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はれっとの旅路具

(はれっとのたびろぐ)田舎暮らしと旅日記
金沢・能登発 きまぐれ便

追憶

2007-01-28 23:55:25 | 旅日記
27日久々に飛騨に行く道中、今はもう廃止となった神岡鉄道のことを思い出していました。

そういえば、昨年の11月29日に神岡鉄道に乗り納めをしていましたが、ご紹介が未だでした…

時は2006/11/29に遡ります。
夕闇迫る始発の猪谷駅JR高山本線と神岡鉄道との分岐駅猪谷に着いたのは、17時少し前。でも深い谷間の駅には既に夕闇が迫っていました。
明日30日が神岡鉄道の最終運行。前夜の割には人影もまばらでした。
全員が私と同じ、乗り納めの方々のようです。

北海道のちほく高原鉄道の場合は一週間前にもかかわらず、大変な乗客でしたから、少し拍子抜けしました。

さよならの横断幕無人の駅。ホームにし「さよなら神岡鉄道」の横断看板が掲げられていました。

最終の熱気に溢れ…というには程遠く、寂しさだけが夜の冷え込みと共に迫るようでした。


たそがれのホーム富山方面ホームは、JRと共用です。夕日の残光が見える方向は、富山方面。ホームを照らす電灯と駅名票。
一つの鉄路静かに消えようとしています。



日が暮れたホーム神岡方面最終ひとつ前の上り列車は、この暗闇の向こうからやってきます。

音の無い空気。駅に佇む人々も互いに声を掛け合おうとはしません。
ホームを照らす明かりだけが、かろうじてまだ「生きている」鉄路の証明です。


上り最終前の列車入線これから乗る列車が到着しました。
列車内にはそこそこの乗客の方々。
ほとんどが、鉄道ファンらしき人々。




神岡鉄道の車両「おくひだ号」と書かれた車両です。

奥飛騨という名称には、何故か旅情を誘う語感があります。
これも明日(2006/11/30)まで。



サボ:猪谷-奥飛騨温泉口列車の横の猪谷-奥飛騨温泉口という神岡鉄道全区間のサボ

終点の奥飛騨温泉口駅から、実際の奥飛騨温泉郷までは実はかなりの距離が有ります。
命名のちょっとしたレトリックのような気もします。

この区間は、国道を走ると、そこそこの距離があるように感じますが、列車ではほんの僅かな時間。
これも惜しむ気持ちがそう感じさせるのでしょうか。

途中駅では、明らかに地元の方とわかるおじいさん、お婆さんも乗ってこられます。
廃止となる明後日からは、どうやって移動されるのでしょうか。

最終前日最終列車内終点の奥飛騨温泉口駅で列車は折り返し、最終の上りとなります。

驚いたのは、とても若い女性客が数名おられたこと。
僕が現役(?)の頃には考えられないことでした。
鉄道に限らず、多くの趣味の領域は「変な男の世界」だったのですが、嬉しいような気もします。
彼女らにとって、小さな山間鉄道の廃止とはどういう意味をもっているのでしょうか。

車内では、明日の情報交換や、行動予定を話し合う光景があちらこちらで。
今夜は多くの方がこの周辺で宿泊。早朝から最終運行を惜しもうとされているようでした。


この列車には名物があります。
この写真を良くご覧になると、囲炉裏があることにお気づきのはず。
なにやら赤い火の色も(?)
名物の鉄瓶の中鉄瓶の中を覗き込む…
鉄瓶の中身はお賽銭?
赤い色は、電灯。
でした。



下り最終が発車する猪谷駅僕が乗ったこの日の上り最終が停車する猪谷駅。

すっかり夜の帳が下りた構内。
明日の最終運行日を控え、益々静けさに包まれていました。


そして…
あれから二ヶ月が経ちました。
廃止後の鉄道橋国道から見える鉄橋の一つ。

列車が運行されているときは、雪が降っても必ず鉄路の部分は顔を出しているものです。
もう列車が通らないことを、線路を覆った雪が証明しています。


廃止駅国道沿いにある集落から、大きな橋を渡らないといけない駅。茂住。
神岡鉄道の駅は、険しい峡谷の鉄道として、駅の設置にも苦心の跡がありました。



赤錆びた鉄路二ヶ月で鉄路は錆びていました。
銀色に輝く二本の線路…のはずが、やや黄色味を帯びた錆び色になっている光景は初めてです。






駅票も外されたホーム七つの中間駅に因んで七福神をお祭りしていた祠からも像が取り出され、駅名票も取り外されています。

僕が写真を撮っている間に、いつの間にか一人のおばあが、駅の椅子に座っていました。小柄なおばあは、僕とは視線を合わさず、ただ今は列車の走らない駅にちょこんと座っていました。


この神通川の川岸には、神岡鉄道より昔、鉱山から鉱石を運び出すための鉱山鉄道も通っていました。

いまでも国道の脇に塞がれたトンネル口が見えます。
落石に埋もれた神岡鉱山鉄道跡急峻な崖に張り付くようにかつての落石覆が見えました。
かつてトロッコが鉱石を積んで走っていたのでしょう。

春になると草に覆われ、見えなくなります。
雪の少ない今年だから、顔を見せてくれたようです。


鉄道、それも失われつつある鉄路に心を動かされるのか
僕の場合、単なる郷愁だけではありません。

かつて、この建設と運行に心身をつぎ込んだ人々が居たはずです。
その人々の人生や暮らしにも、思いを寄せてしまいます。

輸送路は、物資だけではなく旅客の人生も運んでいました。

時代の変遷と共に、移ろってゆくのは致し方ありません。
が、その時代を支えてきた人々の思いや暮らしまで、「無かった」かのように忘れてしまうことは、如何なものかと思うのです。


現代は鉄道に代わって今日新しい主役を作り出しているものの、やがてこれらも「役に立たない」ものとしていつかは遺構となる可能性を、「役に立たない」ものとなった遺構は示しています。

今、僕らが必要と思っているものでさえ、いつかは遺構となるかもしれません。

未来の人々は、どのような思いで、僕らの時代の遺構を見るのでしょうか。

峠は雪

2007-01-26 16:59:10 | 旅日記
昨日、飛騨に行ってきました。
富山から国道41号線を南下し、神岡から数河峠に向かってどんどん登っていきます。

途中で、例によって神原峠に向かって分岐します。
凍結していた山田湖峠の少し手前に山田湖というダム湖があります。

昨日は写真のように水面が凍っていました。
この湖が凍っているのは初めてみました。

道には全く雪が有りませんが、周りは完全な雪景色。

ラジオからは、
蛙が冬眠から起き出して、卵を産んだ
ふきのとうや、つくしんぼを見かけた
ツバメが飛んでいる…
梅が咲き始めた
と今年の異常な暖冬のせいか
既に春が訪れていることを伝えていました。

それでも、やはり飛騨では、冬がきちんと訪れているようです。

神原峠の雪景色そして、神原峠から飛騨の眺めです。
峠とコロッケ(2006-12-07)で雪景色の直前の光景をご紹介しましたが、昨日は墨絵のような景色でした。

遠くに見える平野まで、真下に見える道を一気に下って行きます。


駐車場の雪ここは、飛騨市役所の駐車場横です。
この蔵は、駐車場から少し高い地面の上に建っています。
それでも大きな蔵の一階が、ほぼ隠れるほど積み上げられています。

びっくり。


金沢では、昨年末に少し雪が降って以降、1cmも降っていません。
50年ぶりの記録とか…

でもこちらは、やはりそこそこ降っているようです。


帰り道、今度は国道を通り数河峠を越えました。
浪人中、予備校の夏季合宿で、この数河高原にやってきたことがありました。
当時はまさか、北陸に定住することになろうとは思いもよりませんでした。


浪人時代の合宿で片道どれくらいの時間を要したのか
全く覚えていませんが、
道路が良くなって便利になりました。

飛騨の方はよく富山にお越しのようで、
飛騨と富山は古くから交流がある地域です。
飛騨と越中から、二つの地域を合わせて、飛越と呼ばれています。


峠の頂上での気温はマイナス1度。
神岡まで降りてきてみるとプラス4度。
標高900mほどの峠の上と下で5度も気温が違うのですね…

今朝の高山はマイナス4度だったそうです。

全く雪が降っていない能登は周囲を海に囲まれているので
やはり少し暖かいようです。


みなさんの地域では、冬と春
どのような様子でしょうか?

甲府からメリークリスマス!

2006-12-26 01:10:30 | 旅日記
Hさん・Sさんと本日午後、金沢を発って山梨へ。

最初の予定から1時間半後の出発でした。
この遅れが、後に重大な(?)分かれ道に続いていようとは…
そのとき、知る由もありません。

今回はレンタカーでの行程です。
最初にハンドルを握ったのは、僕でした。

富山の方に伺うと、東京方面へは国道41号線を利用して新穂高・安房峠・松本から高速に乗るそうです。
が、やや出発が遅くなったため、安房峠以東の山道を考えて、上越・長野を抜けるオール高速道路を走ることにしました。


元々運転が好きな事。
一人で運転することが多いのに、今回は代わってくれる人が居るということで、気分的にも随分と楽でした。

ところが、かなり走ったところで、道路掲示板が『事故・通行止め』と表示しています。
調べてみるとどうやら、この先の小淵沢-長坂間のようです。

ハイウェイラジオを聞くと、事故は大型2台と乗用車2台が横転したものらしく、ほんの小一時間前に発生したようです。

一同「当初通りなら、巻き込まれていたかも…」とつくづく幸運を味わいます。



誘導されて国道20号線をしばらく走りましたが、結局30分ほど予定時刻を過ぎて無事、甲府のホテルに着きました。

さて、21時を回ってしまいましたが、これから食事です。

甲府舞鶴城のライトアップ:全景ホテル近くの舞鶴城は、素晴らしくライトアップされていました。
思いがけない、クリスマスプレゼントです。

オヤジ3名もフラフラと城内に向かいます。

甲府舞鶴城のライトアップ:樹木城内では、樹木が色とりどりのLEDに包まれて、それはそれは幻想的。

若いカップル・熟年のご夫婦。
体の芯が凍えるような気温の中、大勢の方が歓声を上げながら、写真を撮ったり、手をつないで見入っています。

甲府舞鶴城のライトアップ:ゲート神戸のルミナリエをイメージしたものでしょうか。
こんなゲート上の電飾もありました。

これまで何度かこのお城を訪ねていますが、それまでの人気の無いお城というイメージから一転して、今夜はかなり印象が違います。

様々な色々な光たちが織り成す世界に、人々が喜び、うきうきしている気持ちが手に取るように伝わってきます。

甲府舞鶴城のライトアップ:石垣石垣にもキティちゃんなどのキャラクタも描かれていました。


思いがけないナイト・ファンタジーに、オジさんたちもしばし魅了されました。

何方が企画し、実施されたものか、事前調査不足で判りませんが、中々良いものを魅せていただきました。


駅前銀座さて、既に空腹を通り過ぎている三名。
甲府駅近くの「いつものお店」に急ぎます。

「駅前銀座」という懐かしい名前の通り。

目的のお店は、この先。もう少し甲府駅に近いところにあります。



ありました。
郷土料理太助いつぞやの記事でも紹介させていただいたお店です。

・鮟肝
・地鳥のシチュー煮
・ほうとう鍋
・舞茸の天婦羅
・馬刺し
などの料理と、しこたまお酒頂いてしまいました。

出張先で、落ち着いて美味しい食事が頂ける店と出逢うことは、何よりの楽しみです。


隣のお客さんとも、ちょいと話が交歓できるあたり、居酒屋のよさがしみじみとします。

出張先でのクリスマスとなりましたが、思いがけない出逢いが、やはり待っていた甲府の夜でした。


盆地特有の冷え込んだ今宵、甲府から
ちょっと遅めの『メリー・クリスマス』
ささやかに申し上げます(o^-')b

皆様の今夜も、幸いでありますように…


p.s.
これが、ブログ200本目の記事となりました。

帰省

2006-12-24 21:40:11 | 旅日記
この週末、大阪に住んでいる両親の元へ挨拶に行っていました。

金曜日に仕事が終わってから特急で、大阪へ。
阪急とバスを乗り継ぎました。

いつもは、車で行くのですが、
なぜか今回は公共交通機関のお世話になりました。

お蔭で何冊か持っていった書籍のうち、往路で2冊読了。
運転をしないで済むというのは、こういうときにありがたいものです。

途中で、コメントチェック・新しい記事の投稿をしようと
モバイル通信カードを持ったつもりが
またまた見当たらず(帰宅後よくよく見ると特殊なポケットに…)
オフラインの3日間でした。


半年振りでもあり、両親共に会話が弾みました。

市内とはいえ、両親の家から「スープの冷め『る』距離」に住んでいる弟は
昨日、加古川マラソンに出場。

大会終了後、電話があり
42.195kmを完走した後にもかかわらず
いたって元気な声。

ただ、目標時間を越えられなかったことが
何より悔しい様子。
その電話の中でうっかり「首や肩が張る」とこぼしたため、
今朝、大阪を発つ直前にわざわざ来てくれました。

弟は、大阪でカイロプラクティックの開業をしています。
僕の体を診るなり、「凄いストレスだな。眼も酷使している…」とのこと。

僕の治療をしてくれている間も
しきりに「マラソンをしないか」と誘ってきます。
体を殆ど使わない仕事をしているため
そのアンバランスさは、自覚しているのですが…

小一時間ほぐしてもらってかなり楽になりました。

2つ下の弟は、かなりの苦労人で、極楽トンボの僕などより
相当人生の修行を積んでいます。

カイロの世界でも規制緩和が進み、
以前に比べ開業がほぼ自由化されているそうです。

厳しい競争の中、
愛想の良い気丈な奥さんと二人三脚で、
なんとか切り盛りしているようです。

弟とはいえ、彼から教えられることは
本当に少なくありません。

僕は一応、兄なのですが、
とても兄貴面できるものではありません。

普段、押し殺していた疲れがどっと出たのか
帰りの列車ではほぼ完全に爆睡。

明日からまた、山梨・長野へ車を運転しての出張です。



そういえば、この記事で199本目。
次の200本目には、何を書きましょうか。

乗りなれた寝台列車

2006-12-18 23:08:45 | 旅日記
これから、夜行で東京です。

金沢発上野行き寝台特急北陸は、このブログで既に何度もご紹介していますが、個室内の装備についてはあまり説明していなかったようなので、今回は少々。

ベッドは広いとはいえませんが、日本人の標準的なサイズの方なら十分と思います。
身長176cmの僕は全く問題ありません。

B個室の場合、部屋は上段と下段の2タイプあります。偶数番号の部屋が上になります。
B個室の偶数番号の部屋そして上段は、この写真のように丁度向かい合わせになります。
アベックや友達と乗るのでしたら偶数番号の部屋を敢えて取ると向かい同志でおしゃべりできて良いかも…
ただし、ご近所には配慮してくださいね。

写真のように殆ど使う時間帯が無い(?)座席も両肘掛けつきで、備えられています。
リクライニングは全くできませんが…(^^;ゞ

さて、個室内を見渡すと小さなテーブル。そして鏡。個室内でお化粧できるよう女性にも配慮されています。

その反対側には、常夜灯・蛍光灯・読書灯とホテルの部屋のように揃ったライティング設備。
ベッドの頭の位置にあるので、ごろ寝で読書にピッタリです。

テーブルの下には、ゴミ箱も…
夜食や寝酒のゴミが自室内で出せるのもよいですね。

ベッドの足元には、棚があります。その下は、暖房の吹き出し口。
棚の上には、個室専用の有線放送。チャンネルは4つあり、今夜は1がポピュラー、2がお休み、3がムード音楽、4が映画音楽。イヤホンを差すジャックがあるのが、ご愛嬌。当然音量調整可能です。

もちろん、この記事を書きながら映画音楽を聴いています(o^-')b

その横には、暖房の調整つまみと部屋全体のライト。天井灯・換気扇・床灯のスイッチ。こちらもホテル並みです。


最後は、部屋の鍵。

内側からは勿論レバーで施錠できますが、外出時などのために車掌さんが検札の際にカードキーをくれます。これは、ドアを閉めて部屋番号のカードキースライダーに通すと施錠。次にスライダーに通すと開錠できます。

カードキーには北陸と印刷されていて、記念に持ち帰ることができます(というか、回収に来ない)。

あっと忘れていました。窓。
二階の部屋は、かなり高い位置に窓があります。
ここから外を覗くと、ホームに立っている人を見下ろす位置です。
これが中々気持ちよいのです。
人間はあまり見上げることが無いようで、覗いているこちらに気づく人は殆どいません。動物園の動物が人間を観察しているような気分…(ちょっとヘンな例えですね…(^^))


この列車には車内販売はありませんし、一時期あった車内の自販機もなくなっています。夜のお供は、是非調達してからご乗車ください。
僕は、25時までやっている金沢駅構内の「駅コンビニ」で500ml缶ビール2本と缶チューハイ1本に、おつまみ少々、以上1,000円弱を手に乗り込みました。


ホーム入線は21:50頃です。
ギリギリに乗るより、少し待つくらいで一番乗りすると、個室でゆっくりできます。


さて、列車はもう直ぐ富山に着く頃です。
この記事は、金沢の出発前から書き始めましたが、これから持ってきた本を読みながら呑むことにします(*^-^*)