この記事の前編にあたる「
蔵王と足湯(山形前編)」(2006-10-16)で書き忘れたのですが、山形の「芋煮会」では地域によって食材・基調味が異なります。
日本海側の庄内地域では味噌・豚肉なのだそうです。山形の方では、これが醤油・牛肉となります。上山で頂いたのは、もちろん醤油・牛肉版芋煮でした。
庄内の方には申し訳ないのですが、味噌・豚ベースだと豚汁的になりそうな気がしますが、いかがでしょうか?
醤油・牛肉ベースでは、すき焼きっぽいといえば、近いかもしれませんが里芋の圧倒的な旨みによって、すき焼きより飽きが来なくて良いかもしれません。
ちなみに我が家は、すき焼き系ではなく、しゃぶしゃぶ系です。
それもあっさりした豚しゃぶ(^^;ゞ
話は、山形の旅の後半14日(土)に戻ります。
朝、山形のホテルの中途半端な朝食を摂り、一路知人のTさんが待つ上山に戻ります。
考えたらTさんとは、12日に再会したのがなんと生まれてから2度目。(^^;ゞ
一度会って意気投合した方とは、お会いした回数よりも中身の濃さで、随分以前からの友人のような気になっています。
僕もよく、「初めて会った気がしない」と言われる変な奴ですが…

Tさんとは、上山城の駐車場で待ち合わせ。この日は朝空に月が出ていました。相変わらずの快晴V(^^)v
このお城は別名を月岡城というそうです。
市民からの浄財を集めて昭和に再建されたそうで、中は上山市立上山城郷土資料館になっています。
kみむさんページにお城について詳しく書かれていましたので、興味がある方はそちらをどうぞ。

お城からの下からの眺めです。
城址の敷地内にも足湯がありました。写真の下の広場の中に見えます。
朝でしたので、丁度掃除を終えて新湯を張っている最中でした。温度は丁度良い感じ。ここの足湯からの眺めが良いとのことでした。そういえば、足湯に浸かりながら景色が眺められるのは、ここだけでした。前編でご紹介した葉山の足湯は、湯に浸かると景色があまり良く見えません。記事でご紹介した写真は、足湯の外から撮影したものでした。
城内の郷土資料館は、上山市域だけでなく、月山など信仰篤い
出羽三山(Wikipedia)にも触れられていて、まるで県立のような感じで驚きました。
予算の関係で、建てられてから展示内容は更新されていないそうです。一部には色あせてしまった写真もありましたが、一度は覗いてみる施設だと思いました。
これもTさんの特別ガイド付だからかなぁ~(*^^*)

お城を下って、城下へ。
なんでも戦災にあっていないため、江戸期の道割りから全く変わっていないのだとか。
金沢もそうですが、戦国期の防御上、直線的な道路がなく、交差は十字にはなっていません。ほぼ必ず少しずれていて見通しが利きません。
そんな沿道でTさんに解説された某地元銀行の支店からのお城の眺め。
以前は道沿いに立っていたものをわざわざ奥に引き込ませて、お城が眺められるようにしてくれたとか。銀行も中々味のあることをしています。
デザインもそれなりに城下町の印象を継承しようとしているのが、なんとなく判ります。

市内には7軒の公衆浴場があります。これは地元の方々のために多くは協同組合で建てられ、維持されているそうです。
ここは、中でも一番古い下大湯。

そしてなんと驚きは、その入浴料。80円也!
洗髪料70円とありますが、これを払うと蛇口のカランを貸してくれるのだそうです。
2階使用料が300円となっていますが、これは一日フリー利用料と同じで、何度でも入れるそうです。
なんだか、安い宿に泊まって湯治したくなるような風情と感覚です。

この辺りは、かなり古い温泉宿の街のようでした。一角には観音様。
開湯500数十年だそうで、江戸期には出羽三山に詣でる人々が、詣で前後にここで投宿し、なかでも下山してから精進落し(?)に賑やかだったそうです。
当然、飯盛り女(湯女・遊女)も多かったようで、こちらの観音様は彼女たちの信仰が篤かったとのことで、境内には石碑もありました。
神仏混交が色濃く残っている境内。本堂の鬼瓦は、こちらもが違います。物凄い形相で、心中に後ろめたい気持ちがあると、ちょっと後ずさりしてしまいそう…

この観音様の手水・御手洗も温泉。ほんのり湯気が立っているのが、写真に写っているかなぁ~(無理か)。石も周りは温泉からの析出物で、普通の様子とは違うのが判ります。

こちらは、斉藤茂吉ゆかりのお宿・山代屋さん。茂吉の書跡展示室を持っておられるそうです。風情のある立派なお宿です。今度はこちらにお世話になりたいなぁ~
近所にも やんごとなき方 がお泊りになられたというよく見るとそれと判る木造三階建ての建物もありました。今では医院になっていましたが。

ふと足元を見ると、下水の蓋が案山子。毎年案山子祭りをしている上山のシンボルなんですね~

武家屋敷の茅葺屋根越しの秋空。
この界隈の道は綺麗に整備されています。
なんでも道路を改修するに当たって、市役所と住民の方々との間で何度もワークショップを開いて、舗装の色を決めたり、道沿いの水路の活用方法、屋敷の庭の公開などを協議されたそうです。
数件が残っている武家屋敷は、一部が実際に住居として使われていてそれ以外は空き家になっているそうです。私有地ですから当然、それまでは「立ち入りお断り」だったのが、ワークショップ以降、正反対に「どうぞどうぞ」と招き入れられているそうです。

こちらは、空き家となっている屋敷のお庭。近所の方が汗を流しながら、水遣り・草取りをされていました。
ここは、みんなの宝なんですね。頭が下がります。

秋も徐々に深まっているようです。

やや歩いて、沢庵禅師ゆかり春雨庵。
詳しくは、末尾の参考ページにも挙げた「
春雨庵(上山市) 沢庵和尚の流刑の地」をご参照ください。
当時の城主が沢庵和尚を大変尊敬したこともあってか、民がよく大根などを和尚に差し上げたところ、漬物にされて庶民にも保存食として伝えたのが「たくあん」の始まりだとか。今では全国各地でみられるたくあんは、上山が始まりだったようです。
門をくぐってすぐ右手に和尚の歌碑がありました。あまりにも名筆で私には解読できませんでしたが、戻ってネットに尋ねてみると「
歌語り風土記 春雨庵の山乃井の水」に内容が詳しく解説されています。里の娘の身上を思いやる名歌でした。
この庵も個人のお屋敷の中なのだそうです。
茶室を掃除されている音が漏れていました。
こうやって、地域の方に愛され誇りとなって維持されているとは、素晴らしいことです。

庵で赤とんぼを見つけました…
久々に一首
歌人の 跡を尋ねし 上山
蜻蛉羽きらめく 高き天の陽
うたびとの あとをたずねし かみのやま
あきずばきらめく たかきあまのひ
こちらには、斉藤茂吉も尋ねていて、人々が沢庵和尚の足跡を大切にしていることを有り難く思うという旨の歌を詠んでいます。
沢庵禅師と茂吉。二人の大歌人を尋ねた旅になりました。
とんぼのことを蜻蛉と書いて「あきず」とも読む(広辞苑)ようです。
ですから、とんぼの羽根は「あきずば」
素敵な言葉を覚えました。
調子に乗って一句
高き空 蜻蛉羽きらめく 春雨庵
三十一文字(みそひともじ)と、十七文字の世界の違い。
私自身は、短歌が多く、俳句は殆ど詠みません。
季語が面倒で…(^^;ゞ
面倒という言葉は、文化には禁句 …です…よね
ここで記事を終えれば、風流なのですが…(*^-^*)
どうしても今回の旅でご紹介したいお話がもう一つ。
前編の最後にちらりとお約束(?)したお蕎麦のお話。
Tさんのご紹介で、
湯蕎庵 味津肥盧(みつひろ)に行きました。
私は蕎麦に眼がありません。そしてかなりうるさい。
蕎麦好き用にと二人前もある「板蕎麦」を注文。
新そばがでまわる直前の
つまり昨年収穫した蕎麦を扱うこの時期は
蕎麦屋泣かせの季節です。
蕎麦は3たて と申します。
挽き立て 打ち立て 茹で立て
出された蕎麦は、更科ではありませんが、やや白っぽくしかもごく僅かに鶯色。
これは最高の状態の証です。
僕の流儀で、いの一番に 出汁につけずに ずいとやります。
これが一番、蕎麦自身の味と香りが判ります。
… うまい …
ほんのり蕎麦の甘味がでています。
全工程のどこにも手抜きをしていないのが伝わります。
はぁ~ これは参った
ずいずいと 二人前のはずの蕎麦は あっと言う間に消えました(*^o^*)
実はラーメン党というTさんの方が先に供されて食べ始められたのですが、食べ終わりはほぼ同時。
地元の方も結構利用されるので、経営上メニューには丼物だとか、ラーメンなども並んでいます。
未だ少し小腹が空いているなぁと二人。
話題は「冷やしラーメン」に。
山形の冷やしラーメンは、レーメンでも冷やし中華でもありません。
そう。熱いラーメンを冷たく冷やして出す正真正銘のラーメン。
食べたことがありませんでした。
早速分けて食べることにして一つ注文。
それほど時間が掛からずにでてくるあたり、厨房の手際よさも感じられます。
ちょっと疑心暗鬼で箸をつけるとぉ~っ!
これが またまた うまぁ~い
温度は完全に冷たいのに、ちゃぁんとラーメンの味。
しかもスープに浮いている脂も白くなっていませんし、チャーシューもそう。
この温度なら普通、白く固まるものですが…
実は低温でも固化しない脂を探すのが最大のポイントだったそうです。
夏の暑い時期には最高なんだそうです。
こちらのご主人は、「明日の蕎麦を考える会」を設立し初代代表に。県内の麺類飲食店団体の代表もされているとのこと。
大分湯布院とも交流されていて、蕎麦を教えたそうで、彼の地には「山形伝来の蕎麦 秋山流」(店名うろ覚えです)なる蕎麦屋が開店したそうです。
Tさんがお呼びになって、一番忙しい昼食時に、わざわざご挨拶にみえたご主人のお若いこと!息子さんと勘違いしたほどです。
いやぁ、素敵な方でした。
僅か3度目に会ったTさんのお蔭で、上山を堪能させていただきました。
また絶対行きます!
明治時代、英国の女性旅行家イザベラ・バードが、山形の景色を見て「東洋のアルカディア(桃源郷)」と称したというそうですが、こんな素敵な地域を知らなかったのですね~。
いゃぁ、日本にはまだまだ素晴らしい郷があります。
●参考ページ
かみのやま観光協会
沢庵禅師と春雨庵(上山タクシーさん)
春雨庵(上山市) 沢庵和尚の流刑の地(管理者不明ですが
山形観光 地図と写真でご案内というサイトのページです)