、本に書かれていても、実感というものはない。

 なにが、不思議かというと失ったものが大きいと、得るものも大きい。
  その反対に、得たものが大きいと、必ず失うものがある。なぜだろうか?と色々考えても判らない。

 これは、自分の一生のあいだでもそうだが、親の代→子供の代→孫の代と、3代を、一本の棒に見たてて眺めた場合でも、同じである。
  昔の中国人は、七代前からのご先祖様に感謝し、七代先の子孫の無事を願った。
  日本人は、せいぜい三代前の、じい様。三代あとの孫のことしか念頭にない。

 両親の両親の、その両親と数を考えたら、10代前のご先祖様は、いったい幾人か?

なぜ不幸になるか

2006-03-24 | Weblog
  悪い事を考えると、悪いことが起るというのは、本当のことである。

 だから、いい事ばかり考えるようにする。

 人の悪口など、悪い事を聞くと、耳がよごれる。

 悪いものを見る、たとえば交通事故の横を通る時、脇見運転で渋滞するが、事故の車は、絶対、見てはいけない。

 眼がよごれるのである。

 人の悪口や、不平、不満をよく言う人がいる。

 はたから、その人の運勢を見ていたら、決して、いい運勢でない事が判る。

 人の悪口や、サラリーマンが上役や、会社の悪口、不平不満を、一杯飲み屋のカウンターでやっているが、これも自分の運勢を自分で落す。

 その事が、実感として判る頃には、かなりの年齢に達しているが、老人になっても、判っていない人もいる。

 身のまわりは不幸が多く自分の体も悪くなる。

書いても書いても

2006-03-22 | Weblog
この原稿を、せっせと書いて送る。送っても、送ってもすぐ追いかけられて、また書いて送る。原稿を書くということは、50年間、なんだ、かんだと書いて来たが、モノを読まないと書けない。

人様と、話をしなければ書けない。モノを見て、感じなければ書けない。

書いても、読んでくれる人がいないと書けない。

書く側は、いま人様は、なにを求めておられるのかを知らなくては書けない。

日刊の新聞や、週刊の原稿や、月刊の原稿と、いろいろ定期刊行物の原稿があるが、一番楽なのは日刊である。

月刊になると、雑誌が出る時までの時間を考えなければならない。

日刊なら、いま書いて、あした出る。

ヒロセさんのこの原稿も、今回はFAXで送ってみた。

モノ書きは、読まれているうちが花なのだ。

なんでも、おいしい

2006-03-20 | Weblog
おひるは、いつもざる蕎麦ばかりだった。蕎麦は好きであるが、関西では、お江戸のようなわけにいかない。冬の寒い時でも、蕎麦である。

 それでは体に悪い。栄養が不足すると、いまでは弁当を買ってきてくれる。

 わざわざ大丸やそごう百貨店まで行って、名のある料亭の弁当であるから、おいしいが、時々、コンビニで、ざるそばを買ってくる。さっぱりおいしくない。ダンゴみたいに、かたまっているが、何もつけずに、むしゃ、むしゃたべていると、蕎麦の味はする。

 台湾で育ったからビーフンも、本当に、おいしいものはおいしいが、コンビニのビーフンは、まあこんなものかと食べものに文句を言ったら罰が当ると子供の頃から躾られているから感謝している。

 いま時分になると、台湾から引き揚げて来たころ、毎日ジャガイモばかりだった。結構おいしいと今は思う。

春は嬉しい、嬉しい

2006-03-17 | Weblog
 3月18日が、お彼岸の入り。春分の日が21日でお彼岸の中日。24日に明ける。

 それにしても「暑さ、寒さも彼岸まで」と、昔の人は、うまいことを言った。

 子規の「毎年よ、彼岸の入に寒いのは」。この句は、子規の母親の口ぐせを句にしたもの。「駄々走り来て小水の彼岸婆々」(靜雲)。

 昔は着物だから、婆さまの中腰になって田舎の道端で小便する姿をよく見た。
  いま時、そのような行儀の悪い姿は見られない。
  この句の、駄々走り来て、という処が、いかにもリアルである。

 3月も中旬を過ぎると、寒さに心が萎えていた老体も、少しは元気が出る。とにかく台湾生れの、終戦までの台湾育ちは「内地」の寒さには毎年、参ってしまう。台湾ではお正月でも学校のプールで泳いでいた。雪など、遠い山に降っているのを見ただけだ。

待ち遠しい桜

2006-03-15 | Weblog
 もう少しすると桜である。桜といえば芭蕉の「花の雲、鐘は上野か浅草か」。東京に行って人形町の地下鉄乗り場で、大きく上野、浅草方面と書かれているのを見ると、つい、鐘は上野か、浅草か、と口に出てしまう。

 一茶の句に「憎いほど桜咲かせる屑家かな」というのがある。屑屋は、思惑で桜を咲かせているわけでない。自然に咲いただけ。それを見る人の心を一茶は俳句にした。

 銭湯で上野の花の噂かな(子規)。いまどき銭湯を知らない人も多い。

 山桜は、かなり遅れて咲く。

 蕗の葉に煮しめ配りて山桜(一茶)。

 昔の軍歌『歩兵の本領』は万朶(ばんだ)の桜か襟の色、花は吉野に嵐吹く、大和男子(おのこ)と生まれなば、散兵戦の花と散れ。

 いまの人は襟の色といっても判らん。兵科によって軍服の襟を色別にしていた。

星の不思議さ

2006-03-13 | Weblog
3月15日が満月。交通事故の件数が、グッと増えるから車に乗る人は、よくよく気をつけて下さい。
  新月も、その前後は交通事故が多くなる。

 相場の世界でも、満月・新月前後は思わぬような動きをする。
  アストロといって、アメリカの相場世界では、木星や金星の動きに注意する。
  木星は2005年10月から2006年11月まで蠍座(さそりざ)に居るからゴールド相場は上昇する。
  2006年12月に蠍座から離れるから、その時に、金の相場は反落する。
  土星が2005年7月から、2007年9月まで獅子座に居るからこの期間は、金の相場は激しく動く。

 天体を勉強し、アストロの不思議を知ると、ますます興味が出てくる。アメリカの女性でシルバーの相場だけで数億ドルを儲けた。アストロに熱中して研究したそうだ。

女性にモテルには

2006-03-10 | Weblog
若い時分に、女性にモテルには、なにが一番大切か、ということを色々考える。
 
? 結論として、親切で、やさしさが一番だと思う。
  女性に対して偉そうにする男は、嫌われる。

  第二は、小ざっぱりと、清潔であること。おしゃれで香水などふる男は嫌がられる。
  それと、絶対に口が堅いことだ。男女間の問題についてペラペラしゃべる男は用心されるし信頼がない。

  男らしさというのも必要であろうが3月8日付けの「男の修行」で書いたことのうち、やはり、そのどれかが判ってくれる、という事は大事である。上役にはペコペコして、下役には偉そうにする男は、最も嫌われる。
  ともあれ、女性には、親切と、やさしさである。

  テレビ映画に出てくる刑事のような格好よく、などと考えるのは間違いで、女性の心は掴めない

男の修行

2006-03-08 | Weblog
 送金メール問題で、民主党は、大きくゆれた。

 永田議員の謝罪記者会見で『あんな謝り方では、尾を引く』と思った。

 謝罪する時は、徹底的に謝らなければならない。
  言い分は、勿論あろう。どんな問題でも5%か、10%は言いたい事があるけれど、それを言ったのでは謝罪にはならない。
  頭を下げるなら、無条件降伏である。

 連合艦隊の司令長官だった山本五十六大將は、『男の條件』として五ツならべた。

苦しい事もあるだろう。
言いたい事もあるだろう。
不満な事もあるだろう。
腹の立つ時もあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。


これらをグッと、こらえてゆくのが男の修行だ。
  いまの世の中、男の中の男は、すくなくなったといわれる。言いたいことを言っては謝罪にならない。

女難は降る如く

2006-03-06 | Weblog
 お金に不自由しなくて、健康で、商売もうまくいって、なに一つ心配しなくてよいと思うのに、困ったという大きな悩みをかかえている人がいる。

 たいがい、女性問題である。男にとって綺麗な女性にはおぼれて、弱い。

 スナックのカウンターで、女の子と一杯やっていて、突然『私を抱いて』と言われた。

 肩に手をやって軽く抱いたら、『ちがうの、今晩、どこかにつれていって欲しいの』。

 もう、そんなに酔ったの?。酔っていないから、抱いて、と言っているの。

 かと思うと、福岡の講演会の講師で行った時、前列の女性から、もっと話が聞きたいからホテルで食事しましょうといわれ、デザートの時に、私このホテルに部屋をとってあるから、泊っていってと言われたりする。

 このような事が多いと(若い時)これは女難かなと心配になった。

壽命に文句言えず

2006-03-03 | Weblog
 水野南北さんというと、江戸時代の観相家である。
  日本一の人相観だと、時の天皇に褒められた。

 この人の言うのに、自分の運命は、食で決まると、おっしゃっている。
  大食する人は寿命が短い。
  おいしいものばかり食べていたら、運勢は落ちる。

 そういえば、筆者の知っている死んだ多くの友人は、たいがい大食で、うまいもの食いだった。
  筆者などは粗食もいいところである。だから長生きできると思っている。

 神様の言葉を伝える神様のところに行った時、逢うなり、『あなたは 93 歳まで生きます』と言われ驚いた。 私の父の母は 93 歳で亡くなった。私の母の母は 93 歳で亡くなった。小生も 93 までとは少し、しんどいな、と思った。

 長生きしようと思っても出来るものではないが、天があたえた壽命に文句は言えない。

ついて行くだけ

2006-03-01 | Weblog
 相場は、株でも、為替でも金利でも、商品でも、儲かる時には、儲かるようになっている。
  『相場は人の気と、時間である』。

 あれこれ難しく理屈をつけて考えても儲かるものではない。人の気が、どのように流れているのかを見る。
  あとは時間である。時間というものを考えると哲学である。

 カントは時間とは経験的概念だと言った。
  ハイデガーは『存在の時間』で思想界を形成した。
  我思う故に我ありのデカルトは神は存在すると言った。

  相場にも神は存在する。
  世界の為替相場を動かしているのは、相場の神様である。人様が、なびいているだけである。高い、安いの、わけを聞いても判らない。

 相場様が、我思う故にドルが安い、ドルが高い。
  人間様は、ただ、それについていくだけである。