丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

いじめる・いじめられる

2012年07月20日 | 四方山話
 大津の中学生が自殺した事件について、連日報道が流れている。公のメディアではもちろんの事だが、ネットの世界ではえげつない事になっている。加害者や担任の顔と本名が流れ、転校先が晒され、住所が晒され、どうにも歯止めが効かない状態になっているようだ。怒涛のごとく流出している情報の中には誤情報もあるそうで、とんでもないとばっちりを受けている人も出てきている。

 いじめ……なんとも苦い記憶だ。私も中学生の頃はいじめられっ子の部類に入っていた。そのせいで中学三年間は本当に苦い思い出しかない。卒業してから一度も中学には行ってないし、同窓会にも行っていない。地元で暮らしているので時々見たことのある顔に出会う事もあるが、ロクな事を思い出さない。
 トイレに呼び出されたり(わざわざ行くはずもないが)、トイレから出て来たところを待ち伏せされたり(蹴り倒して出て来たが)、持ち物を壊されたり、しつこく嫌がらせをされたり(しまいにブチ切れて、ヘッドロックをかまして「お前、次やったら殺すぞ」とささやいて撃退したが)、3対1でつかみあいになったり(この時は負けた……)、まあ、とにかく、ロクなことがない中学時代だった。今思い出しても、むかむかする。
 もっとも、当時の中学は相当荒れていて、特に二年の時のクラスは完全に崩壊していて、担任の男性教諭が女子の悪質な嫌がらせに耐えかねて途中で退職するという事態にまで陥っていた。男性教諭と女生徒が殴り合いをしていることもあったし、怒り狂った体育教師がツッパリ生徒を背負い投げにして蹴り上げるなんてことは日常茶飯事だったし、トイレや体育館裏で集団暴行にあって二目と見られない姿にされる女子がいたり、下着を教室に干すバカ女子がいたり、コンドームに水を入れて教室で破裂させまくるアホ男子がごろごろいた。
 
 そんな環境で健全な精神状態にいられるはずがない。当時の私の精神はかなりとんがっていた。日記には「殺す」とか「死んでしまえ」とか、そういう言葉を書き記していた覚えも、ある。(死んでやる、とか、死にたい、ではないのが私らしいように思うがwww)

 唯一の救いはいじめられっ子同士で仲良くなり、気持ちを共有できる仲間がいたということだった。嫌われ者同士でも仲良く交流していると、決定的な絶望感には陥らずに済む。
 当時はなかなか結束が固く、アニメの話題で盛り上がったり、一緒に勉強したりした。大嫌いないじめっ子を如何にして闇に葬るかなどという物騒な計画をこっそり立てて、「これ実行したら大変やで~。でも少年法ではぎりぎりセーフやん?」などと悦に入ったりもしていた。今考えれば、相当に不健全な遊びだが……。

 親にも学校の事は報告していた。中二の夏だったか、学校からキャンプがあったのだが、いじめられっ子同盟で相談して「私らは休む」と親にきっぱり断言した。親も学校に掛け合って、「大事なうちの子達が、そんなしょうもないキャンプに行ってボコボコにでもされたらかないませんから休ませます」と援護射撃をしてくれた。泡を食った学校は「そんなことには絶対ならないようにしますから!!」と必死のパッチで子供を参加させるように頭を下げてきたらしい。結局キャンプには行った。ボコボコにされることもなかったが、面白いこともなく、ほとんど記憶に残っていない。唯一残っている記憶は、いじめっ子の子達が「なんでこんなにセンコが夜中にうろうろしてんねん。ちっとも遊ばれへんやんけ!」と怒っていたことくらいだ。もちろんその原因が私達だったことは言うまでもない。

 いじめに関して、もう一つ苦い記憶がある。実はこちらの方が自分にとっては「痛い」思い出だ。
 自分がいじめられる原因の一つに、いじめられている子をかばっていた……というのがある。本当に大人しい女の子で、何を言われても、何をされても何一つ言い返せない、やり返せない子だった。あまりにも可哀そうで、見かねて止めに入ったり、その子と話すようになったりした。結局、それが原因でいじめの矛先が自分に向いたというのもある。
 自分が追い詰められている時に、例のいじめられっ子同盟が出来あがり、なんとかそれでいじめの嵐を乗り切れると思えた頃、その仲間から言われたのだ。
「あの子とは手を切ってよ。あの子、嫌やねん」
 正直、戸惑った。彼女にはなんの非もない。かなり悩んだが、最終的には私も彼女から逃げてしまった。彼女がそれをとても悲しんでいるのはわかっていたが、ちょうど自分も厳しい時期で、自分を保つのに必死だった。
 ある日、担任に呼び出されて、彼女となんとか仲良くしてやってほしいと頼まれた。私は思わず先生に言った。
「じゃあ、私はどうやって自分を守ればいいん? 彼女は私に頼るばっかりで、私は彼女を守るばっかり? 悪いけど、今、私も自分の事でせいいっぱいやねん」
 先生は何も言い返さなかった。
 彼女は別に恨み事を言うでもなく、時々さみしそうな目で私を見ていたが、私は見ないふりをした。

 いじめてるのと一緒やな……。ごめんな。でも、今の私には無理。

 後悔が残った。その後悔は今も焼きついている。
 彼女はその後、同じように大人しい目立たない友達が出来たようで、私は内心ほっとした。自分の罪が軽くなったという訳ではないが、気持ちとしては少し楽になった。
 彼女と天秤にかけ、選んだいじめられっ子同盟だが、当時のその仲間とは高校に入ってからは全く交流がない。つまり、その当時を生き抜くためだけのコミュニティーだったのだと、今は思う。
 その後、自分に約束をした。

 一度握った手は、自分からふり離すことだけはすまい……。

 その思いは今も私の中で大切に抱きしめている。中学を出てからその彼女と会う事もないが、もしあったら、謝りたいとも思っている……。

「あの時はほんまにごめんな。ずっと気になっててん。あなたのおかげで、私は少し成長することが出来たように思う」

 


 いじめられている子達。

 世の中の良心的な先生方には悪いけど、先生に相談したって多分道は拓けない。ただ、一人で黙って我慢してはダメだ。親には絶対打ち明けなさい。そして言いなさい。
「死にたくないから、学校になんか行かない。このまま行ってたら殺される」
 学校なんか休んだって、なんとかなる。勉強は学校じゃなくても出来る。

 プライドを持ちなさい。あんないじめる事でしか自分の存在を確認できないような下等な連中と自分は違うんだという、過剰なくらいの固く高いプライドを持ちなさい。そう、ダイヤモンドのようなプライドを持ちなさい。そして、想像しなさい。宝石を磨くところを。
 宝石は削って削って、削って、無数の傷を重ねてつける事で磨かれる。今つけられている傷によって、あなたはきっとどんどん磨かれて、より美しく貴い宝石へと完成していく。
 あなたが本当に強く美しい宝石になったら、いじめる側の人間などあなたの足元にも及ばない。三年、五年、十年経った時、あなたはきっと連中より高みにいる。

 そして、自分がいじめる側に堕ちないように、痛みを知っているあなたは誰よりも優しく強くなれるはず。いじめる側の卑しさを軽蔑するならば、そこに自分が堕ちないように気をつけなさい。



 いじめられている子を持つ親御さん。

 学校に無理に行かさないでいい。学校より、子供の命の方が大切です。私は親の圧倒的な援護があったから乗り越えられたと思います。何があっても子供さんを抱きしめてあげてください。私は自分が親に護ってもらったように、自分の子供を護って行きたい。学校の先生に委ねてはいけません。先生は聖人君子ではなく、強い人でもない。所詮は同じ弱い人間です。私達が自分の仕事の責任にがんじがらめにされているのと同じように、上から下からの責任で束縛され身動きがとれない、ただの大人です。そんな人達に多大な期待をしてはいけないのです。
 我が子は自分が護る。


 いじめている子達。

 明日は我が身だ。そこにはなにもない。自分の価値を、品性を、自らの手で貶めているだけだという事に早く気が付きなさい。


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