ひまりんのつれづれ日記

感じるままに何でも書けたら・・・

明日から

2006-06-30 21:29:49 | Weblog
JR東日本の大人の休日ビューカードの企画3日間乗り放題12000円で、明日から二泊三日で青森の次男のところにいくことにしました。
ネコが二匹いるらしいので、ネコ喘息になりそうだから、お掃除しといてねと電話したら、「そうする」って言ってくれたから、気分転換に2ヶ月あっていない次男の顔と、ネコちゃん2匹見てきます。
どんなネコたちでしょう。撮影できたら、帰ってからUPしますね。
だから少しお休みします。

なぜ今年はアレルギーが強く出たか

2006-06-29 19:11:40 | Weblog
なぜ今年はアレルギーが強く出たのか、自分なりに考えてみた。

私は小さいときは卵アレルギー、牛乳アレルギーだった。
この頃は卵を食べても平気と考えていたので、最近毎朝卵をひとつ、キャベツなどを添えて食べていた。そしたら、太ってきた。それに疲れやすいなと思ったので、ビタミン剤も朝とることが多かった。
それが悪かったのかな。先週木曜あたりから、目が変だし、頭に、細かいボツボツができた。眼科でもらった疲れ目用の目薬をつけたら、これも合わなかったらしく、おでこにまで赤くなりかゆかった。
それで、土曜には内科の世話になるし。
娘との電話では、「お母さん私が出てから弱くなったね」
そう、家に人が減って、暇になったのも、自分の身体の不調に目が向く原因だったかも。

天気の日は、なおつらかった。スイカは紫外線のダメージにいいとテレビでやってたけど、たしかに暑い日にスイカを食べるといいようだ。
頭のボツボツは内科でもらったアレルギーの薬が効いているのかだいぶ楽だ。
自分の身体に合う食べ物をとるということは大事かもしれない。
納豆とか豆腐とか、果物とか漬物とか、ヨーグルトとか野菜、あと肉や魚適量。
サプリメントに頼るのも考え物だ。季節のものを食べて、身体もなるべく動かそう。
何か元気になれそうな気がするんだけど。

少しだけお邪魔虫

2006-06-28 20:00:20 | Weblog
昨日は、親友Kにビワを渡したくって電話した。この前あったときにビワが好きだと聞いていたからである。お祝いだし、うちのビワももう最後の収穫だ。
「今日会えない?」
「今日はちょっと駄目なんだ。どうして?」
ビワ渡したいことを伝えると、彼女も欲しいといって、ちょうど今日は彼に会う日だからその前にといって約束が取れる。
後からまた電話がかかってきて、食事を一緒にとのことだった。今体調も悪いし、あったときに決めるといって電話を切る。
都内の喫茶店で会う。彼もやってくる。少し恥ずかしそう。
お茶飲んで、私がよいインタビューアじゃなかったから、私がベラベラしゃべっちゃうし、これはどう見てもお邪魔虫だと、私も気がついて、体調と、明日のパートを理由にあとにしました。彼らはお似合いのカップルでした。
K,彼と幸せになってください!

彼女からはおいしい肉まんセットいただきました。12個もあったのに昨日と今日でみんなで食べちゃいました。

私は人よりおせっかい!

2006-06-26 21:44:31 | Weblog
私は変なところに押しの強いところがある。主人にそんなことよしなよと止められることがある。
そのおせっかいが功を奏して、今日よい知らせがあった。私がおつき合いを勧めた親友が、うまくいくかもしれないのである。突然知らせてくれた!おどろき!やはり縁があったのだという思いに、うらやましいな~やはり独身はいいな~という思い!
だって恋愛中だよ、うらやましいよね。神様も40年目の再会で、結び付けてくれるなんて、粋なことをしてくれますね。
独身のみなさ~ん、クラス会はやはり出会い、再会の場所ですよ。あなたを待っている人がいるかもしれません。ぜひ参加してみてください

医者との会話~ストレスは

2006-06-24 19:14:36 | Weblog
昨日一日寝ていたが、体調があまりよくなっていないので、今日主人に病院に連れてってもらった。医師は50歳くらいの男の先生で、割と細かく病状を聞いてくれる。細かく聞いてくるので、私も正確に言わないとやばいなという気がしてくる。
アレルギーテストと血液検査をするという。まあ念のためにいいでしょう。
昨日は吐き気がしたといったところで、医師がそれでは今度胃カメラの検査をしましょうという。いや食欲のなかったのは2日だけですので、いいです。胃カメラは以前飲みましたが、もういいですと断る。こんなことで相手のペースに乗って何でも検査されてはされては大変!(せっかくのわずかなパートのボーナスも医療費できえかかっている)
「ストレスがあるのですか」と医師。
「あります」
「何ですか?」
「将来の不安です」
「そんなことですか」
何故か医師はややがっかりした様子。
さっきちらりと見えた私の主人との喧嘩か何かとだとも思ったのだろうか。
「ストレスはあったほうがいいですよ。ないとのんべんだらりとしてしまう」つづけて「こちらの受け止め次第で、相手も出方が変わったりもしますよ」
(だから、夫婦喧嘩じゃないんだって!)

まあ、たしかに主人のお金に対する考え方とか、子どもの教育に関しては、ぶつかったこともありますけどね。こうみえても私たちは仲がいいんです~と言いたかった私でした。

くちなしのかおり

2006-06-22 00:05:05 | Weblog
今日仕事場に行ったら、くちなしの花が生けてあった。花好きのF田さんが持ってきてくれたのであろう。私の机のすぐそばだったので、一日気分よく働けた。帰る頃に見ると心なしか、匂いを出し切ったのか、疲れて元気がなくなったように見えた。
くちなしは幼い頃、自宅の玄関の脇に何本か植わっていたので、懐かしくて好きな花である。父の好きだった花だ。
青虫がつくので、困る木でもあった。父はそれを割り箸で取って、退治していた。
私も何度か、うちに買ってきては、鉢植えにするが、いつも青虫にやられるせいか、駄目にしてしまう。結構難しい木なのであろうか。

気分よく帰ってきたはずだが、夜になってご飯を作る頃には、頭が痛くなった。風邪かな。主人も風邪ひいちゃって、声ガラガラだし・・・

今日は職場の人で、血栓のため急死した人の告別式があったので、その参列のために来た
友だちが顔を出してくれた。
「元気そうじゃない!」っていってくれる。
「うん。でも太っちゃって、腕上げると痛いんだ」って答える。
9月から、彼女に会える曜日に、勤めの日を調整するつもりだ。

おちつかない

2006-06-20 22:24:21 | Weblog
テレビをつけてもサッカー関連の番組が多い。こうなると、22日のブラジル戦が終わるまで、決勝トーナメントに行けるかどうか決まるまで、落ちつかなくて、ブログも書けない。私はサッカーファンではないんだけど、どうも回りに流される。
困ったもんだ。
・・・とネタのないのをサッカーのせいにする。

敵もさる者 父の日編

2006-06-18 18:10:01 | Weblog
主人が娘にメールを出したらしい。
「Yったら」と言って主人が返事を私に見せる。
主人はわざと、「日曜は父の日だけど、心配しなくていいから」
と打ったらしい。
すると娘は「父の日も母の日も何もしないでごめんね。」と打ちかえしたのだ。
「いいじゃない、愛想のある文面で」と私。
主人は娘から何かしてもらいたかったのかしらね~

主人は暇なときには、メールを子どもに出しているようだ。娘も一緒にいるときには、メールがうるさいなんて言ってたけど、少しは父心が分かってきたかな~
私は携帯を持っていないので、ちょっとさびしいけどね。

おじいちゃんの誇り

2006-06-17 14:07:52 | 家族のこと
おじいちゃんが呆けたとか、頑固だったとかすぐ言ってしまうので、おじいちゃんのいいところも書こう。

義父は九州に本社のある新聞社の記者だった。人付き合いは嫌いだったが、ちょっと変わったところがあるので目だったのだろう。義母とは恋愛結婚だったらしい。
昭和19年だかに結婚したようだ。
しかし母一人子一人だった義父は、実母にべったりで、義母の入る隙間もなく、義母は百年の恋もさめた・・・という状態だったらしい。でも二人の間には3人の息子ができ、うちの主人は末っ子の三男である。祖母にも父にも母にもかわいがられたみたいだった。
主人が5歳くらいの頃、もう義父と義母は一緒に住むこともなく、義父は祖母といつも一緒に転勤していたようだ。

あの頃水俣病のことが話題になり、義父はそれを記事にして告発する立場だったの
で、「俺は水俣病のMといわれた」と
まだ頭が確かな頃、義父はよく誇りを持って喋っていた。

義父は電話が好きだったので、私はしょっちゅう呼び出された。ある日すぐ来いというので行ってみると、義父はあのアパートで古い水俣病関係の記事が見つかったと
私に見せるのであった。見せると、もう帰っていいと追われる。
愛想のない、すごいマイペースな性格だった。

新聞が好きで、もう読めなくなったら終わりだといっていた。20年前くらいは
投稿マニアで、朝日の読者欄によく投稿していたみたいである。採用されたこともあったようだ。
亡くなる3年前くらいから、パーキンソン病が進んで、前立腺肥大で尿も出なくなってしまったから、カテーテルをつけて、ベッドと車椅子。亡くなる半年前くらいからは足も曲がって、車椅子にのるのも苦しくなり、ベッドのみとなったと思う。
好きな新聞を読めなくなってから、3年は過ごしたこととなる。
亡くなったのは2002年(平成14年)12月5日夜中、ちょうど次男の入試の日であった。

写真はヒメシャラですよね。近所に咲いていました。

おじいちゃんの呆け方

2006-06-16 23:55:13 | 家族のこと
おじいちゃんの最後の病院は老人病院だったので、それなりの臭いとかがあるせいか、主人はあまり行きたがらなかった。
私は週2~3回行くようにしていたので、おじいちゃんも私の名前は覚えてはいなかったが、どうやら顔を見せれば自分の関係者、使用人か何かとわかるらしかった。ある日主人を伴っていくと、おじいちゃんは息子の姿を見たとき、「金もっていそうな人だな~」といったのはおもしろかった。それを思い出して笑い話にしていた。
おじいちゃんがこんなこと言ったとか、ああだったとか、笑いながら話すことができたのは、好運だった。明るく話せることができたのは、主人が明るい人であったからかもしれない。

おじいちゃんは家庭的には不幸な人だったせいか、看護婦さんの手をにぎったりすることもあった。看護婦さんや、介護士さんと結構たのしく過ごしていた時期もあったようだ。
お昼にはなるべくいって、食事の介護をしたので、最後の口からの
食事は私がスプーンで差し出したゼリーだったのかなと思う。

おじいちゃんはよく食べる人でした。施設にいたときは、人の分までとることもあったみたいです。
自分のお母さんとは仲良かったけど、奥さんや嫁さん運はなかったね。
今度会ったときには何か文句言われるでしょうね。