丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

鬼泣き山  ~創作昔話・其の一~

2007年07月08日 | 作り話
 足がすくむような、切り立った断崖の上から、娘は足元を見下ろした。遥か下の方に細い谷川の流れが見える。谷から吹き上げてくる強い風に煽られて、娘は思わず後ろに下がった。
 鬼泣き山……。うっかり入り込んだ者は二度と出てこられないと言われている。村人は勿論の事、旅人や怖いもの知らずの行者でさえも、この山に入るのは恐れていた。風の強い日にはそら恐ろしい唸りが山から響いてくる。あれは鬼の泣く声だと、村人は信じていた。
 そんな山に娘は一人で入ってきた。昼夜を問わず、うっそうとした山の中を歩き続け、この場に辿り着いたのだった。
「鬼なんか、おらんではないか……。」
 娘はその場にしゃがみこみ、ぼんやりと空を見上げた。木々の枝の隙間から見える空はどんより曇っていた。もう歩く力も残っていない。
 どのくらいそうしていたか、娘はふらふらと立ち上がりもう一度崖の淵に立った。娘は履いていた草鞋を脱いだ。そして、ふわりと宙に身を投げた……。

                  *

 ぱちぱちと木のはぜる音が響いていた。
 娘はゆっくりと目を開けた。ぼやけた視界に、赤々と燃える焚き火が見えた。炎の照り返しで顔が熱い。
 娘は身体を起こし、辺りを見回した。洞窟の中だった。
 何故自分がこんなところにいるのかわからなかった。確か自分は断崖絶壁から身を投げたはず。
「目が覚めたか……。」
 岩をこするような低い恐ろしい声が響いた。
「だ、誰?」
 娘はおびえて、岩肌にすがりついた。
 焚き火の向こうになにやらうごめく物があった。娘は目を凝らした。
 ぼうぼうに伸びた髪と髭の中から、赤い目が鋭く光っている。大きな男の更に二周りはあろうかという身の丈に、恐ろしく太い手足。獣のような牙と恐ろしい角。それはまさしく鬼だった。
 娘は悲鳴を上げて、後ずさった。逃げようとしたが、腰が抜けて立ち上がれない。
 鬼はあざ笑った。
「何故逃げる。お前はわしを探しておったのであろう。」
 そう言いながら焚き火越しに娘を見据えた。
「お前はわしに食われたくて、わざわざ山に入ったのであろう。やっと会えたと言うに、何故逃げる。」
 娘はがたがた震えながら言葉を探した。
「そ、そうじゃ。死のうと思って、お、お前に食われてやろうと思って。」
 鬼はもう一度笑った。
「あまり美味そうではないの。痩せすぎて、食う場所がないわ。」
 そう言われて娘は自分を見た。確かに汚れて、やせ細って、とても食欲をそそるような身体ではない。
「……痩せたのは、男にだまされて、メシも食えなんだからじゃ。」
 娘は自分の肩を抱きしめた。身体が震える。恐怖ではなく怒りと悲しみの震えだった。
「夫婦になると約束しておったに、嘘じゃった。だまされて、売られて、ええように玩ばれて……。生きておっても、なんもええことがない。死んでやろうと思うたんじゃ。」
 娘は泣きながら喚いた。
「鬼! お前までうちを莫迦にするのか?! 食う値打ちもないのか、うちは?!」
 鬼は黙り込んだ。どうやら困っているらしい。しばらくして、後ろを向くとなにやらごそごそしていたが、娘の方に向き直り、焚き火越しにぬっと手を伸ばした。
「ひっ……。」
 娘は身を引いた。とっつかまると思ったのだ。しかし、鬼の手にはボロボロの茶碗が乗っていた。
「飲め。水じゃ。」
 娘は恐る恐る茶碗を受け取った。しばらく茶碗を見つめていたが、思い切ったように一息に飲み干した。
「……うまい。」
 疲れ果てた身体にしみわたるようだった。
 しばらく鬼も娘も黙り込んでいた。娘は膝を抱えて、炎の向こうに見え隠れする鬼をぼんやりと見つめていた。向かい合っているうちに、鬼への恐れが少しずつ薄れてきた。
「鬼。」
 娘は口を開いた。
「なんで助けた。」
 鬼も炎越しに娘を見つめた。
「知りたいか。」
「ああ。知りたい。」

                  *

 自分がどの位この山におるのか、自分でもようわからん。じゃが、その昔、わしもまたお前と同じ人間じゃった。お前と同じ……いや、少し違う。わしは男で、お前よりも年老いておった。
 女房、子供と一緒に暮らしておった。百姓しながら細々暮らしておったんじゃが、わしは悪い病にかかっておった。ばくち好きという悪い病じゃ。町で野菜を売った金をばくちで使い果たす事も度々じゃった。女房にはよく泣かれた。
 そのうち、女房は流行り病で死んだ。子供を食わしていかにゃならん。それでもわしの悪い病は治らなかった。
 借金が膨らみ、田も畑も手放した。もう百姓ではやっていけん。賭場のヤクザの使い走りになった。子供は売った。大店の下働きとして雇われていったそうじゃ。
 そんなくだらない事をしながら歳を取った。ヤクザの使い走りも年寄りには出来ん。しまいには川原乞食じゃ。
 このままではどうせ野垂れ死にじゃ。野垂れ死にするくらいなら自分から死んでやろうと思った。山に入り、ふらふらと彷徨った。谷川にかかるつり橋を通りがかった時、身を投げようと決めた。その時、たまたま通りがかった旅人に止められたんじゃ。もみ合っているうちに、二人して谷川に落ちた。
 ……わしは死ななんだ。その旅人がわしの身体の下になったんじゃ。死んだ旅人はまだ若い男じゃった。死んだ男の身体を川から上げて、持ち物を調べた。何か金目の物はないかと思ってな。そんな時でもそんな事しか考えん、どうしようもない人間じゃ。
 その男は見覚えのあるお守り袋を首から下げておった。……息子じゃった。借金のかたに売り飛ばした息子だったんじゃ。こんなくだらない、くずのような男を助けるために、息子は死んでしもうた。生きる値打ちもない、こんな男のために、息子は死んでしもうた。
 わしは息子を抱きしめて、泣いた。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて……。どれだけ泣いたかわからん。そのうち、気がついたら、わしは鬼になっておった。死なん身体になってしもうた。息子の命を食らい、生き延びてしまったから、人の命を食らう鬼になってしもうた。
 山にはいつの間にか鬼が住むという噂が広がった。妙なもので、人を食らう鬼がおるという話が広まれば広まるほど、人間どもがやって来る。死にたいヤツ、わしを退治しようという愚かなヤツ、どちらにせよ、わざわざ自分から食われに来るのじゃ。自分を大切にせん、阿呆ばかりじゃ。
 のう、娘よ。死にたい人間を食って何が悪い。どうせ死ぬつもりではないか。そうは思わんか……?                
     
                   *

 言葉とは裏腹に、鬼は焚き火の向こうで泣いていた。真っ赤な目からは血の涙が滴っていた。
「鬼よ。」
 娘は静かに口を開いた。不思議と恐ろしさは消えていた。目の前の鬼が哀れに思えてきた。
「……お前、自分を呪っておるんじゃな。お前が食っているのは、自分なんじゃな。」
 鬼がうめき声を上げた。その声は狭い洞窟に響いて、恐ろしいうねりになって駆け抜けた。
 炎の向こうで鬼の影がゆらりと揺れた。
「!」
 一瞬のうちに娘は鬼の腕の中に捕まっていた。
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。」
 間近で診る鬼の顔はおぞましい程醜く、血生臭かった。長く鋭い爪がぎりぎりと身体に食い込んでくる。必死で身をよじったが逃れようもない。
「で、お前はどうなんじゃ。」
 ぬらぬらと赤い舌が娘の頬を舐め上げた。耳元に吹き付けられる熱い息には強い死臭が混じっていた。ざざざっと総毛立つ。
 娘は思わず叫んだ。
「いやじゃ、死にとうない! 食われとうない! 食わんでくれ!」
 鬼の手がゆっくりと娘から離れた。娘はへなへなとその場にへたりこんだ。
 鬼は足元の娘を見下ろしながら、静かな声で言った。
「ならば山を下りろ。生き抜け。いいか、覚えておけ。死ぬ気になったらいつでも食ってやるぞ。」
 
                   *

 川下の川原で一人の娘が倒れているのが見つかった。どこから来たのかわからなかったが、どうやら鬼泣き山から流されてきたようだった。娘は何も語ろうとはしなかった。鬼泣き山で、よほど恐ろしい目にあったのだろうと人々は噂した。
 娘は村の尼寺の世話になる事になった。縁談が幾つも持ち込まれたが、何年かして自分も仏門に入り、そこで尼僧として生涯をまっとうした……。


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