老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1158 ; 心の原風景

2019-06-15 04:30:58 | 原風景
私が生まれて育った風景

自分が住んでいた家から見た羊蹄山
17年余り自分は
羊蹄山とニセコ連峰を見守られ育ってきた



ニセコ連邦
冬はスキー場で賑やかになるニセコアンヌプリ



懐しい樹木の風景と青い空



祖父が山形県から開拓農民として移り住んだ
明治時代の頃であるから
本当に辛苦の時空間を刻んできた
冷害が多く
両親は苦労しながら農業を営んできた

遠くから朝夕には
蒸気機関車の汽笛が聴こえてきた

自分が高校1年の冬のとき
父は腸閉塞、大腸癌を患い43才の短命で終えた

自分は高校を一年間休学し農業をしたが
農業を継いでいく自信がなかった

父は断腸の思いで離農を決めた
屋敷、田畑15町歩は他の農民に売り渡した
冷害や農業機械の購入でできた負債返済で
手元に残ったお金は30万円にも満たない金額であった。

離農しニセコ町から
羊蹄山の麓、倶知安町に移り住んだ、


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6 コメント

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おはようございます (にゃんズの母)
2019-06-15 10:13:07
羊蹄山。
美しいですね。
岩手山を、思い出しました。
そして、石川啄木の詩が頭に浮かびました。

「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」

でも、故郷は全てが「善」と、いう訳でもなく、
あたしにとっては、離れているからこそ善となる。
そんな感じです。
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おはようございます、 (takezii)
2019-06-15 10:31:19
羊蹄山の麓の風景、
星さんにとって 忘れることの出来ない心の原風景・・・、
分ります。
過去の記憶が蘇り 強烈な郷愁にかられておられる星さんの心情が 伝わってきます。
その風景が 美しければ美しい程 やりきれなさも湧いてきますね。
故郷は ありがたきかな・・・、
心に 本当のふるさとがあることを喜びましょう。
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羊蹄山とニセコ連峰~☆ (Ray)
2019-06-15 12:29:56
こんにちは☆星光輝さま☆

羊蹄山とニセコ連峰たちが、星光輝さまの、今、を、も
見守ってくださっているような・・

そんな、気が、しました。

だから、きっと、羊蹄山とニセコ連峰たちは
星光輝さまの来訪を、喜んでいるような・・気がします☆

そして、星光輝さまの、ご両親、ご一家の、ご苦労をおもいました。

おじいさまの移住の決断
お父さまの断腸の思い
そして、休学までされた星光輝さまの、正直なお気持ちと、その後の決断。。

おじいさまも、お父さまも、そして、妹さまも、
きっと、星光輝さまのご健康と幸せだけを
今は、願い、祈っていらっしゃる・・と、感じました。

  *  *  *

心の原風景・・素敵な言葉

素敵な旅でありますように・・
Ray
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遠く離れて故郷を想う (星光輝)
2019-06-15 21:39:44
にゃんズの母様

老いて来ると、何故か故郷を想う
辛いことや悲しいこと
ふと思い出すこともある

錦の旗を飾れず
故郷への足が遠のく

帰る家がない故郷も
また寂しさが募る
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帰る処は故郷 (星光輝)
2019-06-16 02:46:18
たけ爺様

羊蹄山は1898mの高さがあり
日本各地には富士山で呼ばれる山々がある。
羊蹄山は、蝦夷富士の名で呼ばれるている。
幼い頃、羊蹄山は富士山だと思い込んでいた。

冬の季節になると
羊蹄山もニセコ連峰も
雪に覆われ白銀の風景となる

故郷の風景を眺めていると
自分だけでなく
故郷の風景も
老けたのかな、と感じた。

紅葉の時期になると
学校の帰り路
山葡萄やこくわの実をとり
食べながら家路に向った。

白い雪をノートに見立て
腰や股間を左右前後に動かし
オシッコで自分や級友の名前を書いたこともあった。

浦島太郎の如く
時間(とき)の
流れはは余りにも早過ぎ
気がついたら
白髪となった。
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故郷 (星光輝)
2019-06-16 03:14:37
Rayさんへ

羊蹄山、ニセコ連邦の風景を見ながら過ごしたのは
17才まででした。

家の庭に数本の辛夷(こぶし)の木があり
真っ白な花が咲き、春の訪れを感じた。

離農し帰る家(生家)が無いのは
寂しいですが、
山々の風景は残っている。

心の風景は
生まれた処だけとは限らない。
故郷を背中にして、
移り住んだ処も心の風景となる。

19才のとき涙の連絡船で
津軽海峡を渡り
内地の玄関、青森駅のホームに立った。

それから仙台、京都、東京(福生、北千住、杉並)と移り住み、
大都会の喧騒から逃れ、常陸國に二十数年暮らした。
関東平野の広さと筑波山の風景も心に残る。

その筑波山の風景も棄て
いまは南陸奥に棲む辺境人となった自分。

いまは心の原風景を抱きながらも
最後は海の見える風景を欲しているのだが、
人生の結末はどうなるかは
神ぞのみ知る。


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