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ダークフォース 第二章 VI

2009年09月22日 20時30分06秒 | ダークフォース 第二章 前編
   Ⅵ

 それは、今から五年前の冬の出来事である。

 大陸北東の支配者であるレムローズ王国は、ティヴァーテ剣王国にも匹敵するほどの広大な国土と軍事力を備えた大国である。
 その国風は閉鎖的で、他国との交易などは一切行わず、自国の力のみで立つ傾向にあった。故に文明も他国より、より中世的で、国民の生活水準も低い。
 しかし、一方で多数の屈強な戦士を輩出する国でもあり、その軍事力は突出している。
 大陸の北には他に、ノウエル叡智王国(現皇帝)、ガルトラント、ハイランド北海王国が存在するが、当時のレムローズ王国の影響力は、次の皇帝位をも狙えるほど強大で、ティヴァーテ剣王国あればこそ、大陸の均衡が保たれていると言っても過言ではなかった。
 レムローズ王国は強大だが、多数の国民を抱える上、国土の三分の一が凍土で覆われており、残された土地も痩せている為、厳しい冬ともなると、しばしば食糧危機に陥ることもある。
 故に、肥沃な大地を求めてやや好戦的な行動を取る国でもあった。
 家族を飢えさせない為、愛する人に十分なパンとスープを与えることが出来るなら、兵士たちはそれだけで戦う理由を正当化できた。
 戦わなければ、その代償として、愛する家族の誰かを失うことになるのだから。
 
 当時のレムローズ王国が、次の皇帝位すら狙えるほど強大と呼ばれたのには、ある理由があった。
 元来、名将ハイゼン候率いるレムローズ王国軍は、屈強であることも知られていたし、独力でギーガ戦に臨めるほどに、その兵たちの錬度は高い。
 だがその戦列に、英雄とも呼べる優れた二人の王子が加わったのだ。
 一人は第一王子である、ローヴェント王子。
 ハイゼン候に師事し、知略に優れた黒髪の美青年。
 後に賢王と呼ばれるであろうと云われたこのローヴェント王子は、武芸の才にも秀で、その戦士としての能力も、レベル92と極めて高い。
 あと一人は、弟のカルサス王子で、知略よりも武勇に優れる彼の資質を見抜いたハイゼン候は、彼を一流の戦士として鍛え上げた。
 カルサス王子の戦士レベルは94。
 この数字がいかに強力であるかということを説明するには、その上が大陸最強の剣王と謳われるバルマード、ただ一人しかないということで十分であろう。
 この二人の王子の加入により、レムローズ王国軍は常に勝利を繰り返し、国民は二人の王子たちに熱狂した。
 そして国民の過剰な期待に応える働きを、二人の王子はやってのける。
 二人の父である当時のレムローズ王は、病に伏せっており、余命幾ばくもないと噂されていた。
 王妃は二年前に他界しており、王室は不幸が続いていたが、二人の王子の活躍の陰に消される形で、国民は王の病状よりも、いつローヴェントが王に即位するのかという、その時期の方に関心を集めていた。
 英雄王の誕生ともなれば、長年、ティヴァーテの風下の立たされていたレムローズ王国の民たちも、自国の王が皇帝になれるかも知れないという強烈な誘惑に、ついには目覚め始め、王室の不幸など消し飛ぶほどに、レムローズ王国の民たちは王子二人への期待を過熱させていた。
 ハイゼン候は、王子たちを戦列に加えるには時期尚早だったのではないかと、そのあまりの過熱ぶりを危惧した。
 ハイゼン候自身は、レムローズ王国軍が行っている侵略行為自体には後ろ向きで、むしろ交易を復活させ、国家の財を切り売りしながらでも、民たちを一人でも多く飢えから救い、無用の争いを避け、民たちを慎ましくも平穏な日々へと導きたかった。
 ローヴェントやカルサスも、ハイゼンのその意見には賛成であったが、病床にある王はそれを許さず、故に好まざるとも戦う必要に迫られた。
 そのような状況にあって、このレムローズ王国の王室に、実は第三の王子が存在していたことなど、民たちは知る由もなかった。
 それは、今は無き王妃と病床の王がその王子の存在自体をひた隠しにしてきた為なのだが、その王子は、名を『エリク』という。
 現在、アメジストガーデンにいるあのエリクこそが、その第三王子である。

 エリクは、時のレムローズ王の命により、十五の歳に至るこの時まで、王子としての生活を強いられてきたが、本来は姫である。
 そして、エリクは間もなく、十六歳の誕生日を迎えようとしている。
 エリクは言いつけを素直に守り続け、忠実に自分が姫である事を他者に悟られないように努めてきた。
 何故、エリクがそんな真似をする必要があったのかは、今の時点では『神の啓示』とだけ言っておこう。
 エリクの行動範囲は、レムローズ王国の王宮のさらに奥のごく一部に限定されていた為、譜代の重臣たちであっても、第三王子の存在自体を知らぬ者も少なくはなかった。
 二人の兄たちは、エリクの存在をもちろん知ってはいたが、二人がエリクと接触しようとすると、王も、王妃も共に嫌な顔をした。
 エリクの教育係を任されていたハイゼン候だけは、誰をはばかる事なくエリクに会うことも出来た。
 勘の鋭いハイゼンは、何故、エリクをそんなに人目に触れさせない場所に隔離するような真似をしたのか。そして、二人の兄のですら、妹であるエリクと会うことに嫌悪感を示す王と王妃のその行動を、長年、王家の執務に携わる者としての経験から、雰囲気的に察することが出来た。
 確かに、その不可解な行動の理由を、ハイゼンが直接、王たちから告げられていたなら、彼も王や王妃同様、二人の兄を、妹であるエリクに近づけない行動を取っていただろう。
 が、そこまで明確な理由をハイゼンが知る由も無く、時折、人目を忍んで会いに来る二人の優しき兄と、その素直なまでに弾むエリクの笑顔に流され、ついハイゼンはそれに目をつぶってしまう。
 エリクがまだ幼い頃は、二人の兄とエリクの関係も、とても仲のよい兄弟として、誰の目から見ても微笑ましい光景といえたのだろう。
 しかし、ハイゼンが初めてエリクに出会った時に直感したものが、時の流れと共に現実化して来ると、やはり、自身の判断は甘かったとハイゼンは思い知らされる。
 エリクは、天才である。
 それも、ハイゼンがその人生で初めて出会ったと断言出来るほどの才気に満ち溢れ、その秘めたる力たるや、英雄の名で呼ばれる二人の兄ですら遠く及ばないと、ハイゼンはエリクの成長を見守りながら、それを実感させられずにはいられなかった。
 日に日に、美しさが磨かれていくエリク。
 だが、美しいという言葉だけでは、彼女を語ることは出来ない。その精神はとても気高く気品に溢れ、その心は慈愛に満ち溢れている。
 一言で形容するなら、それは紛れも無く彼女のその存在は、『天使』そのものである。

 それより、一年前。
 彼女が十四歳から、十五歳となる冬の季節を迎える頃には、すでに王子と押し切るのには、あまりにも無理があった。
 美しく成長したエリクのその姿は、大陸に並ぶものがないと言えるほどの絶世の美姫であり、その存在を国の内外に知られていたなら、この麗しき美姫を巡る為、戦争をも辞さぬという王や諸侯も数多いた事だろう。
 王と王妃が、そのエリクの存在を王子と偽ってまで、ひた隠しにしたのは、これを見越しての事だったのだろうとハイゼンも納得したが、理由はさらにあった。
 ハイゼンはその理由については、後で知ることになるのだが、偶然にも二人の兄、ローヴェントとカルサスは、その理由を先に知り得たのだ。
 それは、さらに時を遡ること一年前。
 王妃が最期にレムローズ王と交わした言葉を、二人の兄が耳にした事に始まる。
 聞こうと思って耳にしたわけではない。
 王妃の危篤の知らせに駆けつけた二人が、その軽く開いた扉の前で、半ば強制的に聞かされてしまったと言っていい。
 二人の兄は計らずも知り得たその事実を、知らねばよかったと強く後悔する。
 その年の冬、十四歳の誕生日を迎えたばかりのエリクは、二人の兄を心から魅了してやまないほどに、可憐で心優しい少女に成長していた。
 端整な顔立ちのせいもあって、その年齢よりはやや大人びてみえる。
 さすがにこの頃ともなると、二人の兄たちもエリクが自分たちの妹であることは知っていたし、彼女が二人の目の前で、類まれなほどに美しく成長していくその姿に、エリクもまた、一人の『女性』であるということを、二人は意識せざるを得なかった。
 まだその時点では、蕾(つぼみ)である彼女だが、あと一、二年もすれば、この世でたった一輪の、比類なき美しき薔薇を咲かせる事は、容易に想像出来る。
 それだけならいい、妹が美しく成長するのを見守るのも、兄としての当然のことだと、優しい二人の兄たちは、そう割り切れた。
 だが、王妃の残したその言葉は、あまりに衝撃的だった。
 
 エリクが、彼女が、自分たちと血が繋がっていないとは一体、どういうことなのだ!?
 
 しかも、十六歳の時を迎えると同時に、最愛の妹を、神に奪われてしまうとは!!
 ローヴェントとカルサスは、王妃の言葉に苦悩する。
 これまでは、可愛い妹でよかった。
 しかし、それが妹ではなく、『異性』へと変わる。
 二人とも、エリクの事は以前からずっと、心より愛している。
 彼女に触れると心が安らかになる。
 彼女の傍らにいることで得られる充足感は、他の何ものにも代え難いものであった。
 一年と経たずに彼女は、レムローズ王国の薔薇姫と称えられるほどに、麗しき絶世の美姫と成長するであろう。
 その姿は、今のままでも十分といっていいほどに美しい。
 そのエリク姫をこの手にすることが出来るのなら、成人した彼女を妻に迎えられるのであらば、この国の王位など要らぬと思わせるほど、二人の王子にとってエリクの存在は強烈で、同時に、とても大切で、いとおしい存在であった。
 また、それだけの想いがあるからこそ、彼女を傷付ける事が何よりも恐ろしかったし、その彼女が、神へと捧げられる身であるという事実は、とても受け入れられる事ではなかった。
 王国の繁栄の身代として、王と王妃に育てられたエリク。
 血が繋がらない妹。
 その出生は、未だ謎のままだ。
 ローヴェントとカルサスはその事実を知った時、共に彼女を守ろうと誓い合う。
 それからの二人の王子の活躍は、以前に増して目覚しいものとなり、レムローズ王国はより強大に勢力を増し、かの大陸最強の剣王擁するティヴァーテ剣王国とも肩を並べ、その勢いに至ってはティヴァーテすら押し退け、大陸一とさえ称されるほどの、超大国へと成長していく。
 エリクが、その貧しき土地を潤す為の対価ならば、その必要がなくなる程に富国に努めればいい。
 神が、私たちの天使を奪いに来るのであれば、その神さえ寄せ付けぬだけの強大な力を有すればいい。
 ローヴェントとカルサスは、極限にまで自己を高め、その運命(さだめ)と向き合うことを決意する。
 カウントダウンは、二年後の冬。
 こうして、二人の王子たちの『時間』との戦いは、その幕を切って落とされたのである。

ダークフォース 第二章 VII

2009年09月22日 20時26分53秒 | ダークフォース 第二章 前編
    Ⅶ
 
 レムローズ王国の王宮のさらに奥にある小さな居場所。
 エリクと呼ばれる第三王子は、その限られたかごの中の世界で月日を重ねていた。
 普段のエリクは、麻色をした厚手の外套でその身を覆い、深々とそのフードを被っている。
 他者と会う時も出来るだけ、言葉少なに挨拶を交わし、自分が女性であるというその正体を、王の言いつけ通りに、ひたすらに隠し続けていた。
 しかし、師であるハイゼン候と、二人の兄との面会の時には、自分で縫った白地の木綿のドレスに着替え、少しだけオシャレに気を使った。
 外界との接点の薄いエリクは、ドレスの仕立ても給仕たちのそれを真似て作ったものであり、彼女たちの持つハンカチにあるレース編みの刺繍が気に入ったのか、独学でそれを学び、ドレスにそのレースの刺繍を施してみたりもした。
 そのドレス姿でいる自分を見ると、二人の心優しき兄たちは、いつにも増して、にこやかな笑顔を見せてくれるのだ。
 ハイゼン候は、感情をあまり表に出す方ではなかったので、それを褒めてくれる事はないのだが、目元の辺りが少し優しくなるそれを見るのも、エリクにとっては嬉しいことだった。
 この三人以外に、他人との接点がないといっていいエリクにとって、二人の兄とハイゼンの存在は、この世界の全てと言っても過言ではなかった。
 故に、このような軟禁生活のような状態が続いていても、エリクはそれを不満には感じなかったし、また、それを少しでも不満に感じて、この愛すべき三人にその事を悟られるのは、エリクにとっては耐えられない事と言えた。
 この小さな世界には、笑顔が溢れている。
 エリクはそれで、十分に満足であった。
 だからこそ、大事にしたかった。
 自分の、小さいかも知れないが、優しさで溢れたこの楽園を。
 そして、今年もまた、レムローズ王国はその大地を深い雪に覆われる季節を迎えていた。
 レムローズ王国の王都エーザヴェスは、王国内でもやや北側に位置し、その更に北となると永久凍土が広がっている。
 故に冬ともなると、厚い雪に閉ざされた王都は完全に孤立した状態になり、街道は雪に埋もれ、国内での流通も大きく制限されるが、自然の作り出すその雪の外壁により、王都エーザヴェスは難攻不落の要塞都市へとその姿を変える。
 外の気温は零下30度から、時に零下70度にまで下がり、身を隠す場所を持たぬ者は次の春まで、雪の中に埋もれるという悲惨な運命を迎える。
 しかし、それを憂いだハイゼン候が、その半生をつぎ込んで完成させた王都エーザヴェスの地下通路により、家を持たぬ民もそこに居場所を移すことで、冬の厳しい寒さからその身を守ることが出来た。
 地下通路とはいっても、かなりの規模の空間が広がっており、地熱のおかげで地上よりも過ごしやすい。
 人が増えてきた昨今では、商いも活発に行われるようになり、建設計画のその見事さから、この巨大な地下空間は、エーザヴェス・第二の都市と呼ばれるような賑わいも見せ始めていた。
 フォルミ大公国との戦いで、快勝を収めた二人の兄、ローヴェントとカルサスの二人は、その地下通路を使って凱旋し、勝利の報告を愛しい姫・エリクに届ける為、王宮の方へと軽快に足を進めていた。
 その途中で、長兄のローヴェントは、次兄のカルサスに言う。
「ガルトラントにも勝ち、フォルミにも勝利した。今年の冬も、手に入れた土地をかの国々に返還してやることで、多額の賠償金を手にすることが出来る。これで、一、二年は、民たちの暮らしも豊かになるだろう」
 体躯の良いカルサスは、ウンウンと頷きながらこう応えた。
「完全に滅ぼしてしまっては、賠償金を得ることも出来ませんしな。仮に滅ぼし、領土を大きく拡張したとしても、その土地の民と我が国の民を同時に養うのは難しい」
 長い黒髪の美しいローヴェントは、領土拡大や皇帝位といったものより、自国民の生活を安定させることを最初に考える、非常に良心的な若き君主であった。
 レムローズ王国の実権は、ほぼ彼の手中に収まっているといえたし、次兄のカルサスは彼に協力的だった。
 しかし、ローヴェントは、今もなお重ねているその侵略行為には早々に見切りを付けたいと考えていたし、どうすれば自国の国力のみで、民たちを潤わせることが出来るのかという議題に、ハイゼン候と共に真剣に取り組んでいる最中であった。
 ローヴェントは言う。
「まずは、エリクへの土産でも買っていこう。この通路の先に、なかなかいい花屋があったと思うんだが、お前も花を買うのはよしてくれよ、カルサス」
 するとカルサスは、それをフフンと鼻で笑って、兄のローヴェントのこう言った。
「ハッハッハッ、すまんな兄貴。オレはすでに、知り合いの仕立て屋のコネで最高級のレトレア織の絹織物を取り寄せてもらっている。エリクが生地を欲しがっていたからな」
「な、なんだと!? それでは私はただの引き立て役ではないか。我が貧乏王家に、そんな高級品を買うゆとりなどあるかっ!! さっさと返品しろ、二週間以内ならなんとかなる!!」
 不意を突かれたローヴェントは、カルサスにそう言うが、聞く耳も待たずといった感じで、カルサスはしたり顔をしてこう返す。
「この深い雪の中で、帝都レトレアまで二週間で返品とかムリだよ兄貴。諦めて、金払っといて。どうせ、財布の紐は兄貴が握っているんだし」
「お前に財布を渡したら、穴が開くわッ!!」
 ローヴェントは納得いかない感じで、仕方なく花屋で出来るだけ良い花を選ばせて、ついでにケーキも買っていく事にした。手ぶらというわけにもいかず、かといって、カルサスに付けられた差は、その場のショッピングで埋められるようなものでもなかったが。
 ローヴェントは複雑な表情をして、右手に花束を、左手にケーキの箱をぶら下げた。
 エリクがそんなことを気にするような子ではないことくらい、二人の兄たちは十分に理解していたが、やはり互いを意識してか、1ミリでも先に出ておきたいという男心がある。
 また、その気持ちがお互いを切磋琢磨しているとも言えたので、喧嘩しながらもその仲の良さは誰もが羨むほどであった。
 この冬、エリクは十五歳の誕生日を迎えた。
 運命の時まで、あと一年を切っている。
 
 エリクの居場所は、謁見の間や、華美な貴賓室の並ぶ、贅の限りを尽くされたレムローズ王宮の、その裏手にあたる。
 そこは、以前は倉庫として使われていた質素な造りの部屋で、多少の改修は成されていたものの、王族が住むにはとても似つかわしくない、古びて寂しい部屋であった。
 そんな軟禁状態にありながらも、エリクはその空間を長い時間をかけ、少しずつ直していき、今では古びた倉庫のような部屋も、豪華とまではいかないものの、とても工夫の凝らされた可愛らしい一室へとリフォームされていた。
 華美を好むレムローズ王や、一昨年他界した王妃は、このような場所には立ち入らない為、そこまで上等な部屋に作り変えられているなど知る由もなく、世話役を任されているハイゼン候は、エリクの元を訪れると、しばしば大工の真似事をし、エリクが必要とした材料は、マントの奥に隠して持ち込んでやったりもした。
 王宮内は暖に満たされているが、その裏手に通じる崩れかけの石壁の通路からは、ビュンと隙間風が吹きぬける。
 北の大地に育ったとはいえ、二人の王子たちも少しだけ寒い思いをしながら、その鉤型の回廊の奥にある天使の待つ部屋へと、それぞれの想いを託した荷物を手に、カツッ、カツッと石畳の上に音を立てながら、足を進めていた。
 途中、二人は、ハイゼン候とすれ違う。
「これは、ローヴェント王子に、カルサス王子」
 一礼するハイゼンに向かって、二人はいったん顔を見合わせると、少し遅れて挨拶をする。最初に口を開いたのは、兄のローヴェントである。
「これは、ハイゼン殿、ご苦労様です」
 弟のカルサスもそれに続く。
「師匠が先に見えておられたとは、いやはや、任務とはいえ、有り難いことです」
 二人ともどこか言葉がぎこちなかった。
 それもそのハズ、ハイゼンに、手にしたその下心を見透かされたような気分だったからである。
 二人とも、彼、ハイゼンには頭が上がらない。
 彼は、二人にとって得難い師であったし、何より、何者からもその麗しの君を守ってくれる守護者でもある。
 いわば、愛しの人の、その父親的存在なのである。
 よって、彼の機嫌を損なうような真似は、二人には決して出来ない。
 ハイゼンは、二人の王子がここに訪ねて来るのを察して、先にエリクの部屋を後にしたのだが、彼ら二人の、その不自然な姿が可笑しかったのか、あえて手土産の方には目をやらず、少しだけ口元を緩めた。
「エリク様が寂しがっておられます。エリク様も、お二人のその元気な顔を見られれば、心も安らかになりましょう」
「は、はいっ!!」
 二人は快活の良い返事をして、ハイゼンに一礼すると、その足取りを軽くして、天使の待つ部屋へと向かった。
 ハイゼン候、公認で会えるとなると、もはや気掛かりは何もない。
 普段は、彼の目を盗むようにして、エリクに会いに行く二人だっただけに、自然とその気持ちの方まで軽くなる感じがした。
 そうしている内に、エリクの部屋の扉が見えてくる。
 扉は新しいものに取り替えられており、それは品格のある木製のものだ。その扉に合わせて、壁のタイルもシックなものに取り替えられてある。そこには、ハイゼン候の日曜大工の腕が光る。
 二人は部屋の前に立ち、一度、コホンと咳払いをして襟を正すと、コン、コン、っと扉をノックする。
 すると、扉の向こうからゆっくりした足音が近付いて来る。
 開かれる扉から、暖炉の明かりが漏れ出してくると、とても優しい顔をした天使が、背の高い二人の兄たちを、見上げるようにして出迎える。
「いらっしゃいませ、お兄様方。さあ、こちらへ。すぐに、あったかい物でも入れますね」
 二人は揃って、エリクのその眩いばかりの微笑みにドキッとさせられる。
 レムローズの薔薇姫の美しさは、日を立つごとに磨かれており、会うその度に二人の兄たちは、エリクのその美貌に魅了されていった。
 エリクはさらに心の方まで純粋に育っており、その穢れなき心に触れると、小さな雑念や迷い事などは洗い流され、二人の兄たちは自然と、彼女に対する紛れのない心からの笑みが浮かんできた。
 二人が通されたその一室には、暖炉の明かりと温もりが満たされており、パチパチっと小気味良い音が、暖炉の方から聞こえてくる。
 補修された木製の椅子には綿の入ったクッションが取り付けられており、テーブルには、白い木綿のレースの刺繍の入ったクロスが敷かれていた。その、手間のかかったレース編みが、女の子らしさというか可愛らしさをアピールしている。
 板を打ち付けただけだった壁も、いまは暖色系の壁紙に覆われており、使い勝手のよいように、手製の棚が取り付けられている。
 その棚の上からエリクは、貴重品であるレトレアンティーの入った箱を取り出し、惜しげもなくその茶葉を使うと、ミルクと角砂糖をティーカップに添えて、テーブルに着いた二人の兄たちに差し出した。
 エリクは手製の白い木綿のドレスに、ベージュ色のエプロン姿である。
 そのあまりの愛らしさに、折角の手土産を渡すことを忘れ、二人の兄たちは未来の新妻(願望)の姿にだらしなく見惚れていた。
 エリクは紅茶の入ったカップをテーブルの方に置くと、すぐさま、良い香りの漂ってくる方へ姿を消した。
 この兄たちの訪問を、事前にハイゼンに耳打ちされていたエリクは、少し奥にあるキッチンで、様々な形のクッキーを焼いて用意していたのだ。
 それらがテーブルに並べられると、エリクも席に着いて、その両手で愛らしく頬杖をつくと、二人の兄の方を見つめてこう言った。
「クッキーは、自信はありませんが、紅茶は一級品です!! しっかり、飲んでくださいねっ」
 ローヴェントもカルサスも、このままエリクの調子にその身を任せていたい気分になったが、贈り物をテーブルの下に引っ込めたままでは、あまりにも格好がつかないので、まずはローヴェントの方が、エリクへのプレゼントをそっと差し出した。
「花とケーキなんだが、よかったらと思ってな」
 と、恥ずかしそうに差し出すローヴェント。
 さすがに稀代の英雄と呼ばれるローヴェントであっても、好きな女性(ひと)を前にしては、これくらいが限界である。
 ローヴェントから花とケーキを受け取ったエリクは大喜びをして、早速、その席を立つと、素早く花瓶に花を移し、それをテーブルの真ん中に置いた。ケーキの方も一度キッチンに運ばれると、三人分の白磁の皿に取り分けられ、それぞれのカップの横に置かれる。
 花瓶の花々は絶妙な色彩感覚で生けてあり、箱から取り出されたケーキも、わずかな時間で施された繊細なアメ細工のおかげで、高級感が漂う仕上がりとなった。
 それらは、二人の兄たちを感心させる。
 エリクが再度、席に着くと、テーブルはより華やいだものへと生まれ変わっていた。
「ローヴェント兄様のおかげで、紅茶に負けないものが用意出来ましたっ!! 私のクッキーだけでは、やっぱり寂しいですもんね」
 そんなことはないと、ローヴェントはエリクの焼いたクッキーを口にする。
 お世辞抜きに、涙が出るほど美味いクッキーで、バターと砂糖のバランスが素晴らしく、甘いのに後味がサッパリとしている。焼き加減もサクサクで最高だ。
 ローヴェントは、しみじみとそれを味わい感涙するが、エリクは冗談が過ぎるといった感じで笑っている。
 カルサスの方も、それを口にするがやはり美味い。
 さすがにカルサスも、このタイミングで自分のプレゼント渡すと、またエリクを席から立たせる事になるのを気遣い、やはり後で渡すことに決めた。
 花やケーキとは違い、早く出した方がよいという類の物でもなかったし、レトレア織の包みは少し大きいが、それ以上にカルサスは体躯が良い為、マントの奥に隠すのは簡単だった。
 よく考えればエリクにこの段階で、のどから手が出るほど欲しがっている絹織物の、しかもその最高級品にあたるレトレア織など渡したら、彼女の頭の中から二人の存在は跡形もなく消し飛んでいたことだろう。
 結果的に正しい判断をしたカルサスは、レトレアンティーを口に運びながら、エリクのその弾けんばかりの笑顔を楽しんでいた。それは、ローヴェントの方も同じで、見慣れた相方よりも、麗しき美姫の方へと自然と視線は行くものである。
 エリクはとても明るい正確な上、おしゃべりも得意な方だった為、多少、二人が口下手であったとしても、会話はリズム良く交わされた。
「今度、お兄様方にあげる手袋を編もうかと思っています。本当は編み上げてからそう言った話をするべきなのでしょうけど、ついさっき、ハイゼン様からカシミヤの毛糸を頂いたもので。やはり、ここはハイゼン様の分も気合入れて編むべきでしょうね!! 当然、そうなると私の分は余りませんがッ!!」
 ローヴェントもカルサスも顔を見合わせて、毛糸の手袋を受け取る偏屈じーさんの照れる顔を思い浮かべた。
 二人とも、その時のハイゼンの顔は見ものだと、ニヤついてはいたが、三人分しかない手袋をエリクの為に辞退する勇気は持ち合わせてはいなかった。
 やはり、どうしても欲しいモノであるし、エリクが冗談で言っているのもわかっていた。
 ただ、エリクの性格上、辞退すると本気でくれない為、冗談であってもそんなレアアイテムを取りこぼすわけにはいかない、二人の兄たちであった。
「何を、ニヤついているのですか。さては、この私の手には毛織物の手袋より、軍手の方がお似合いだとでも思っているのですね。・・・そうです、よくご覧なさい! この私の手は、働き者の良い手なのですッ!!」
 そう言うと、エリクは二人に両手を、パッと広げて見せる。
 それは、実にしなやかで細い指先をした白い手であり、タコの一つもない、彫刻のように完璧で美しい手であった。
「さあ、兄上様方! この手に、その恵まれた王子として、甘やかされて育った上品な御手を当ててみるのですよ!!」
 二人の兄は、エリクのその繊細で小さな手に見惚れていた為、少し反応が遅れる。
 ローヴェントはかろうじて間に合わせるが、カルサスの方はエリクに半強制的にその手を押し付けられ、その表情がハッとなる。
 柔らかなその小さな手のひらから、エリクの体温が伝わってくる。
 二人の兄たちは、エリクと良く顔を合わせてはいるものの、直接、その肌に触れる機会など皆無であった為、どうしていいものやらわからず、ドキドキと心音だけを高鳴らせた。
「はい、測定完了。これで、正確に手袋を編めると思いますっ」
 そう言って、両手をパンっと合わせたエリクに、やられたといった感じの顔をさせられた二人だった。
 楽しい時間というものは、どうしてこうも早く流れ去ってしまうのだろう。
 エリクと共に過ごす数時間というものは、それこそあっという間であり、同時にそれは二人の記憶に残る、貴重な時間でもあった。
 エリクは何時でも会いに来て欲しいと、嬉しい事を言ってくれるが、ハイゼン候の手前、そう足しげく通う事は、はばかられたし、何よりエリクの存在は、レムローズ王室の秘密なのである。
 今や、英雄とまで呼ばれるようになった兄弟が、それこそエリクの部屋を頻繁に出入りしていては、周りの者たちに怪しまれる。
 ハイゼンの使用人たちなら、さほど問題もないし、彼らは口も堅く忠義に厚い。
 が、一歩、宮廷の表舞台に出たならば、そこは絢爛豪華で、様々な欲望の蠢く、醜い戦場が待っている。エリクの件が、うわさ話が大好きな御婦人たちの耳にでも入れば、間違えなく権力闘争の道具として使われてしまう。
 王は病に伏せっており、第一王子のローヴェントに付くか、第二王子のカルサスに付くかで、にわかに王室内は揺れていた。
 当の本人たちは、そんなくだらない話に興味はなかったし、どちらかの王子を担ごうとする貴族たちも、玉座の脇に堂々と立つハイゼン候の鋭い眼光を浴びれば、自然とその鳴りをひそめた。
 二人の王子たちは、エリクにそれを悟れないように部屋を後にする。
 二人にとってのこの楽園を汚す者が現れるなら、二人は共に手を取り合って、全力でそれ等を排除したことだろう。
 エリクの部屋を立ち去る間際に、カルサスは例の包みを二人からの贈り物だと言って、エリクに手渡した。
 勿論、エリクは飛び上がって喜んだが、ローヴェントはカルサスのその何気ない気遣いがとても嬉しかった。
 煌びやかな王宮へと戻る途中の鉤型の回廊で、ローヴェントは歩きながらカルサスにこう言った。
「すまんな、気を使わせて」
「ハハッ、気にするな、兄貴。払いは、どうせ兄貴なんだしな!!」
「このっ、・・・フフ、ハハハ!」
 こうして、二人の兄弟は肩を抱き合いながら、冷たい隙間風の吹き抜ける回廊を、談笑しながら、歩いていく。
 レムローズ王国の冬は長く、エリクならばすぐに手袋を編み上げてくるだろう。
 ローヴェントがその手袋をはめる真似をすると、カルサスも負けじと両手にはめる真似をして見せた。
 しかし、二人とも言葉には出さなかったが確実に意識していることが一つあった。
 最愛の人である、エリクを失うその日まで、もう一年を残していない。
 来年の冬をこうやって、三人で迎えることは、もう、ないのかも知れない。
 ・・・楽園を踏みにじる者が、この地へとやって来る。
 彼の名は、セバリオス。
 神界フォーリナの主神にして、エグラートの絶対的な神。
 二人は、神と戦う事を決意するのに、何の躊躇いすら感じなかった。
 自分たちの天使を奪いに来る神など、敵以外の何者でもない。
 勝算はなかった。
 勝てる自信すら持てなかった。
 だが、エリクの、彼女の笑顔を守る為なら、二人の兄は、たとえその身が砕けようとも、自ら望んで戦うことが出来た。

 決戦の時は、近い。

ダークフォース 第二章 VIII

2009年09月22日 20時21分48秒 | ダークフォース 第二章 前編
   Ⅷ

 レムローズ王国の秋は短く、すぐそこには冬の足音が聞こえる。
 まもなく、エリクは十六歳の誕生日を迎える。
 北の大地が薄く雪化粧される頃には、王都エーザヴェスは交易や行き交う人々で、一年で最も賑々しくなる。
 約半年もの間、深い雪に覆われる北の大地にあって、それはその半年間を生きる為の物資や食糧の取り引きが盛んに行われる期間であり、その賑やかさが失われるのと同じ頃に、王都エーザヴェスは雪の中に孤立する。
 二人の兄たちは、今日もエリクにべったりで、その手は毛糸の手袋で暖かかった。
 相変わらずハイゼンは、二人の兄たちがエリクの部屋を訪れるのを目こぼししてくれた。
 昨年の冬に比べると、エリクはまた一段と美しく成長しており、これほどの絶世の美女をローヴェントもカルサスも、他に見たこともない。
 レムローズの薔薇姫、まさにそれはエリクに相応しい呼び名と言えた。
 エリクは前の冬の間に、二人の兄から贈られたレトレア織で、非常に素晴らしい白い絹のドレスを仕上げており、それを大事に部屋の隅に飾っていた。
 着てみないのか? と、二人の兄は言うが、エリクは恥ずかしいと言っては、そのドレスを着るのを色んな口実を付けては避けてきた。
 エリクとしては、それは自分の一番の宝物であったし、むやみに着ることで汚したくないとか、引っ掛けて大切な絹地を破いてしまうのが恐ろしかったのだ。
 あと、その豪華すぎるドレスが自分に似合うのかという自信もなかったし、兄たちに笑われるのではと余計な心配もしていた。
 世間を知らないエリクは、自分の容姿に自信がなかったし、自身に対する褒め言葉も、お世辞としか思っていなかった。その気取ったところの無さも、エリクの可愛らしさの一つといえたのだが。
 実際、こんな生活を長くしていたので、エリクは異性に口説かれた経験など皆無で、目の前にいるこの二人は、あくまで『お兄ちゃん』の域を出てはいなかった。
 その兄たちは、この絶世の美姫をその手にしたくて仕方なかったのだが、この三人でいる雰囲気を壊したくないという理由で、どちらもまだ抜け駆けしたことがない。
 こういう場合も、甲斐性なしというのだろうか。
 あまりにもその関係が大切なとき、それが壊れてしまうと思うのは恐怖である。
 自分の全てを捧げても構わない相手ともなると、逆にあれこれ考えさせられてしまい、その『告白』が、勇気なのか無謀なのかさえ、区別がつかないようになる。
 しかし、時間はもう限りなく少ない。
 そして、先に行動を起こしたのは長兄のローヴェントだった。
 
 その日の夜、ローヴェントは単身、エリクの部屋を訪れる。
「こんな夜更けに珍しいですね、ローヴェント兄様」
 エリクはいつもの調子で扉を開けると、ローヴェントを部屋へと招き入れた。
 ローヴェントは言葉少なに、テーブルへと着き、思い詰めた表情をしていた。
 そんなローヴェントの姿を見て、エリクはホットミルクを差し出した。
 ローヴェントがそのカップを手にすると、両手を伝って温かいぬくもりが伝わってくる。
「まずは、冷えた身体をあっためて下さいね」
 エリクがそう言って微笑むと、ローヴェントは一口、ホットミルクを口にした。
 エリクは少し安心したようにして、ちょっとした料理でも作ろうかとキッチンへ向かおうとした。
 その時、ローヴェントがカップをテーブルに置いて、エリクの手を掴んだ。
「どうかなさいましたか? ローヴェント兄様」
 エリクはいたって普通に振り返り、ローヴェントにそう言うと、ローヴェントはスッと席を立ち上がり、エリクの身体をそっと抱きしめた。
「に、兄さま!?」
 これには、さすがのエリクも少し驚いたようで、ちょっとだけ声が上擦ってしまう。
 ローヴェントは細身だが長身な為、エリクは少しローヴェントを見上げるような格好になる。われものを扱うような優しい抱き方だが、ローヴェントの腕から伝わってくる微かな震えは、ローヴェントの真剣さをエリクに悟らせた。
「エリク、頼みがある・・・」
 ローヴェントの瞳は何処か不安げで、エリクは次の言葉を、息を呑んで待つ。
 少しの沈黙の後に、ローヴェントはその瞳を閉じて、エリクにこう言った。エリクを抱きしめる腕に、少しだけ力が入る。
「エリクが十六歳の誕生日を迎えたら、・・・私と、結婚して欲しいんだ」
「!?」
 エリクはその言葉に、ルビーのように赤く澄んだ瞳を大きく見開いた。
 兄からのその告白が、とても冗談で言っているとは思えなかったし、この賢明な兄が何故、妹の自分に求婚するのかも疑問だった。
 ローヴェントの次の言葉が、その疑問だけは解き明かしてくれる。
「私とカルサスは実の兄弟だが、エリク、お前とは血が繋がっていない。つまり、実の妹ではないんだ」
 エリクは、正直、その事を驚いたが表情には出さなかった。
 エリクがひたすらに考えたのは、この愛する兄の為に、一体、何をしてやれるかという事で、ローヴェントのその不安を、エリクは一刻も早く解きほぐしてあげたかった。
 エリクは、話をどう繋げてよいやら混乱しているローヴェントの方を見て、にこやかな笑みを見せると、彼の唇にそっと人差し指を当てて、優しい口調でこう言う。
「わかりました。ローヴェント兄様が望むのであれば、エリクは喜んで兄様の妻になります。あ、えっと、その場合、兄様と言う呼び方はおかしいですよね。ローヴェント様? 旦那様? それとも、えっとご主人様??」
 ローヴェントは、エリクのその言葉に、全ての不安を優しく溶かされる思いだった。
 いつもの表情を取り戻したローヴェントに、クスクスと明るく笑みを浮かべるエリク。
「とりあえず、いつも通りで頼むよ。ハイゼン候や、カルサスの手前もあることだし」
「はい! 兄様っ」
 ローヴェントはそう言うと、再び席へと着いた。テーブルに置かれたホットミルクは、まだ十分にあったかい。
 エリクは普段通りの様子でキッチンへと向かい、ホットケーキを焼き始めた。
 ローヴェントは、安心したようにホットミルクを口にする。
 ローヴェントはこの時、エリクに救われた思いだった。
 どこまでも優しい彼女。
 エリクの性格を考えれば、彼女がそれを断るハズもない事ぐらい、今なら簡単に理解できた。それは例えば、先にカルサスがこの話をエリクにしていたなら、エリクはカルサスに良い返事をしただろうし、少し悔しいが、きっとそれを祝福できる自分がいただろうと、ローヴェントには思えた。
 彼女が望むのは、カルサスやハイゼン候を含めたたった四人の、小さいがとても大切で、とても大事な、楽園とも呼べるこの場所で、私たち三人が彼女の前に、心安らかに笑っていることなのだと。
 ローヴェントはテーブルに差し出された、大きめのバターとハチミツの乗ったホットケーキを口にしながら、こう考えていた。
 エリクへの告白は、焦る自分がさせた事とはいえ、カルサスに相談なしなのは、さすがに気の引ける思いがした。
 まずは、彼女を来たるべき最悪から守り抜いた上で、もう一度、カルサスと相談し、どちらが彼女の人生を幸せなものにするのか、語り合う必要があると。
 幸い、エリクは口が堅いほうなので、軽々しくこの話をカルサスやハイゼンに漏らすことはないとローヴェントには言い切れた。
 テーブルの向かい側に座ったエリクは、大好きなドーラベルンコーヒーを入れて、その香りを味わいながら、ローヴェントと談笑していた。二人の兄はコーヒーが苦手だったが、その豆から挽いたコーヒーの香りは、とても香ばしく、リラックスした気分にさせてくれる。
 ローヴェントが何気にホットケーキをパクパクと口にしていると、二枚重ねのそのホットケーキも、残すところあと一口となっていた。
「ローヴェント兄様が、そんなに食べるのって珍しいですね。カルサス兄様なら、五、六皿はペロっといっちゃいますけど」
「ああ、すごく美味いよ。出来れば、もう少し食べたい気分だよ」
「煽てられては、張り切らないわけにはいきませんね!! 待っててくださいね、すぐに焼いてきますからっ」
 エリクはそう残して、キッチンの方へと向かう。
 ローヴェントは、カルサスには悪いが、少しだけエリクを独占させてもらうことにした。
 静かに更け行く夜に、暖炉からは耳慣れたパチパチッという音が聞こえ、それを意識して聞いていると、室内はより温かな暖色の光に満たされていく感じがした。
 暖炉の横に置かれた揺り椅子で、編み物をするエリクの姿を想像すると、大事に懐にしまっている毛糸の手袋からも、彼女の温度が伝わってくる気がした。
 ローヴェントは、エリクの新しく焼いたホットケーキを子供のようにパクパクと頬張り、あまり遅くならないように気を付けて、「美味しかったよ」と言葉を残し、彼女の部屋を後にした。

 それから、数日後。
 間もなく、エリクは十六歳の誕生日を迎えようとしていた。
 この日の夜、十二時の鐘が鳴ると同時にエリクは晴れて十六歳となる。
 王都エーザヴェスも、降り積もる雪に閉ざされ、人々の姿を見ることもない。
 この日、初めてレトレア織の絹地のドレスを身に付けたエリクは、特別に二人の王子から、豪華絢爛な造りの謁見の間へと招かれた。
 この謁見の間は、レムローズ王国の宮廷中でも最も上等な造りの空間になっており、二人の王子たちはこの広間へと繋がる全ての場所を一気に借り切ることで、エリクをその白いドレス姿のまま、誰の目にも触れることなく、この場所へ招き入れることが出来た。
 警備はハイゼン候、自らが進んで指揮を奮い、辺りはこの上なく万全な状況にある。
 たった三人の姿しかいない謁見の間は、あまりに広すぎるともいえたが、レムローズ王国の贅の限りを尽くしたこの最高の舞台で、二人の王子たちはエリクの晴れの姿を見届けてやりたかった。
 エリクは、金銀の敷き詰められた壁や床、宝石を星のように数多散りばめた天井と、この眩いばかりに華美な空間に、目のやり場に困るほどだったが、何よりその場所で一番の輝きを放っていたのは、当のエリク自身である。
 レトレア織の絹のドレスは、まるで花嫁衣裳のように上品な仕上がりで、エリクはそれを完璧といえるほどに着こなしていた。
 最高級のドレスの白い絹地は、辺りの煌びやかな光を吸い込むように様々な艶色を放っている。
 広間の中央には、二人の王子たちが用意した長方形の晩餐用のテーブルが置かれており、プラチナやゴールドの装飾がなされたそのテーブルを、色とりどりの素晴らしい料理や最高級のシャンパンが彩っている。
 給仕を必要としないよう、事前に全ての料理が盛り付けられているようで、それでも温かいものは温かいまま、冷やしたものは冷たいままで頂けるよう、様々な工夫がなされている。
 エリクは、こんな豪華な食卓など見たのも初めてで、その席は四つ設けてある。
 うち、一つはハイゼン候のものだろう。
 様々な嗜好が全てエリクには嬉しかった。
 喜びが溢れ出すエリクの表情を見て、二人の王子たちはご満悦な様子だ。
「お兄様方、わざわざこんな私の為に、こんなにも嬉しい宴の席を用意してくれたことを、心より感謝します」
 エリクはそう言って深々と一礼する。
 すると、王国で一番の晩餐会場となったこの広間で、カルサスはエリクに言った。
「さあ、堅苦しい挨拶は抜きだ。ハイゼン候がいらっしゃるまでは、まだ時間がある。まずは一曲、踊ってくれるかな、エリク姫」
「はい! カルサス兄様」
「兄貴、なるだけリズムのいいヤツを頼むぜ」
 カルサスの注文に応えるように、ローヴェントはその肩にバイオリンを乗せると、右手に弓を持ち、軽やかにダンス曲を奏で始める。テンポは良いが、上品な音色が室内を満たす。
 カルサスは、ダンスがあまり得意な方ではないが、ハイゼンに仕込まれたエリクのダンスはまさに完璧で、エリクは上手にカルサスをリードした。
 ローヴェントは次々と美しい音色を自慢のバイオリンで奏でるが、自分が踊る時は誰が楽曲を奏でてくれるのかと、ふと思う。
 カルサスは、リコーダーですら戦闘用の角笛に変えてしまうほどの音痴だ。
 結局、ピアノの名手であるハイゼンが来るまで、自分の番は回ってこないことに気付くと、ちょっとだけ萎えた。
 しかし、これほどまでの笑顔を振りまいてくれるエリクの、その清楚で可憐なステップを見ていると、ローヴェントはそんな些細なことなど、どうでもよくなった。
 まずは、集中して丁寧に、曲を奏でようとするローヴェント。
 そうしている内に、ローヴェントが待ち望んだハイゼン候がやって来たので、ようやく、手が痺れるほど弾いたバイオリンをケースにしまうことが出来た。
 すると、カルサスはさっさと宴席に着いてしまい、次いでエリクも席に着いた。
 するとハイゼンも、三人に軽く挨拶を済ませ、すぐさま席に着いてしまった為、結局、ローヴェントもハァ、と肩を落として、流されるように席に着いた。
 ハイゼンは、エリクに言う。
「今宵のエリク様は、また一段とお美しい。まだ、十二時の鐘を迎えるには、あと二時間ほど時間がありはしますが、まずはこのめでたき日に祝杯を挙げましょうぞ!」
 そう言ってハイゼンは、手にしたサーベルでシュポン!! と、シャンパンの口を落とすと、二人の王子の杯にシュワっと発泡する淡い琥珀の液体を注いだ。
 それとほぼ同時にカルサスがシャンパンの口を落とすと、それをハイゼンの杯に注ぐ。
 そして、最後にローヴェントが手にする緑色の瓶のシャンパンの口を彼が落とすと、男たちは一度、席を立ち、エリクを囲むようにして、三人一緒に手にしたそのシャンパンをエリクの杯に注いだ。
 緑色の瓶のシャンパンは、風味を損なわずにアルコール分を0%に抑えた特注品で、未成年のエリクに酒を飲ませる事を許さない、頑固オヤジのハイゼンの用意したものだった。
 やはりハイゼンにとっても、エリクは我が娘同然に可愛かった。
 乾杯の音頭を取ったのは、お調子者のカルサスであったが、宴は大いに盛り上がり、割とかたい方のローヴェントもハイゼンも、今夜ばかりはと幾つものシャンパンを空にした。
 男たち揃ってがほろ酔い気分になると、ハイゼンは「娘は誰にもやらん!」と言い張り、カルサスは、ハイゼンに「お父さんと呼ばせて下さい!!」などと、冗談なんだか本気なんだか分からないことを口々にした。
 ローヴェントは酔ったせいで、エリクをみるたび顔を赤面させていたが、エリク自身はこんなにも楽しい宴を用意してくれた二人の兄と、師であるハイゼンに心よりの感謝をしていた。
 楽しい時間の過ぎ去る早さをエリクが感じていると、次第に宴もたけなわとなり、間もなく、誕生日である十二時の鐘の音の鳴るその時を迎えようとしていた。
 二人の兄とハイゼンはゆっくりと席を立つ。
 その様子は今までと違い、酔った様子など微塵もない。

  ゴォーーン! ゴォーーーン!!

 と王宮の時計台にある鐘が、エリクの十六歳の誕生日を告げる。
 三人は声を揃えて、とても大切な想いを込めてこう言った。
「ハッピーバースデイ、親愛なるエリク姫」、と。
 刹那、三人は一斉に同じ方向へと振り返り、各々の腰に帯びた剣を抜刀する。
 その時、エリクも敏感に感じ取った。
 三人の視線のその先に迫る、その恐怖を。

夜は肌寒くなってきましたね。

2009年09月16日 01時32分57秒 | 日記
こんばんは、井上です。

おでんとか、温まるものを食べたくなる夜ですネ。

九月は時間が取れる予定だったのですが、
八月からなにかとバタバタしておりまして、
更新が遅れております。

なるだけ早く修正を終わらせたいと思ってた
DFの第二章も、
まだ五節目までしか直せていません。
もうちょっと時間かかりそうです。

空いた時間を見ては
ちょこちょことやるつもりですので、
早く仕上げられればと思います。


でわでわ、

 おやすみなさい。^^

気がつけば、もう九月。いろんな秋味に期待です。

2009年09月05日 22時14分23秒 | 日記
こんばんわ、井上です。

日も短くなって、秋が来てるな~って感じてます。
空気も乾燥してきた感じで、肌トラブルの季節なのかなとも感じます。

そういえば、最近、スーパーに買い物に行ったら
マツタケ様が売られてたので、
つい、目がいってしまったのを覚えています。
惣菜・弁当コーナーでマツタケ弁当を見つけられなかったので、
次に期待です。気が早いですね。^^:

テナントのアイスクリームコーナーで、
つい、アイスクリームを食べたくなって立ち止まったりと、
食欲な秋は感じています。


えっと、DFのお話ですが、
読み物の第二章の方が、一通し書き終えましたので、
これから、修正作業(加筆、文書の校正など)をざっとして、
アップできればと思います。
第二章は、第三章の前半部をまとめて入れてしまったため、
現時点で十一節と、ちょっと長めです。^^:
一週間ちょっと、修正に時間がかかると思います。


gotoさん コメント、どうもありがとうございます。^^


でわでわ、
 おやすみなさい。^^