ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

汐留見学

2004-08-02 23:59:59 | ひでんかの「おでかけ日記」
20年ほど前、汐留にある会社で働いていました。
当時は「シオドメ」って響きが、どうもイナカ臭いカンジがして、みんな会社の所在地を東新橋と言っていました。(もっとも正式な住所も「東新橋」だったので、ウソではありません。)
それが、今日、久し振りに行ってみたら、まあまあまあ.....。

当時は”汐留”と呼ばれる場所は、広大な空き地とそこら中で遺跡(遺構かな?)を掘り返していました。
オフィスの窓からは、空き地の向こうに高速と浜離宮の緑と、その向こうの海が見えました。
窓を開ければ、一応”海風”も入ってきました。
それがそれが...
当時の職場ビルの裏には、デ~ンと”日テレ”がそびえ立ち、他にもノッポピルがにょきにょきと建っています。
当然、もう浜離宮も海も見えません。風も全く入ってこないと思います。
(このビル郡のせいで、新橋周辺は海風が入ってこずにタイヘンなことになっているとか。
また、新橋だけでなく、関東地方全体の猛暑の要因の1つになっているという節もあり。)

更に、そこにいる”人種”がすっかり変わってしまいました。
新橋周辺といえば、どちらかというと年齢層が上の方のおじさま方が多かったのですが、今は、若いビジネスマンが中心です。女性も、当時は(これはウチの会社だけだったのかもしれませんが)、お化粧も薄いか、していない。服装も機能重視の人が多かったように記憶しています。(一応、雑誌の編集・出版の会社だったので、販売部門以外は、肉体労働では無いはずでしたが、仕事内容が過酷だったので、対外的な部門以外は「いつでも、どこでも寝られます」みたいな格好でした。)
それが、今は、皆さんシャキっパリっとしていて、胸にはIDカード、すっかり洗練されていました。
更に、ただ今、夏休み真っ最中。まあ、子供連れ、家族連れの多いこと。
名前も、汐留という文字がそこら中に掲示されていて(ホントに汐留なんだから当たり前なのですが、昔の名残(?)でどうも抵抗があります)。
シオサイトなんて表示もあって、もう、れっきとした観光地でした。
さすがに20年の時の流れを実感しました。

昔、勢力を誇示していたおじさま方は、このご時世、すっかりリストラで駆除されてしまったのかと思いましたが、5時を過ぎた辺りから、ポツポツ姿を現して、ここは当時と変わらず残っている”新橋駅前ビル”の飲み屋街に入っていく姿を見つけ、なんだかホっとしてしまいました。

コメント
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