庁議を行う。
鳥インフルエンザや新型コロナウイルス感染症への対応に感謝を申し上げる。
職員提案制度に係る表彰を行う。
業務改善に対する提案で9名に表彰状を贈る。
今日で100歳となられた天田梅子様に慶祝状を贈る。
ご家族の皆様にもお集まりいただいた。
これからもご健康に留意されて穏やかに過ごされることを祈念する。
建築指導課と打合せ。
定例記者会見を行う。
石原信雄様についての質問をいただく。
ロータリークラブ第2分区Bガバナー補佐の久保木雅彦様、伊勢崎ロータリークラブ会長の関徹也様がお見えになる。
伊勢崎ロータリーの加藤学様にも同席をいただく。
市が進めている華蔵寺公園花咲くプロジェクトへボランティアとして活動協力の申し出をいただく。
ツツジの枝に積もった松葉を落とす作業をしていただける。
ありがたい申し出に感謝を申し上げる。
これからJA佐波伊勢崎なす選果場利用組合通常総会に伺う。
伊勢崎市の主要作物であるナスの生産を担っていただいている皆様だ。
肥料や資材、エネルギー高騰の影響も受けている。
JAはもちろん、国や県と連携してしっかり支援してゆきたい。
高品質のナスの安定供給に向けて更なるご尽力をお願いする。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,034人)は、
1回目81.5%、2回目81.2%、3回目65.4%、4回目40.8%、5回目19.7%(1月31日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体751名、県管轄490名、前橋管轄141名、高崎管轄120名)。
「石原信雄」様の訃報を聞く。
石原信雄(いしはらのぶお)様は、1926年〈大正15年〉11月24日生れ、2023年〈令和5年〉1月29日没。
官僚。
元内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。
勲一等。
財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。
自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。
東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。
また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。
1926年(大正15年)、群馬県伊勢崎市(旧境町)に生まれる。
旧制太田中学(現・太田高校)、桐生工専(現・群馬大学)中退、旧制第二高等学校(現・東北大学教養部)を卒業。
1952年(昭和27年)に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、地方自治庁(現・総務省)入庁。
(Wikipediaより抜粋)
国で大きなお仕事をされた方だが地元にも多大なご貢献をいただいた。
平成の合併も石原信雄様にご指導いただき遂行することができたのだと思う。
旧境町の名誉町民となられ、平成17年に新しい伊勢崎市となってからは名誉市民として顕彰がされている。
市長就任後にお会いしてご挨拶させていただいた際にはお元気で地元の話もされていた。
石原様の地元に対するご遺志を受け継ぎ伊勢崎市の発展に尽力することを誓う。
衷心よりご冥福をお祈りする。
鳥インフルエンザや新型コロナウイルス感染症への対応に感謝を申し上げる。
職員提案制度に係る表彰を行う。
業務改善に対する提案で9名に表彰状を贈る。
今日で100歳となられた天田梅子様に慶祝状を贈る。
ご家族の皆様にもお集まりいただいた。
これからもご健康に留意されて穏やかに過ごされることを祈念する。
建築指導課と打合せ。
定例記者会見を行う。
石原信雄様についての質問をいただく。
ロータリークラブ第2分区Bガバナー補佐の久保木雅彦様、伊勢崎ロータリークラブ会長の関徹也様がお見えになる。
伊勢崎ロータリーの加藤学様にも同席をいただく。
市が進めている華蔵寺公園花咲くプロジェクトへボランティアとして活動協力の申し出をいただく。
ツツジの枝に積もった松葉を落とす作業をしていただける。
ありがたい申し出に感謝を申し上げる。
これからJA佐波伊勢崎なす選果場利用組合通常総会に伺う。
伊勢崎市の主要作物であるナスの生産を担っていただいている皆様だ。
肥料や資材、エネルギー高騰の影響も受けている。
JAはもちろん、国や県と連携してしっかり支援してゆきたい。
高品質のナスの安定供給に向けて更なるご尽力をお願いする。
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,034人)は、
1回目81.5%、2回目81.2%、3回目65.4%、4回目40.8%、5回目19.7%(1月31日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体751名、県管轄490名、前橋管轄141名、高崎管轄120名)。
「石原信雄」様の訃報を聞く。
石原信雄(いしはらのぶお)様は、1926年〈大正15年〉11月24日生れ、2023年〈令和5年〉1月29日没。
官僚。
元内閣官房副長官(在任 1987年 - 1995年)。
勲一等。
財務官僚で元内閣府審議官の石原一彦は長男。
自治省官僚時代に自治医科大学(1972年創立)の開学に関わった。
東京都知事選挙落選後は、大宮操車場跡地ほか(現・さいたま新都心)への10省庁18機関の移転にも関わった。
また、埼玉県さいたま市の合併・政令指定都市移行にも関わり、平成の大合併では講演会や顧問などの形で様々な市町村合併にも関わった。
1926年(大正15年)、群馬県伊勢崎市(旧境町)に生まれる。
旧制太田中学(現・太田高校)、桐生工専(現・群馬大学)中退、旧制第二高等学校(現・東北大学教養部)を卒業。
1952年(昭和27年)に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、地方自治庁(現・総務省)入庁。
(Wikipediaより抜粋)
国で大きなお仕事をされた方だが地元にも多大なご貢献をいただいた。
平成の合併も石原信雄様にご指導いただき遂行することができたのだと思う。
旧境町の名誉町民となられ、平成17年に新しい伊勢崎市となってからは名誉市民として顕彰がされている。
市長就任後にお会いしてご挨拶させていただいた際にはお元気で地元の話もされていた。
石原様の地元に対するご遺志を受け継ぎ伊勢崎市の発展に尽力することを誓う。
衷心よりご冥福をお祈りする。