![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c0/b024d1a733d69e4372c7e78d74a3d0f4.jpg)
昼食が終わると、再び電車とバスを乗り継いでルツェルンまで、約94km移動しました。
ルツェルンに着くと、まず“ライオン記念碑”を見学しました。矢を射られてうずくまるライオンの像は今にも泣き出しそうな悲しい表情をしています。
このライオンはフランス革命の時に、最後までフランス国王や王妃マリー・アントワネットを暴徒化した国民から守ろうとして戦った、スイスの傭兵達の姿を表したものだそうです。
その時代、資源に乏しかったスイスは、山で育った健康な若者以外にお金に代えられるものが殆どなく、多くの若者達が生活の為に傭兵となり、各地に雇われていったのだとか。
ソルジャーという言葉は、ソールドから出来たのだそうです。
そこから程近い所にあるホテルにチェックインすると、元気のある人だけで再びルツェルンの街並みを見て歩くことになりました。
画像は、夕暮れ時のカペル橋です。
この橋は以前一度火事で消失してしまったそうですが、主に日本が復興の為に資金の調達に尽力を尽くしたのだそうで、カペル橋はこうして再び私達の前に美しい姿を見せてくれています。
日本でも、こうした木造の橋は珍しいですよね。
ルツェルンに着くと、まず“ライオン記念碑”を見学しました。矢を射られてうずくまるライオンの像は今にも泣き出しそうな悲しい表情をしています。
このライオンはフランス革命の時に、最後までフランス国王や王妃マリー・アントワネットを暴徒化した国民から守ろうとして戦った、スイスの傭兵達の姿を表したものだそうです。
その時代、資源に乏しかったスイスは、山で育った健康な若者以外にお金に代えられるものが殆どなく、多くの若者達が生活の為に傭兵となり、各地に雇われていったのだとか。
ソルジャーという言葉は、ソールドから出来たのだそうです。
そこから程近い所にあるホテルにチェックインすると、元気のある人だけで再びルツェルンの街並みを見て歩くことになりました。
画像は、夕暮れ時のカペル橋です。
この橋は以前一度火事で消失してしまったそうですが、主に日本が復興の為に資金の調達に尽力を尽くしたのだそうで、カペル橋はこうして再び私達の前に美しい姿を見せてくれています。
日本でも、こうした木造の橋は珍しいですよね。
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