縁石の淵という悪い環境であっても、無言に咲く秋桜
1637 老師と少年 ❸ ~自分は誰ですか(自分は何者か)~
【 第 二 夜 】
少年は老師に尋ねる
「ぼくは誰ですか」
「ぼくはぼくなのに、ぼくではないのです!」(『老師と少年』28頁)
この問いはくだらないが、「だが、人は身を切るようにせつなくそれを思う」と老師は話しかける。(前掲書28頁)
画家ポール・ゴーギャンも同じようなことを問うている。
「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか」
夜中、認知症老人は、洗面所の鏡に映った自分の顔をみて
大きな声で叫ぶ「お前は誰だ!」
認知症老人から「お前は誰だ~」と聞かれたとき、ハッとし返答(言葉)に詰まるときがある。
自分は誰か? 自分は何者か?
この世でわからないのは、意外と自分のことかもしれない
「本当」の自分と「嘘」の自分があり
どれが『本当の自分』であるのか
老師が語る、はっきりしていることは
こうしていま私(老師)と君(少年)と話をしている、その事実であり、
いま、こうして「君」が存在していることだけで十分なのだ。
更に老師は続けて話す。
「今ここにあるものが、どのようにあるのか、どのようにあるべきなのかを問え」(前掲書35頁)
「過去」は過ぎ去り、「未来」は未だ無い、在るのは「今」だけであり
「今」に生きている自分
それをわかりやすく教えてくれたのは認知症老人
たとえ数分後には忘れても、今(瞬間の連続)に生きている認知症老人の後ろ姿に
教えられることが多い。
自分はいったい何者か
ときどきムンクのように叫びたくなるときがある
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