1990年代の中頃に、
成長率の顕著な屈折点
日本の賃金が長期にわたって停滞しているが、ここからの脱出は、2022年の日本にとって最重要の課題だ。
そのためには、なぜこのような長期停滞に陥ったかの原因を知る必要がある。
まず、経済指標の推移を見よう。
図表1に示すように、日本の名目GDP(国内総生産)は1990年頃までは高い成長率で成長した。しかし、90年代中頃からはほとんど変化しなくなった。このように90年代の中頃に、成長率の顕著な屈折が見られる。
日本の経済指標が名目値で90年代中頃以降は成長しなくなったが、これは名目GDPに限ったことではない。
法人企業統計で見ると、企業の売上高もそうだ。売り上げに対する原価の比率もほぼ一定だ。したがって付加価値も増えない(これが、名目GDPが増えないことと対応している)。そして分配率もほとんど変わらない。
このため、賃金の支払い額がほぼ一定の値になっているのだ。
主要国では日本だけの現象
名目GDPの増加は6%、米国は200%
日本の名目GDPの推移を見ると、1980年から95年までに名目GDPが104%増えたが、95年から2021年までは6%増えたにすぎない。
また1995年から2021年までは、実質成長率が名目成長率より高くなっている。
これは、他の国には見られない特異な現象だ。
では、他の国はどうか?
各国の長期的な成長率を比較すると、図表2、3のとおりだ。
1995年から2021年までの名目GDPの増加率は、アメリカ200%、ドイツ87%、イギリス163%、韓国373%であり、いずれも日本の6%よりはるかに高い。
とりわけ、日本と似た産業構造を持つ韓国の成長率が高いことが注目される。
そして、いずれの国でも、日本のような成長率の屈折は見られない。
中国工業化という大きな変化
従来型の製造業は競争力を失う
1980年代から90年代の中頃にかけて、中国の工業化が軌道に乗った。これによって、それまで先進国の中心産業だった製造業が大きな影響を受けた。
この影響は日本だけが受けたわけではない。世界の先進国が同じように受けた。それにもかかわらず、日本だけがこの時点で成長が止まったという点が重要だ。
それは、日本が90年代にバブルの崩壊を経験し、それによる痛手から回復できなかったからだという見方があるかもしれない。
しかし、バブル崩壊の影響は主として金融機関に生じた。それ以外の産業は、全体として見れば大きな影響を受けていない。
また、韓国も90年代の末にアジア経済危機によって大きな痛手を受けた。それにもかかわらず、上で見たように高率の経済成長を続けている。
中国の工業化によって、それまでのタイプの工業製品は安い賃金で製造できるようになった。
その当時の中国の賃金は、日本から見ればタダ同然だった。1995年の1人当たりGDPで見れば、日本が4万4210ドルなのに対して、中国はわずか603ドルだ。
このような低賃金国と同じものを作って、競争できるはずはない。
このため、従来型の製造業は競争力を失った。
最初は雑貨品などの軽工業などだったが、中国の工業化の進展によって、鉄鋼業が影響を受けた。そして、家庭電化製品に影響が及んでいった。
これに対して本来行なうべきは、ビジネスモデルを変え、付加価値の高い製品の製造に転換していくことだった。
高くても売れるもの、品質の高いもの、競争相手がいないものに特化し、新しい分野に活路を求めていくことが必要だった。
つまり中国と差別化を進めていくことが重要だった。
ビジネスモデルを転換せず、
円安による安易な利益増に頼った
ところが、日本はそうした方向転換をしなかった。そして、円安政策によって対応しようとした。
円安とは、日本の労働者の賃金をドル表示で見て安くすることを意味する。つまり、国際的に見れば、低賃金によって生き残りを図ったことになる。
だから、国内の賃金を一定水準に維持するだけで精一杯であり、賃金を上げることはできなくなったのだ。
日本の賃金を上げるためには、国際的に見て競争力を持つ製造業に変えていくことが必要だったにもかかわらず、そうした努力を怠ったのだ。
2000年頃の鉄鋼業の復活は
一時的なものでしかなかった
以上の過程が典型的な形で現れたのが、鉄鋼業だ。
1990年代に日本の粗鋼生産量は減り続け、高炉の閉鎖が相次いだ。
新日本製鐵(現、日本製鉄)は遊園地事業に乗り出した。
福岡県北九州市のテーマパーク「スペースワールド」は、八幡製鉄所の遊休地に90年4月に開業したテーマパークだ。
ところが、その鉄鋼業が2000年頃から復活した。これは円安の効果だ。
製鉄業の場合には、原材料のほとんどを輸入する。しかも、さほど大きな付加価値を加えているわけではない。このような産業が中国に移転するのは、歴史的な必然であったはずだ。
日本の鉄鋼業の復活は、そうした流れに逆行するものと思えてならなかった。
その当時言われたのは、日本の鋼板、とくに自動車用鋼板は高品質であり、他国では生産できないということだった。だから日本の鉄鋼業は競争力があるというのだ。
確かに中国の製品に比べれば高品質のものだったのだろう。しかし、それは、中国の低賃金に対抗できるほど高い付加価値のものではなかった。このことは、その後の鉄鋼業の歴史が示している。
20年の世界粗鋼生産量は、中国が10億5300万トンで日本は8320万トンだ。
ただし当時は、韓国も鉄鋼業を増強させていった。これは韓国の賃金がまだ低かったことによる。
1995年の1人当たりGDPで見れば、韓国は1万2573ドルで、中国の603ドルとは大きな差があるとはいえ、日本の4万4210ドルの4分の1程度でしかなかったのだ。
家電製品でも同じことが起きた
「ボリュームゾーン」という安売り戦略
家庭電化製品について事態が悪化するのは、2000年頃のことだ。
鉄鋼とは10年以上の差があるのだが、起きたことの本質は同じだ。従来のビジネスモデルでは世界の大変化に対応できなくなったのだ。
こうして日本は産業構造の転換が進まず、付加価値の低い産業、つまり生産性の低い産業が残ってしまった。円安によって日本の輸出が増えたが、同時に輸入も増えた。このため貿易黒字が増えることにならなかった。つまり、GDPの成長には寄与しなかった。
この頃、経済産業省は、日本の製造業は「ボリュームゾーン」に活路を見いだすべきだとしていた。新興国用の安い製品を大量に作ることが日本の製造業の生き残る道だというのだ。
平成8年度(1996年)の『ものづくり白書』でもそうした主張が展開された。
どうしてこのように誤った路線をとったのか? 本来は技術革新によって付加価値の高い製品に特化していくべきだったにもかかわらず、それができなかったので、従来の生産体制の中での安売り路線を選ばざるを得なかったのだろう。
しかし、当然のことながら、この戦略も失敗した。
韓国は、90年代頃には賃金が低かった。したがって、中国の工業化に対しても抵抗力があった。ただし、韓国が低賃金国のままでとどまっていたわけではない。
韓国は製品の高度化を図った。このため1人当たりの付加価値が増えた。
2021年の1人当たりGDPは、日本が4万704ドルなのに対して韓国が3万5197ドルと、大きな差はなくなっている(日本の値が1995年より低くなっているのは円安のため)。
OECDの予測によれば、2040年には韓国が5万9338ドルとなって、日本の5万4307ドルを上回る。
そして、60年には、韓国は8万3300ドルとなって日本の7万7241ドルの1.08倍になる。
こうした予測を覆すために必要なのは、20年以上続いた円安政策を放棄し、本来必要である産業構造の高度化を進めることだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)