元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

厳しい禅の修行がベースの西田哲学は、潜在意識のことを哲学的に解いたものだと改めて思う。

2017-07-08 09:09:45 | 哲学ノート
厳しい禅の修行がベースの西田哲学は、潜在意識のことを哲学的に解いたものだと改めて思う。
私が禅に集中出来た時に感じる宇宙との一体感は、ユングの「集団的無意識」(人間一人ひとりの潜在意識 は人類共通の潜在意識という心の大海につながっている。)ではないかと。
その潜在意識の力を十分に活用するマーフィー博士の理論は、脳科学の発達でさらに進化して、今はその一部が「マインドフルネス」として有名になりつつあるようで。昨日本屋に寄ったらたくさん出てました。
「汝の喜びを最大限に」と実践的なスピノザ哲学も、現代風に解釈すれば、潜在意識の活用に繋がる。潜在意識にはネガティブな感情を入れない、ポジティブな感情だけを染み込ませる。
仏教の無心も、タオの自然も、キリスト教の祈りも、この潜在意識の活用であり、結果的にフロー(ゾーンとも言う)状態になる為の修行ではないか?と、これは生け花のお稽古していて感じたことでもある。一流のスポーツ選手や芸術家はすぐにフロー状態に入れるのではないか?
人間国宝小三治師匠は長いまくらでフロー状態に入ることで、寄席小屋の多くの観客と共に、一種の「集団的無意識」の場を生成するのではないか?出し物が昔の江戸時代の話でも共感し、噺の世界がイメージ出来るのは、遺伝子レベルでずっと続く人類の遺産ではないか?

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