老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

老師と少年 ❸ ~自分は誰ですか(自分は何者か)~

2020-08-21 07:56:02 | 老人と子ども

縁石の淵という悪い環境であっても、無言に咲く秋桜

1637 老師と少年 ❸ ~自分は誰ですか(自分は何者か)~

【 第 二 夜 】

少年は老師に尋ねる
「ぼくは誰ですか」
「ぼくはぼくなのに、ぼくではないのです!」
(『老師と少年』28頁)

この問いはくだらないが、「だが、人は身を切るようにせつなくそれを思う」と老師は話しかける。(前掲書28頁)

画家ポール・ゴーギャンも同じようなことを問うている。
「我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか」

夜中、認知症老人は、洗面所の鏡に映った自分の顔をみて
大きな声で叫ぶ「お前は誰だ!」

認知症老人から「お前は誰だ~」と聞かれたとき、ハッとし返答(言葉)に詰まるときがある。

自分は誰か? 自分は何者か?
この世でわからないのは、意外と自分のことかもしれない
「本当」の自分と「嘘」の自分があり
どれが『本当の自分』であるのか

老師が語る、はっきりしていることは
こうしていま私(老師)と君(少年)と話をしている、その事実であり、
いま、こうして「君」が存在していることだけで十分なのだ

更に老師は続けて話す。
「今ここにあるものが、どのようにあるのか、どのようにあるべきなのかを問え」(前掲書35頁)

「過去」は過ぎ去り、「未来」は未だ無い、在るのは「今」だけであり
「今」に生きている自分
それをわかりやすく教えてくれたのは認知症老人
たとえ数分後には忘れても、今(瞬間の連続)に生きている認知症老人の後ろ姿に
教えられることが多い。



自分はいったい何者か
ときどきムンクのように叫びたくなるときがある

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