元外資系企業ITマネージャーの徒然なるままに

日々の所感を日記のつもりで記録

1月にチューリップの花が売っていた

2021-01-30 20:59:06 | 日記
國分功一朗さんと山崎亮さんの対談本「僕らの社会主義」を読んでウィリアム・モリスを知った。彼の「生活の芸術化」は、そもそも社会主義革命後の豊かな社会をどう生きるか?から来ていると。「生活の芸術化」は、産業革命後の大量生産で市場に溢れた粗悪品への反発。コストを出来るだけ抑えた粗悪な大量生産品が街に溢れている。
それを見てなんと普段の生活が味気ないのだろうとモリスは考えた。じゃあ普段の生活を芸術品で飾ってみようと家具や壁紙、テキスタイルなどをデザインして制作した。それがのちに、ヨーロッパでアールヌーボーとなり、アールデコへの発展していく。
翻って今の日本は19世紀産業革命当時の粗悪品の大量生産、大量消費社会と同じではないか。安く粗悪でしかも地球環境に大変悪い商品が多量に売られている。例えばファストフード店の商品を入れるプラスティック製品だってそうだし、衣服や食品まで、本来安全であるべき車が正しく検査されないで販売されたり、むしろモリスの時代より生活は粗悪品が溢れているのではないか。
ただ、現代では生活を彩りするのに、芸術品で生活を飾るだけではなく(無理して飾る必要もないし)、生活を豊かに飾ることを中心に考えれば、生活と芸術を一致させる必要もない。ただ旅行に行ったり、友達と美味しい物を食べたり飲んだり、映画やコンサート、好きなスポーツを見に行ったり、もしくはお金をかけなくても様々なことで生活を豊かに飾ることは出来るのではないか。
そう思い、私は在宅勤務で部屋に引きこもっているので、生活の少しは彩をと、週に一回近所のお花屋さんに行き、季節の花を買ってきて、家中に飾る。今日はリビングに、明日は私の部屋や妻のキッチンに飾る。
ただ、びっくりしたのは、1月にチューリップの花が売っていたことである。温室栽培じゃなければ、本来は4月の後半から5月のかけて咲く花である。季語だと晩春である。それなのに1月にチューリップが楽しめる。生活を飾る感覚よりも、需要があれば商売が成り立つ、これでいいのか資本主義と違和感しかないのである。


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