人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

五井先生はいろんな場で働いておられると思うが・・・

2014-03-26 06:23:16 | スピリチュアル
 (質問)五井先生は、富士聖地にも降りて
来られるし、こういう場にも、そして世界各地で
働いておられると思うんですが…


 (答)そりゃあ太陽みたいなもので、それで
いいんじゃないですか。理屈はいらないと
思いますよ。太陽は大きな光で誰でも
見えるでしょ。朝起きると、春夏秋冬いつでも
あなたを照らす。五井先生というのは、
いくつもの分身がいて、縦横無尽に行けますから、
呼べば必ずどこでも行きます。その人が見える
見えないにかかわらずね。
 こういうことを(五井先生からのメッセージを
受ける意味)やれる人は本当は沢山いるんです。



 (質問)え、他にもですか?


 (答)いる筈です。いなきゃおかしい。
 みんながそうやって分けられていって、
みんなが平和にしていけば楽ですよ。しかし、
私という我(が)が混ざるとへんになる。
 たとえキリストが再臨しようが、そこに
私の想いというものが混ざり出したら、へんな
風になるでしょう。だから、ここにいる人は
利害なんてものは全然関係ない人でしょ。何も
思わない人でしょ。だから出て来ている。
 そういうことじゃないですか。ですから、
みんなが素直になれば、みんなが五井先生に
なるんです。みんなが五井先生の光を受ける
ことが出来るんです。

神様が全部 借金払いをしてはくれないのか

2014-03-25 06:35:38 | スピリチュアル
    (前回の質問の続き)
 (質問)全部はだめなんですよね(笑)


 (答)そうですよね。そうやって自分の肉体がどんどん
霊化される。神様の力によって霊化されることは非常に
楽だけれど、地球を、自分の力である程度耕やしてゆく
ということがあって、次の星にも行けるし、天界での
仕事も出来るし、つまり、生まれ変わらなくてもよろしい
という通行手形を、そこでもらうわけですよ。
 もう生まれ変わらなくていいですよというのは、本当の
ことなんだけれども、今、全部資格が整っているわけ
じゃない。皆んな、やはり悩んでいるし、苦しんでいるし、
しんどいしね、色んなことがあるわけでしょう。
 じゃあそれはどう考えたらよいかというと、100万円
のうちの80万円は、四次元の印によってかりとり
ますよと。しかし、あとの20万か30万は自分で算段
つけて何とかやれよということですね。その20万か
30万の自分のことだけで四苦八苦するんじゃなくて、
地球人類の平和とか、この世界に微妙なる神の光を
降ろしていこうというのは、あなた方には、もう出来る
ようになっているんです。それを1万人なら1万人の
人がね、世界平和の祈りを祈って、先頭をきらないと
だめな時期に来ているということです。

 国と国が分かれ、主義と主義が対立し、もうそんな
時代ではないけれども、最後のアガキが出て来ている。
 その最後のものというのは、ものすごく強烈な現われ
ですね。それが地球人類全体が平等に浴びている訳です。
 ところが、世界平和の祈りのような、救済力の強い
お祈りで少しずつでも浄化されてくれば、その業も
浴びなくて済むんだけれど、強烈に強い光が
入りすぎると、初めて参加の人たちにはその人自身が
ダメになってしまうことがある。だから、その人たちを
守るためにも、今は会員だけということにして
しまわないとだめだということですね。
 実際に会員一人が祈ると、その人の先祖のすべての
ものがぐっと引き上げられていく、その位の力が
あるんですね。皆さんの祈りというのは、その光が
入ってゆくと、先祖は横につながっていますから、自分
以外の人にも全部いく。タテヨコにつながって
いますからね。

 以前は体を運んでそこで行(ぎょう)をするという
形ですね。ゲスト出席でもその人が参加しないとだめ
だった。しかし今は、行かなくても、霊体でそこへ来る
ということが出来るようになった。但し、肉体意識が
強い人が入ってくると、粗い波動で受けるので、多少
祈りが深くなっている人達がやらないと辛くなりますよ
ということです。

本部行事では 特別な光が降りてくるのか

2014-03-24 07:45:23 | スピリチュアル
 (質問)本部行事に参加する場合、特別な光が
降りてくるのでしょうか。


 (答)霊妙なものが全部降りて来ます。その
霊妙なるものを、みんな受ける器に成長しつつ
あるんですね。しかし、個人的なものは、なかなか
変わらなくて、先程言ったように、自分自身の宿題
として果たして行かなきゃならないものだけが、
あとに残るわけです。自分が払っていかなきゃ
ならない借金は、もちろん神様の方から援助が
あるけれども、神様が借金を棒引きしたとしても、
二割三割は自分で払いなさいよと、それが
ある訳です。

頭が痛い人の相談の時・・・

2014-03-23 05:56:22 | スピリチュアル
 (質問) 頭が痛い人の相談の時、霊光写真
などを当てたりしてあげたりしますが、祈り言を
教えた方がよいですか…?


 (答) その人がそれをしていやでなければね。
 霊光写真を当てると、平和の光、祈りは
入ってゆくのだから、何も言葉で伝える必要は
ないんです。心の中で祈りをしていれば
いいのですよ。それで、本当にその人が求めて
来れば、あの写真当ててもらってとても楽に
なったけれど、これは何かしらと、向こうから
言って来るから、備えられていますからね。
 こちらが力(りき)む必要はない。自分の
気持ちの中で唱えてあげればいい。

(WPPCに)病院からも来てますが・・・

2014-03-22 05:57:39 | スピリチュアル
 (質問) じゃあーうちの病院から二人
来てますが…?

 
 (答) 患者さんも、家族の人も、職員の
人も全部来ている。その病院が建つまでの
土地の縁もあるでしょう。
 例えば、その病院に、もし呪縛霊的な
執着があって離れられないというような
ものがあったとすると、それも全部浄めら
れてゆくわけです。
 だから、あなた方が来るということだけで、
あなた方が動くだけでパァーッと浄められて
ゆく。だから何も考えなくてもいいんです。
 力まなくてもいいんです。神様がして
下さる。そういうものなんです。ですから、
成就するんだ、大丈夫だと思ってやること。
 自信を持ってやること。

 しかし、肉体人間の私がやろうと
思っちゃあだめです。そういう力みが
入ったら、汚れ、にごって、苦しくて、業
しか来ない。私が背負いましょうとね(笑)、
私が何かしましょうと思うとね、それは
ものすごくしんどいんです。肉体だから
すごくしんどい。
 受けなきゃならない人もあるけれど、
みんながみんなそれをやる必要はない。
 みんなそれぞれの持ち場で、何ごとかを
分担してやっているわけでしょう。

 ですから、みんながそんなもの背負って、
十字架を背負ってやることはない。その為に
私が来たのだから。
 五井先生と呼べばいい、神様って呼べば
いいし、守護霊様、守護神様って呼べば
いいんです。それでみんなつながって
行くんだから。何もこれをやらなくちゃっと
思ってやる必要はない。何をしたって、
目標を定めてどうだこうだと思って
やる必要は全くない。時期が来たら、それは
成る。

 300、ここに有るとしたら、ここで撒か
れる為にある、どこかで、その時期に
まかれる為に300ある。300をどうしよう、
なんて思うと捌(は)けませんよ(笑)
 500どうしようと思ったって捌けません。
 1000来てどうするなんて思ったら、
こりゃ捌けませんよ(笑)ね。成るように
成っているから成るんです。たとえそれが
計算違いのようにみえても、来るように
なっているから来る。(笑)だから、それを
待っていればいいのね。祈りながら待って
いれば絶対そのようになる。力んで
する必要はないんです。

 その為に四次元の光を降ろしたんです。
 それで、光が通りやすくなってる。
 例えば、普及活動というのは、入会を
すすめることではなくて、人間が
こういう風に生きて行ったら、光の生命に
なりますよ、みんなそうなるんですよ
ということを広めてゆくということでしょう。
 一つの宗教が大きくなるために普及活動
するのであれば、そんなものは解散した方が
いい。それは神様のみ心の中に入らない。

 神様のみ心というものは、大宇宙の大調和
であり大愛である。その光が人間の心の中に
ふり注がれて、人間の本来の生命へ
帰るために、世界平和の祈りというものが
宣り出されてこちらへ来たんだから、そこへ
帰って行くための運動でなければいけない。
 一つの宗教なんて、役目が終われば解散
されていいわけです。世界人類というものが
神様につながっていて、神様から分けられて
来た生命であるということを喜び合える、
その為の援助として我々が祈りの先達として、
パイオニアとして新しい世界の先達として、
ここに居るんだという、ただそれだけの話。

 しかし、他の人に比べて偉いとか、他の
人達は心境が低いとか、そんなことを思う
権利は誰にもない。みんな平等な神様の愛児
なんだからね。先程も申し上げましたように、
これからは、人間対人間、国対国とかいう
レベルではなくて、この地球の、宇宙
すべてのものが神様の息によって造られて
いる、愛によって造られているのだから、
みんなが等しくそれぞれ分かれて来た生命
だというところへ思いを致して行くと言う
ことが、本当の意味で、世界平和を来たら
せることになるわけです。
 ですから、この先生がこう言った
あの先生がこう言ったとか、そんな小さな
ことに思い煩うことはない。放っとけばよい。
 肉体人間ですから、時に間違うことも
あるし、時にややこしい中に巻き込まれる
こともある。
 色々なことがありますよ。しかし、それも、
神様の大きな目から見たら、朗らかなもので、
それ自体はかわいいものです。何を忘れては
いけないかというと、祈りを忘れては
いけないという事です。それだけです。
 非常に単純なことです。ですから
その単純なことを日々実行して下さい。