メガネのイタガキ文化ホール伊勢崎(文化会館)で行われた殖蓮公民館文化祭に伺う。
地元の皆様が大勢お集まりいただいている。
コロナ禍でもこうした文化活動に取り組まれている。
感謝を申し上げる。
三郷地区住民総合作品展に伺う。
今回も力作が並んでいる。
しかし、参加できないサークルもありコロナの影響や高齢化が心配される。
市民活動の活性化に行政としても取り組む必要がある。
今日、100歳を迎えられた小林菊江様に慶祝状をお渡しする。
自立した生活を送られていらっしゃる。
昔の楽しいお話も聞かせていただく。
人生100歳の時代を牽引している尊敬すべき方だ。
人権フェスティバル㏌伊勢崎を開催する。
小中学生によって画かれたポスター作品は見事。
また中学生の作文朗読に目頭が熱くなった。
人権教育の重要性を実感した。
戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演は聞くことができず残念。
伊勢崎市議会「伊勢崎クラブ」の市政報告会に伺う。
議会との議論を通した連携が伊勢崎市の未来を作って行く。
今日の上毛新聞に戦没者等追悼式の記事が掲載された。
次の式辞を述べた。
式辞
ご遺族並びにご来賓の皆様を始め多くの関係各位ご臨席の下、令和四年度伊勢崎市戦没者等追悼式を挙行するにあたり、謹んで式辞を申し述べます。
散る紅葉に寂寥の思いばかりが深まる今日この日に、ご参列の皆様とともに、遠く異国の地で絶え間ない戦火に見舞われ、帰らぬ人となられた方々、また戦争の混乱の中で不幸にも尊き命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、かけがえの無い肉親を失いながらも敗戦の痛手を乗り越え、荒廃した国土に襲来した幾多の困難をも克服し、懸命に戦後を生き抜いてこられたご遺族の皆様方のご労苦に心より敬意を表するとともにこの地の発展にご尽瘁されたことに深く感謝申し上げます。
新型コロナウイルス感染症という未曽有の疫病に見舞われ三年間にわたりこの追悼式を挙行できず心苦しい時を過ごしてまいりました。この間に国際社会では国家間の対立が顕在化し、超大国の指導者に協調への取り組みは見られず、世界は大いなる危機の中にあるといえます。そうした中、世界の恒久平和を目指し、平和国家日本を構築するために私たちは何をなすべきでしょうか。
戦後七十七年の年月を経て、あの忌まわしい戦争の記憶は失われつつあります。しかし、もう一度、この地においても空襲に見舞われ多くの市民が命を落としたということ、戦争は目の前で起きたことだということを再確認し、戦争の悲惨さ、酷さの記憶を時代の証言として記録し、保存して行くことこそ、今を生きる私たちに課せられた重要な役割であり責務であります。その思いを多くの皆様と共有し、実現に向けての地道な努力と絶えることのない活動をしてゆくことをお誓いいたします。
戦前から戦中にかけて伊勢崎市を支えてこられた先人の生き様とこの地に対する揺ぎ無い郷土愛は、きっと多くの伊勢崎市民に理解され、日々の生活を通して次の世代へと受け継いでいかれるものと信じております。
ご遺族皆様方とともに、思いを半ばに来世へと旅立たれた御霊の未来永劫に安らかならんことを希い、式辞といたします。
令和四年十一月十日
伊勢崎市長 臂 泰 雄
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,248人)は、
1回目81.2%、2回目80.8%、3回目64.0%、4回目29.7%、5回目0.6%(11月10日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体1321名、県管轄776名、前橋管轄302名、高崎管轄243名)。
今日は、「心平忌」。
詩人の草野心平の1988(昭和63)年の忌日。
草野心平(くさの しんぺい)は、1903年(明治36年)5月12日生れ、1988年(昭和63年)11月12日没。
詩人。
福島県石城郡上小川村(現・いわき市田中小川町)出身。
(Wikipediaより抜粋)
1929年から1930年にわたり前橋市に住み、上毛新聞社に勤務していた。
群馬に所縁の詩人。
地元の皆様が大勢お集まりいただいている。
コロナ禍でもこうした文化活動に取り組まれている。
感謝を申し上げる。
三郷地区住民総合作品展に伺う。
今回も力作が並んでいる。
しかし、参加できないサークルもありコロナの影響や高齢化が心配される。
市民活動の活性化に行政としても取り組む必要がある。
今日、100歳を迎えられた小林菊江様に慶祝状をお渡しする。
自立した生活を送られていらっしゃる。
昔の楽しいお話も聞かせていただく。
人生100歳の時代を牽引している尊敬すべき方だ。
人権フェスティバル㏌伊勢崎を開催する。
小中学生によって画かれたポスター作品は見事。
また中学生の作文朗読に目頭が熱くなった。
人権教育の重要性を実感した。
戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演は聞くことができず残念。
伊勢崎市議会「伊勢崎クラブ」の市政報告会に伺う。
議会との議論を通した連携が伊勢崎市の未来を作って行く。
今日の上毛新聞に戦没者等追悼式の記事が掲載された。
次の式辞を述べた。
式辞
ご遺族並びにご来賓の皆様を始め多くの関係各位ご臨席の下、令和四年度伊勢崎市戦没者等追悼式を挙行するにあたり、謹んで式辞を申し述べます。
散る紅葉に寂寥の思いばかりが深まる今日この日に、ご参列の皆様とともに、遠く異国の地で絶え間ない戦火に見舞われ、帰らぬ人となられた方々、また戦争の混乱の中で不幸にも尊き命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、かけがえの無い肉親を失いながらも敗戦の痛手を乗り越え、荒廃した国土に襲来した幾多の困難をも克服し、懸命に戦後を生き抜いてこられたご遺族の皆様方のご労苦に心より敬意を表するとともにこの地の発展にご尽瘁されたことに深く感謝申し上げます。
新型コロナウイルス感染症という未曽有の疫病に見舞われ三年間にわたりこの追悼式を挙行できず心苦しい時を過ごしてまいりました。この間に国際社会では国家間の対立が顕在化し、超大国の指導者に協調への取り組みは見られず、世界は大いなる危機の中にあるといえます。そうした中、世界の恒久平和を目指し、平和国家日本を構築するために私たちは何をなすべきでしょうか。
戦後七十七年の年月を経て、あの忌まわしい戦争の記憶は失われつつあります。しかし、もう一度、この地においても空襲に見舞われ多くの市民が命を落としたということ、戦争は目の前で起きたことだということを再確認し、戦争の悲惨さ、酷さの記憶を時代の証言として記録し、保存して行くことこそ、今を生きる私たちに課せられた重要な役割であり責務であります。その思いを多くの皆様と共有し、実現に向けての地道な努力と絶えることのない活動をしてゆくことをお誓いいたします。
戦前から戦中にかけて伊勢崎市を支えてこられた先人の生き様とこの地に対する揺ぎ無い郷土愛は、きっと多くの伊勢崎市民に理解され、日々の生活を通して次の世代へと受け継いでいかれるものと信じております。
ご遺族皆様方とともに、思いを半ばに来世へと旅立たれた御霊の未来永劫に安らかならんことを希い、式辞といたします。
令和四年十一月十日
伊勢崎市長 臂 泰 雄
伊勢崎市のワクチン接種率(全人口212,248人)は、
1回目81.2%、2回目80.8%、3回目64.0%、4回目29.7%、5回目0.6%(11月10日現在)。
管轄別陽性者数(群馬県全体1321名、県管轄776名、前橋管轄302名、高崎管轄243名)。
今日は、「心平忌」。
詩人の草野心平の1988(昭和63)年の忌日。
草野心平(くさの しんぺい)は、1903年(明治36年)5月12日生れ、1988年(昭和63年)11月12日没。
詩人。
福島県石城郡上小川村(現・いわき市田中小川町)出身。
(Wikipediaより抜粋)
1929年から1930年にわたり前橋市に住み、上毛新聞社に勤務していた。
群馬に所縁の詩人。