人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

我らのふるさと

2010-06-21 03:58:39 | スピリチュアル
 この間はお盆でね。沢山の人がふるさとへ

向かって、ひかりや飛行機などを使って

大移動をしましたよね。毎年毎年あれを

やるんだね。何故、ふるさとへ向かって

人間は帰るのかなあと思うけれどもね。

なつかしいんですよね。

やっぱり、自分の生まれたところ、

育ったところ、そして、自分を快く迎えて

くれるところ、飾りがとれるところ、

それがふるさとでしょうねえ。


 私も、新潟と東京と両方ふるさとをもちま

したけどね。どっちもいいですね。

私は、私の生きていた時はねえ、母の中に

やっぱりふるさとを見てましたね。

小っちゃい母でしたけどね。いつもニコニコ

して、私のすることに絶対の信頼をおいて

くれてね。あれは有り難かったねえ。

あれがなかったら、私は修行出来なかったんじゃ

ないだろうかしら。そう思いますよね。

他の人が、五井さんどうかしたんじゃないかとかね、

気がちがったんじゃないかとかね、色々言っても、

まあ心配そうな顔しましたよ、ですけど、

絶対に信じてくれたものね。昌久が変なことする

訳はない、絶対大丈夫だと。

だから私はやれたんだなあ。


 そういう母親の信頼というものをね

今思い返してみると、これがやっぱり、神様の

愛に通じるなあと思いますねえ。

何やっても神様というのは許して下さる。

例え神様なんていないなんて悪口言ってもね、

やっぱり大きな愛情で抱きとって下さる。

揺ぐことがないんですよね。母親の愛と

同じだねえ。あるいは、父親もそうですよね。

父親の愛でもいっしょですよ。やっぱり、

そういうことが基盤になってますね。

そういうのを我々はふるさとに求めるんじゃ

ないでしょうか。

絶対に裏切られないもの。よく人が死ぬ時が

近くなると、生まれた所へ帰って死にたいとか

言いますでしょう。死病にかかった人なんかがね、

絶対にふるさとの土と空気と山と川、そういう

所を見て死にたいと思いますでしょ。それは

やっぱり、そういうものに抱かれて安心して

死んでゆきたいという想いが、自然に湧き起る

からですよ。それが人間の自然な心というもの

ですね。


 ところで、私達は、生まれて色んな所を

ふるさとにもっているんだけれど、で、

ふるさとを離れて過ごしている人も沢山

いるんだけれども、私のふるさとは何かと

いうと神ですねえ。神への郷愁という本を

書いたけれどもね、これはもう変わることの

ないふるさとですね。

神様というのはね、これはもうとてつもなく

大きな愛でしょう。で、その愛というのは

高くて、そうしてもう何ともいえない安心感、

ここへ帰っていけば間違いないですよ。

絶対に間違えっこないんです。だから、私達は

安心して文句も言えるし、恨み言も言える。

とに角神様なんだから。しかし、我々はそこへ

帰るということだけではなくって、そこへ

出発点にしてね。そこがふるさとなんだという

こと、我々は神のふるさと人なんでね。

原稿にも書いたけどさ。

そのふるさと人である我々が神様というふるさと

から出発して、色々な所へ光を撒いてるんだと

いうことねえ。そうして、エネルギーがきれたら

そのふるさとへ戻ってね、神様お願いしますと

いって、祈って、そして、光をもらってね、

又働く。

こんないいことはありませんねえ。


 このふるさとはなくならないですよ。例えば、

日本では、あるいは世界だって、今土地が狭く

なって、海を埋めたりとかやってますでしょ。

新しい都市が出来て街が出来て、そこへ

移り住んでやってるけれども、そのふるさとと

いうものはね、ある時ダムに沈んだり、色んな

ことが重なって、そのふるさとの原形そのままと

いうのはなくなりますよね。

ところが、このふるさとはなくならないんだね。

このふるさとはなくなりっこないんです。これは

我々の魂の元の元ですもの。

神様というのはそうですよ。我々の元の元でしょ。

その元はなくなりっこないんです。


 我々の生命だって、ずっと生き通しだというのは

観念論じゃないんです。本当にずっと我々は

抱かれてゆくんですけど、それはこの神様という

ふるさとをもってればこそね、我々はそういうものを

実感することができる。

暖かいんですよね。とても暖かい。ちょうど

私の母の絶対の信頼のようなね、そういう暖かさ

ですね。それがあるから、それを自分の体の中に

貫いて見ちゃったから、私は本当の私に

出会っちゃったから、だから、私はあなた方に

自信をもってね、間違いのない世界が神様という

世界があって、大きな愛があって、それによって

我々が生きているんだということを語りつぐ

ことが出来る。これは間違いのない事実ですね。

それは五井昌久だけにあるんじゃない。

皆の中にあるんですよね。


 そういう信仰は、五井先生だけで五井先生

ならではだと皆言うけれど、そうではない。

ならとか京都じゃないんです。皆が同じ

ふるさとをもっていて、そして、その

ふるさとが絶えることがなく我々の中にあり、

我々が帰ろうと思えば、そこへいつでも帰る

ことができる。そこを思えばね、我々の

エネルギーも何もかも新たにされていく

ということですよね。

そこを忘れてというか、忙しくなっちゃうと

皆この世の中だけになっちゃうけど、その

ふるさとへ帰ろうと思えば祈ればいいんです

からね。祈って、そして、神様の名を

呼んでね、守護霊さん守護神さんの名を

呼んでねえ、やってる時にはあなた方はもう

ふるさと人ですよね。ふるさとへ帰ってる

訳ですよ。

いつでも帰れる。いつでも癒してもらえる。

そういうものを我々は皆もってるんですね。

だから、この我々の宝というもの、朽ちる

ことのないふるさと、神様というものを

大事にして呼びかけて、そして、皆が神様の

愛を受けた子供なんだということを覚えてね、

毎日毎日が過ごせてゆけるように、

どうぞ精進なすって下さい。