相場奥の細道 ~ 為替比較サイトもお勧めの本「先物罫線」「相場の張り方」の筆者、鏑木繁先生の連載コラム~

著者なりの相場観を綴ったもので、実際の投資および取引に関する最終決定は、お客様ご自身の判断で行われるようお願い致します。

へたな字だと思う

2005-12-30 | Weblog
 ヒロセ通商さんのホームページに、なにか書けといわれて、 12 月の 5 日から、月水金曜日に掲載されるが、なんと、へたな字を映されてしまった。

 どう見てもへたである。みっともないと思うが、これも仕方がない。

 もうすこし、まともな字が書けないかと思うが、昔、書家の榊莫山先生が、小生の字が好きだとおっしゃった。

 莫山先生は、いま、毎日新聞の日曜版に随筆を書かれている。日本でも、中国でも有名な書の大先生である。

 その大先生に、なにかの時にお手紙を差しあげた。昔、先生は私の家によく遊びに来られ、中国の古い硯や墨など沢山いただいた。私も先生の字が好きであるが、へたな私の字が好きだとおっしゃる。

 良寛さんが小学校の子供のような字で般若心経を書かれたのを本で見て、ああ無心のいい字だと感心したことがある。

相場は人の気

2005-12-28 | Weblog
 相場というものは、株でも金利でも、あらゆる商品、そして外国為替でも、儲かる時は、なぜか、幾らでも儲かるものであるが、ひとたび、そのサイクルから離れると、どうやっても損をする。

 なぜだろう。 50 年間、そのサイクルにただよってきて、この頃、ようやく、「ああそうか」ということに気がついた。

 人は運だとか、その時の体調などを言うが、登り坂、下り坂の運勢もあるが、人の気の流れが判っていない。

 「相場は人の気」である。その人の気が、いま、どのような色をしているのか。これから、どのような色に変わっていくのか。

 これを知る事である。人の気を「人気」というが、目に見えない人の気の動きを知ることが、相場の勝ち、負けに通ずる。有名な評論家の先生がたも、人の気に支配されてなにかを言っているだけ。

脱糞するが如し

2005-12-26 | Weblog
 だいたい、これで10回目であるが、こんなふうに書いていっていいのですか、と、知りたいわけで、モノを書く人間は、書いたものの反応を知りたい。

 評判が悪ければ、変えなければならない。

 このような(今までのような)調子で、よろしいのなら、幾らでも書いていけますが。

 書いていると、次から次に書くことが、あふれ出てくる。それは、自分が、やって来たことばかりだから。

 しかし、人様が読んで、それをどのように受け止めるかである。面白い。役に立つ。のならいいが、判らない、面白くない。といわれたら、反省しなければならない。

 ものを、理くつで書いていたら胸にスーッと入ってこない。考え考え書いていたら面白くない。言っては悪いが、脱糞するが如し。今まで読んだものや経験が消化されて一気にボールペンが走る。

むやみに、はしゃぐな

2005-12-23 | Weblog
 むやみに、はしゃぐことなかれ、という。むやみに、悲観するなかれである。
  はしゃぎすぎると、なぜか必ず、はずれる。

  前祝いだとか、戦勝祝いなどといって大酒飲んで騒ぐと必らず、すぐに反動がくる。 相場様は、人様のポケットの中を、よく御承知である。

  この現実を実践に使って大儲けしたことがある。
  生糸の相場の買い方大仕手が連戦連勝して、有馬温泉で大祝賀会をやるという。 小生も招待されたが、どうせ夜はオイチョカブのバクチだから行かなかった。
  芸者総上げしてのドンチャン騒わぎだったらしい。

 生糸相場は、まだまだ上るというのだ。

 筆者は、ここが勝負の仕所と見て、生糸の高値を売った。有馬温泉の御一行が朝帰りして相場の寄り付きを待った。

 なんとストップ安だ。相場は大天井を打っていたのだ。

よくカツいだものです

2005-12-21 | Weblog
 相場を張っている時は、いろいろとカツグ。売った時は揚げ物の天プラを食べず、大根おろしや、おろしそば。

 子供の生まれた時に鯉のぼりをお祝いにいただいても、相場を売っているから上げない。

 駅で電車を待っている時に線路の上を蝶々が飛んでいる。ホームの上まで行くかどうか目で追ったり、ヒバリがさえずっているのを、手帳を出して、上げ下げをグラフのように書き込んでみたり。

 ネクタイを変える時は、うまくいっていない時、朝行く道もよく変えたりした。

 カツギだしたら、もう切りがない。茶わんが落ちて割れたら大喜びしたりもした。

 カツいで、それが、なんの役に立つかといえば、気がやすまるだけで、他に効果はないのである。

 街を走っているクルマの番号もよく見ていた。お尻の番号が47なら上る、74なら下る、これはよく当たったものだ。

なにが残りましたか

2005-12-19 | Weblog
 振り返ってみると、相場記者として50年経つ。相場を張って、張って、張りまくった時期もある。

 シイタケ、カンピョウの荒い相場も天満青物市場で張った。海上運賃の相場も、神戸の海運会社で張った。海運記者だった。勿論、証券は戦後の集団取引(まだ証券取引所が再開される前)から張った。

 商品は、戦後、穀物取引所が再開された時の御祝儀相場の小豆からトリコになり、綿糸も、毛糸も、黒糖も、大手亡豆、生糸、カンケン、ゴム、コーン、大豆、ガソリン、灯油と手当り次第張ってきた。

 儲けたり、損したりと言いたいが、たいがい損である。いまはゴールド一本である。

 そのうち「ヒロセ通商」で為替のトリコになるかもしれない。自分の一生を、ふりかえると相場人生である。

 それで、なにが残ったか?。目に見えるものでなく、目に見えないものが残った。

利がのった時が苦しい

2005-12-16 | Weblog
 相場している人は、楽観主義の人が多いのは、なぜでしょう。なんとかなる。と自分に、いいほうのことばかり考える。なんとかなる時と、待てども、ラチのあかない時もあれば、なんとかなっていく場合もある。

 「あすを、思い患うことなかれ」と聖書にある。
  一日の苦労は、一日だけで十分である・・・と(マタイによる福音書の第六)
  第七章は「求めよ、そうすれば与えられるであろう」。

 あすのことを、幾らくよくよしても、どうしょうもないことは誰でも判っている。
  しかし、判っていて、くよくよするのが人間である。
  夜も眠れない。モンモンの寝返り打って夜明けかな。

 相場人生で一番苦しいのは利が乗っている時である。逆境にあって、少々損勘定の時のほうが気が休まる。

 いうなら欲からきているわけで、得たものは失いたくない。

仕方ないですね

2005-12-14 | Weblog
 人様の事は、言わないほうがよいが、なんで、あの人はうまくいかないのか、悪い事ばかり起る。家族が自動車事故とか、子供が家出した、病院ばかり通う、お金が回らない、仕事がうまくいかない。

 それには、それなりの原因があって、それさえ直していけば良くなって行く。
  その人は人の悪口ばかり言っていないか、愚痴が多くないか、文句ばかり言っていないか。
  礼儀を知らない。感謝というものを知らない。人を責めてばかりいる。
  このような人生を送ってきたはずで、その答が出ているだけのことである。

 しかし、自分の性格だから直らないと言うだろう。それなら仕方ないから、その道をお行きなさい。

なに事も、自分が変わらなければ、環境も、お相手も、運命も変わらないのだから、嫌だという以上、仕方ありません。

簡単な秘法

2005-12-12 | Weblog
人生には登り坂と、下り坂とがあって、いま自分は、どの坂を行っているのか。

 好調の時には魔坂という魔の時間帯が誰にでもあって「よもや」「まさか」の事件が発生する。しかし、それは避けようにも避けられない。

 今一日、なにも無かった。無事だった、と夜寝るとき、おかげ様で、おかげ様でと唱える。ありがたい、ありがたいと感謝していると、必ず好い事があるから不思議である。

 「嬉しい、嬉しいの法則」というのがある。特別に嬉しいことが無くても、「嬉しい、嬉しい」と唱えていると、これが不思議なことに、嬉しいことが起るのである。1ヶ月や、2ヶ月でなく、続けていく。1~2ヶ月やっても効果は出てくるが、筆者など、どれほどこの法則で、うまくいっているか判らない。

要するに感謝である。文句を言っているあいだは、うまくいかないもの。ああ、世の中はうまく出来ていると思っている。

人間をやっていける

2005-12-09 | Weblog
 なにか、物足りない。充足しないわけだ。
  しかし、この、なにか淋しいとか、なにか、物足りないという感情は、きわめて大切なものである。

 おいしいものを、沢山たべて満腹になったあとは、苦しい。あと、する事がない。お酒でも飲んで、飲んだあとは苦しい。

 花は半開を眺め、酒は微醺をよし、とするが、人は満開を求め、泥酔に落ちる。
  それもまたよし。落ちるところまで落ちる。これが、生き返る、再起する道でもあるから、びくびくしない。

 お酒は、飲めば飲むほど飲みたくなる。お金は持てば持つほど欲しい。相場は儲かれば儲かるほど儲けたい。

 寝れば寝るほどねむたいし、色の道も奥がないほど深い。しかし、行く所まで行くと病気になったり、税務署さんが来たり、終わるところがあるから人間を、やっていける。

うつろいごと

2005-12-07 | Weblog
 相場に取り組んでいる人は、なにか心細い時や、なにか物足りない時がある。

 心の中に淋しさの風が、スーッと通り抜けるのはなぜか。
  それは、相場とは「うつろい事」だからである。
  うつろいとは空しいこと。
  充実した日々を送っているつもりでも、その影には、そのようなものがある。

 これは、喜ばしい時、嬉しい時にもあるわけで、『歓楽きわまって哀情多し』と、漢の武帝が、船中の大宴会で喜びの最高時に作っている。

 相場人生というものは、七転び、八起きというものの晴の日より曇の日か、雨の日が多いもので、これは、どんな相場の玄人でも同じ。

 ということは人間、みな同じ思い。ただ、テレビを観たり、雑談したりで、まぎらしているだけ。生きものの相場を日々、お相手していて、物足りない思いをしない人はいない。言うか言わぬだけ。

悟りなんてつまらん

2005-12-05 | Weblog
 相場は人の気の動きである。人の気というものは三千年昔も、今の現代も、かわっていない。

 人間は欲張りである。人間は男女、老若かかわらず助兵衛である。人間は偉そうにしたいもの。人間は名誉欲がある。だから、お役人を接待するときは、えばらせよ。飲ませよ。食わせよ。握らせよ。抱かせよ・・・である。

 たいがい、この「五せよ」で落ちる。商売の道も同じ。

 考えてみると至極単純であるし、日々、新聞やテレビのニュースや事件になるのも、すべて、この五つのモト(素)から成り立っている。

 だから仏教や禅のほうではこのこと「人欲」から離脱することを説くわけだ。

 しかし、そこから離れるということは、生きていくうえで、つまらない、悟りなど、開かないほうが人間らしい。しかし相場の奥の細道を行くと自然に悟りの境に入る。