この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
おはようございます^^
最近、久しぶりにDVDで「コンタクト」という映画を見返して
いました。
宇宙からの信号をキャッチし、解読し、設計図を作り、ワーム
ホールをくぐり抜け・・・
というお話です。
原作は著名なSF作家であり、博士であるカール・セーガン(故)
監督は「バックトゥザフューチャー」などのロバート・ゼメキス。
主演はジョディ・フォスター。(見返す一番の魅力は
ここにある?笑^^;)
映画に限らずですが、ジャンルを問わずに「心に残る作品」と
いうのは、なにかしらの「真実」を内包している場合が多い。
(実はそういう意図が働いて、作品が世に出る、ということを最近
知りました)
だいたい、その映画(作品)の内容全てが正しいとか、間違っている
とか、大雑把に「白黒」付けることは、非常に雑な判断であり、意味
がありません。
何に関しても、「こころに響く部分」をくみ取ることが出来るのは、
こころ(内なる存在)に繋がった、あなただけなのですから。
内なる存在の好奇心が感じるモノゴト、それらはすべて、
「あなたにとっての真実」☆
劇中、ワームホールをくぐり抜け、目の当たりにした宇宙のあまりの
美しさにジョディは、
「ここに来るべきは科学者でなく、詩人なんだわ」
と言います。
これこそ、外に向かう「科学」と、内に向かう「精神(信仰)」の融合。
やはりこの両者は、お互いを補い合う存在であり、現在のように分離
している状態こそ不自然なのです(早速、核心を突いてます)
そして彼女は宇宙の彼方で、設計図を送ってきた「宇宙人」と会います。
しかしその場所、姿は、主人公の記憶から形成された風景であり、姿
だった。
・・・振動の高い存在は、低い存在(我々)の想像通りに、その姿を
見せることが出来る。
その理由は「コミュニケーションがとりやすいように」
・・・こういった描写にも、真実が見えます^^
しかしこの物語の最後、ジョディは、本当に宇宙を旅してきたのか?
幻覚ではなかったのか?と、調査委員会から強く問い詰められます。
なぜなら、その宇宙設計のポッドに、人間が勝手に載せた全ての機器
(レコーダー)には、なんの記録も残っていなかったから。
つまり、「証拠」 がなかったから。(で、出た!笑)
主人公は、この経験が幻覚であった「可能性」を「科学者として」
認めます。
しかし、断固として、「全てが幻覚」だったとは認めません。
なぜなら・・・
(以下セリフ抜粋)
「・・・私は、確かに経験しました。証明できないし、説明もでき
ません。でも私の全てが、全存在が、こう告げているのです。
『あれは事実だった』と。
私は、素晴らしいものをもらったんです。生まれ変わるような・・・
宇宙の、あの姿を見て、私は、改めて気づいたんです。
我々が、いかにちっぽけな存在であるかを。
そして、いかに貴重であるかを!
・・・私は知ったんです。我々は、「より大きなものの一部」だと
いうことを。
我々人類は、決して孤独ではありません。
そのことを伝えたい・・・そして、みなさんに、ほんの一瞬でも
感じてもらえたら・・・
あの時の、畏敬の念と、そして希望を。
そう願ってやみません・・・」
このシーンは作品の持つメッセージの核心であり、まさに「宇宙の真理」
をストライクド真ん中に、セリフに反映しています^^☆
主人公の言葉を聞く大衆こそが、いまの社会の大多数です。
「証拠があるから、見えたから、確認できたから、信じるのではない」
その言葉を聞き、あなたが感じ、あなたの信じたことが、
「あなたの見るものとなる」
そしてそれは、あなただけの真実(現実)になります。
毎度書いてますが、他者の意見や、常識(とされるもの)などは、マジ
でどうでもいい。どうでもいいんです。
(それらこそが幻覚だから)
唯一大事なのは、あなたがどう感じるか。
・・・最後に、レコーダーにはなにも記録されてなかったが、実は18
時間も作動していた、ということがチョロっと語られます。
まあ、エンタメ映画作品なので、こういうちょっとした「証拠」になる
ようなスパイスも必要なんですね^^
でも、僕らの日常では、何もかもに「証拠」は必要ありません。
「証拠」ばかりを頼りに、行動するのはあまりに窮屈です。
「証拠」がなければ信じられない、と言うほうが、宇宙から見れば
無意味な「制限」
なのでどうかあなたの、温かく、明るく、ワクワクな「現実」を想像
して下さい。
そうすれば、それらは、あなたの目の前で、「現実」となりますから!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
おはようございます^^
最近、久しぶりにDVDで「コンタクト」という映画を見返して
いました。
宇宙からの信号をキャッチし、解読し、設計図を作り、ワーム
ホールをくぐり抜け・・・
というお話です。
原作は著名なSF作家であり、博士であるカール・セーガン(故)
監督は「バックトゥザフューチャー」などのロバート・ゼメキス。
主演はジョディ・フォスター。(見返す一番の魅力は
ここにある?笑^^;)
映画に限らずですが、ジャンルを問わずに「心に残る作品」と
いうのは、なにかしらの「真実」を内包している場合が多い。
(実はそういう意図が働いて、作品が世に出る、ということを最近
知りました)
だいたい、その映画(作品)の内容全てが正しいとか、間違っている
とか、大雑把に「白黒」付けることは、非常に雑な判断であり、意味
がありません。
何に関しても、「こころに響く部分」をくみ取ることが出来るのは、
こころ(内なる存在)に繋がった、あなただけなのですから。
内なる存在の好奇心が感じるモノゴト、それらはすべて、
「あなたにとっての真実」☆
劇中、ワームホールをくぐり抜け、目の当たりにした宇宙のあまりの
美しさにジョディは、
「ここに来るべきは科学者でなく、詩人なんだわ」
と言います。
これこそ、外に向かう「科学」と、内に向かう「精神(信仰)」の融合。
やはりこの両者は、お互いを補い合う存在であり、現在のように分離
している状態こそ不自然なのです(早速、核心を突いてます)
そして彼女は宇宙の彼方で、設計図を送ってきた「宇宙人」と会います。
しかしその場所、姿は、主人公の記憶から形成された風景であり、姿
だった。
・・・振動の高い存在は、低い存在(我々)の想像通りに、その姿を
見せることが出来る。
その理由は「コミュニケーションがとりやすいように」
・・・こういった描写にも、真実が見えます^^
しかしこの物語の最後、ジョディは、本当に宇宙を旅してきたのか?
幻覚ではなかったのか?と、調査委員会から強く問い詰められます。
なぜなら、その宇宙設計のポッドに、人間が勝手に載せた全ての機器
(レコーダー)には、なんの記録も残っていなかったから。
つまり、「証拠」 がなかったから。(で、出た!笑)
主人公は、この経験が幻覚であった「可能性」を「科学者として」
認めます。
しかし、断固として、「全てが幻覚」だったとは認めません。
なぜなら・・・
(以下セリフ抜粋)
「・・・私は、確かに経験しました。証明できないし、説明もでき
ません。でも私の全てが、全存在が、こう告げているのです。
『あれは事実だった』と。
私は、素晴らしいものをもらったんです。生まれ変わるような・・・
宇宙の、あの姿を見て、私は、改めて気づいたんです。
我々が、いかにちっぽけな存在であるかを。
そして、いかに貴重であるかを!
・・・私は知ったんです。我々は、「より大きなものの一部」だと
いうことを。
我々人類は、決して孤独ではありません。
そのことを伝えたい・・・そして、みなさんに、ほんの一瞬でも
感じてもらえたら・・・
あの時の、畏敬の念と、そして希望を。
そう願ってやみません・・・」
このシーンは作品の持つメッセージの核心であり、まさに「宇宙の真理」
をストライクド真ん中に、セリフに反映しています^^☆
主人公の言葉を聞く大衆こそが、いまの社会の大多数です。
「証拠があるから、見えたから、確認できたから、信じるのではない」
その言葉を聞き、あなたが感じ、あなたの信じたことが、
「あなたの見るものとなる」
そしてそれは、あなただけの真実(現実)になります。
毎度書いてますが、他者の意見や、常識(とされるもの)などは、マジ
でどうでもいい。どうでもいいんです。
(それらこそが幻覚だから)
唯一大事なのは、あなたがどう感じるか。
・・・最後に、レコーダーにはなにも記録されてなかったが、実は18
時間も作動していた、ということがチョロっと語られます。
まあ、エンタメ映画作品なので、こういうちょっとした「証拠」になる
ようなスパイスも必要なんですね^^
でも、僕らの日常では、何もかもに「証拠」は必要ありません。
「証拠」ばかりを頼りに、行動するのはあまりに窮屈です。
「証拠」がなければ信じられない、と言うほうが、宇宙から見れば
無意味な「制限」
なのでどうかあなたの、温かく、明るく、ワクワクな「現実」を想像
して下さい。
そうすれば、それらは、あなたの目の前で、「現実」となりますから!