老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

老師と少年 ❷ ~「ただ生き、ただ死んでいく」のではなく、「生きていく」ことを選ぶ ~

2020-08-19 05:02:43 | 老人と子ども
1635 老師と少年 ❷ ~「ただ生き、ただ死んでいく」のではなく、「生きていく」ことを選ぶ ~

【第一夜】

「おおよその人々は、ただ生き、ただ死んでいく。」のではなく、(前掲書22頁)
「自ら生を選び、生きることを決断する者は多くない」(前掲書22頁)

ただ生き、ただ死んでいくのも、生きていくこと
そのどちらを選ぶかは、その人自身が決めることだ。

人間は死を選ぶ(自殺を選ぶ)ことができるけれども
「生きることが死ぬことよりもはるかに辛いことだとわかっていても、自ら死ぬべきではない」(前掲書19頁~20頁)
死ぬことよりも生きることのほうが苦痛も多く難しい
しかし、生きていく苦痛のなかに喜びや悲しみ、楽しさや苦しさ、愛と憎しみ
さまざまな感情を経験しながら幸せを感じていく。

ただ生き、ただ死んでいくとしても
そこにも”今、生きている”人がいる

自ら寝返りもできず、起き上がりもできず
床に伏している老人の容態は
ただ生き、ただ死んでいく人として映るのであろうか

22頁にこう記されてあった
「生きるとは、共に生きることだからだ」
介護は、共に 今を生きていくことを意味している。

70歳を超えた妻は昼間は働き
訪問介護 訪問入浴介護 訪問看護の介護サービスを利用しながらも
夕方からは床に伏した夫の介護

夫は元気だったときは
仕事もしたがギャンブル、酒、煙草三昧だった
少ない国民年金受給者であっても
愚痴ひとつこぼさず
「昼間は外で働けることが気分転換できる」

床に伏した夫がいるから
生きねばならない、と話す老妻
仕事を終え、市営住宅の階段を3階まで上がり
夫のいる部屋に帰る

私の脚より生きる力がある老妻。
私の脚は杖を頼りに階段を上り
老夫婦の住む部屋を訪問する。

老夫婦の姿から
「生きるとは、共に生きること」の意味を教えられた。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (warincafe2010)
2020-08-19 11:37:24
こんにちは
はじめましてですかね✨

大変貴重なお話を投げありがとうございました🙇🙇🙏🙏

勉強になりました。
これからも よろしくお願い致します🙇🙇
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こんにちは (星光輝)
2020-08-20 13:50:47
warincafe2010 sama

コメントありがとうございます。
薄いページの文庫本なのですが、
9話をまとめて感想を書く能力がなく
1話づつ分けて書くことにしました。

的を得て書いているかどうか
かなり怪しいのですが
思ったことをつれづれに書いているだけです。

老いて生きていくのが
大変な時代になってきましたね
コロナウイルス感染も広がりはじめきがかりです。

暑さにめげず
おたがい生きていきましょう
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