0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

「クラウド・アトラス」という映画

2013-09-02 10:43:22 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」




先日「クラウドアトラス」という映画を観ました。

6つの時代を舞台に、生まれ変わったひとたちが時代によって、いろんな人生
を歩み、かつどの時代でもお互いが関わり合い、時に愛し合い、時に殺し合い
傷つけあい、また生まれ変わって・・・というお話でした。

単に子孫、ということではなく、それぞれの時代に別の人格、別のキャラクター
となり、それでもお互いが関わりあう、といういわば「魂のグループ」が、
輪廻していく、というお話でした。
(分かりにくい?)


こういう「世界の真実」を突いた(ような)お話は、レビューを見ても賛否両論
です。

「なんか気になってしょうがない」というひとも居れば、
「見て損した。勧めない」というひとも。

もちろん、いわゆる「ただの映画」なんだから、どう感想を抱くかは自由なんだ
けれど、やはりある程度「気付いて」いるひとや、この社会が「なんかおかしい」
と思っているひとほど、気になるんじゃないかな、と思います。

ただ、SFやファンタジー系に興味がない、くだらないので見ない、という人は、
おおむね「眠りながら生きている」ひとが多いです(断言)


僕は、地球から脱出したひとたちは、きっとオフィルのひとたちだったり、エササニ
のひとに進化して行くのかもしれないな・・と思ったり、崩壊後も地球で生きる人
は、文明がなくなってもひととして生きようとするか、
それとも振動を下げて野蛮な弱肉強食に戻るかに分かれるんだ・・・
と思ったりしました。

さらに、この映画の中で地球に残され、一度文明を失ったと描かれている人々こそ
が、ムー・アトランティス崩壊後の、僕ら(の先祖)のことを描いているんだと。
(!)



振動を上げることが出来ず、文明をリセットされて再び一から始めるひとびと。

気が遠くなる時間を経て、輪廻を繰り返し、いまの僕らに進化していくような・・・。

ちなみに現在の世界には、アトランティス時代からの生まれ変わりが最も多いそう
です(バシャ-ル)

でもそれも、それぞれの「魂」が「選択」して、そういう人生を繰り返すんです。

決して強要じゃない。
(でもそこから「先」に行こうとするなら、もっといろんなことに気づけないと
 ・・・です)

そして、

こういう世に出る作品というのは、著者や製作者に「必ず」メッセージが送られて
います。
すべて自分自身で考えた、思いついた、と思っていますが、それはすべて、高次元
からの、ハイアーからの高振動なメッセージに他なりません(ホンマに!)

でも必ず、そのメッセージは受け取る人(作者)のフィルターを通しますので、内容
がストレートに、世に出ることはありません。
かならず作者がその生き方、信念で無意識に「歪めて」受信しています。
(「神との対話」より)



なので作品がなんであれ、全体を通して良いか悪いかではなく、そのなかで汲み取る
部分があるかないか、そこにピンと来るかどうか、が重要なワケです。
(もちろん、このつたないブログもそうです)

例えば、先日夜中に、太古から蘇った巨大サメと巨大タコが戦う、という全く愚にも
付かない(失礼!)映画をやってたので、なんとなく録画して観ました。
(そういうの好きでしたから^^)

そんなどうしようもない作品(ただの主観です^^;)のなかでさえ、主役キャラが
大事な場面で

「直感が、最も頼りになるんだよね!」 

という真実、鶴の一声を発します。つまり、そういうところに「ん?」と思うか
どうか。



クラウドアトラスのなかでも、

「ひとはすべて、つながっている」
「考えることが、人生に大きく影響を与える」

ということを言っています。
これって、ド真ん中の真実ですが、それをどう捉えるられるか、というのも「気付き」
の度合いに拠ります。
恐らく、ほとんどのひとにはなんとなく、抽象的に、しか聞こえないことでしょう。

でもそこから、なんだろう、この感じは、と思い、レビューに書く人も居るわけです。



この映画を撮ったウォシャウスキー姉弟監督は、過去に撮った「マトリックス」の
なかでも

「大事なのは選択だ」

という、真実の言葉を、これまた大事なところで主役に言わせていました。
この監督はサブカル的にかなり振れてますが(笑)インスピレーションを受けやすい
のかもしれませんね。

そういやウォシャウスキー兄が、性転換して姉になっていたことにはちょっと吹いて
しまいました(笑)
しかしこの世の中、いろいろ驚くことがあっても、それはすべて、あなたがなにか
しらの「思い込み」を基準にしているからに過ぎません。


あなたの前で起き、あなたが知るものごとは、すべてニュートラル。
「ただの現象」と分かれば、実は「驚く」ことって、実は世の中にはほとんどあり
ません。

・・・そう思うと、普段からあまり驚かないひとって、たとえ無意識でもそれが
分かっているのかもね。



さてさて、とにかく、
もちろんエンタメだけではありませんが、「気付きのきっかけ」になるものは、
実はいろんなところに転がっています。

出来る限り、早々に、気付いて行きましょう!

どんどんそういう物事を、人生に引っ張り込みましょう。軽やかにね^^


まあ、この作品は(構成上)ちょっと分かりにくい映画かも知れませんが(笑)




シャーマニック・ライフ2  トマト栽培編

2013-09-01 15:11:36 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」



こんにちは^^

4月にフルーツトマトの苗を植え、ずっと育てていたのですが、7月になって
実が付き始め、毎朝、もぎたてフルーツトマトを家族で食する、という贅沢な
毎日を送っていました。

うちは庭のないハイツ暮らしなのでベランダにプランタを置き、小さな2株を
植えました。
それが3カ月後、ともに150cmを越え、全部で約20個~は実がなりました。
現在も2メートルを越え、成長中。


自分で果物のなる木(?)を育てるのは初めてだったので、いろいろ調べながら、
試行錯誤してました。でもそれゆえに気付くことも多かったです。

例えば、実がなってる枝も結構な太さになっているんですが、収穫するとき
ハサミは要りません。
そっと実を掴み、傾けるとカンタンにもげます。

よく見ると、枝に接点になっているうっすらした部分があり、そこで外れる
ようになってます。それはまるで、「はい、どうぞ^^」とトマトに言われている
みたい(笑)



でも実際、この春以降は朝起きたらまずベランダに直行、枝振りを眺めながら、
なんとも優雅な早朝の数分間を満喫していました。

恐らく、これが僕にとってひとつの瞑想時間になっていると思います。

なぜなら、青々とした葉の様子、実って徐々に黄色~赤に色づいたトマト、
早朝の青空のコントラストを、なんとも美しく感じてしまい、それだけで感動し、
感謝しているからです。
(もちろん、トマトだけじゃなく、早朝の空、そして飛び交う蝶や、すずめの
 さえずりにもね。)

意識を拡張しつつ、ここはなんて素晴らしい場所なんだろう!と。

もちろん、一般的にもっと素敵な環境はあると思いますが、これは本人の「主観」
であり、本人がどう思えるか、こそが大事なことです。


植えようと思い、植えることがなければ、こういう時間や感覚もなかったわけで、
前回のことばを使うなら、なんとも「シャーマニックなひととき」なのであり
ます(笑)

どうして始めようとしたのか?と思いだそうとしても、それはただなんとなく、
としか言いようがありません。

「なんか、トマトとか育ててみようかな」

という、なんとなく、というところがインスピレーションなのは間違いありません。



で、自分で育てた(本当は、自然が育ててくれたんだけど)ゆえに、自分でカット
するときに、「ああ、このヘタもなんかに使えないかな?もったいない・・・」
なんて、普段スーパーで買ったトマトなどでは、絶対思わなかったような感情が
湧くわけです。

でも一度こういう感覚を持ってしまうと、買ったものに対しても、これまで以上に
愛着が湧き、感謝の思いを強く持つようになりました。

それにしても自分で、自分が食べる食物を作るって、なんかスゴイ。
それは、規模はごく小さく、カンタンではありますが「農」をやってみて気付いた
ことであります。



ちなみに・・・

動物も植物も、人間のコトバよりも、感情の方をとらえます。
もちろん、感情の乗った言葉にはもっと反応します。

だから今回も、トマトには、よく我が家で育ってくれてるなあ、とか、キレイな
実を付けてくれてありがとう!とか、そういう言葉を掛けながら触れながら、育て
ました。

そうすると、植物って大事にしてくれるひとが必要な栄養素を分析して、その
実に蓄えてくれるそうです。ファンタジーっぽい情報に聞こえますが(笑)素粒子
で「全て」が途切れることなく繋がっているとすれば、逆に当たり前のことです^^

つまり、声を掛けたりせず、機械的に大量生産すると、本来の栄養価は落ちると
いうこと。

これってスゴイと思います。

でも同時に、こういうことも、僕らは忘れて生きています。
思い出しましょう。



この世界の動物も植物も、本来は優しく、ゆかいな存在だということを。
もともと、めっちゃフレンドリーな彼ら。
そしてそれをどうとらえるか、というのもあなた自身で、それもまたあなたの
「現実」となっているということです。


やはり、すべてはあなた(自分)自身の思考が世界の全て、というところに帰り
ます。