「吾亦紅」 すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也、作曲:杉本真人、唄:すぎもとまさと
白髪混じりの親不孝息子は
ふと母親が眠る故郷へ帰り
墓参りをする
マッチを擦れば風が吹き
線香がやけに つき難い
吾亦紅を見ると母を思い出す
盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり会いにきた
ただ あなたに 謝りたくて……
自分も 仕事に名を借りた ご無沙汰ばかりして
十数年も北海道へ帰らなかった
小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった……
それでも母を 生ききった
令和2年1月から2月初めにかけ
3人の老母が亡くなった
自分の母も含め
母たちは
小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった……
東京 ディズニーランドも知らなかった
それでも母は 小さな町で生ききった
あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪(こら)えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みていく やっと手が届く
いまは 小さな町に 独り住む老母もいれば
同じ屋根に下で息子夫婦と住む老母もいる
どちらの老母も
気強く寂しさを 堪(こら)えてきた
老い初めてきた息子に疎まれ傷つけられても
老母は寂しさを堪えてきた
寝たきりになっても 認知症になっても
子を想う老母の気持ちは変わらない
母と同じ年に生まれた老女に出会うたび
母が生きていたら今年で93歳になる
老母にできなかった優しさ
そのできなかった優しさを
3人の老女に
どれだけかかわりあいを持ったのか
線香をあげながら振り返る
髪に白髪が 混じり始めても
俺 死ぬまで あなたの子供…
小さな町で生ききった
3人の老母に
自分の母に
「おつかれさま」「ありがとう」の言葉を呟き
「俺 死ぬまで あなたの子供」で幸せでした
この歌は、私の心に響く歌です。
親の前では、ただただ子供なんだなと思います。
感謝しかなく、いつも最後まで聴けません。
この曲は、この世にありせば95歳になる母を思い出します。
幾つになっても、母はありがたいものです。
11年続けて思うところがあり、昨年閉めたブログでの自分の名前は吾亦紅としていたほどでした。
戻らないじかん。
こうして、生きて、何が私にできるのか……
考え、考え、暮らしています
心にじ~んとくる歌は、泣けてきます。
他人様の世話を受けていても
老親は大きくなった我が子を心配します。
老親を失ってはじめて親のありがたみがわかった。
それでは遅かったのですが・・・・。
勿忘草様とはそう年齢が離れていない、と思います。
自分は今年の夏で68歳になります。
自分の母は急性肺炎で急に亡くなり、まだ長生きできる、と思っていただけに、親孝行ができなかった自分に後悔しています。
いつまでもあると思うな、親と金。
親と金を同列にするのは嫌ですが、金も必要なものだけあればいいもの。失ってはじめて親のありがたみがわかる、時すでに遅しです。
吾亦紅の花
”我紅い花”と自己主張しているようで素敵です。
母のような花。思慕深い花です。
初めてコメントさせていただきます。
私の大好きだった祖母は101才で亡くなりましたが、最後までしっかりしていました。
69才の時に胃がんの手術をした一人娘の母を、心配し続け
亡くなる直前まで「お母さんを頼むよ。」と私に言い続けました。
その約束を果たして、認知も出ていた母を見送って
もう6年になります。
まだ寂しさが有り、ブログを読ませて頂いて、大好きだった父や母の
面影をつい探している私です。
これからもお体を大事になさりながら、高齢者の皆様の事を
宜しくお願いします。
「こうして、生きて、何が私にできるのか……」
自分もふと、思うときがあります。
生きていて、何ができるのか、悶々とするときがあります。
拙い文章に感涙を流して頂きありがとうございます。
ふと、故郷や亡き親を想うときがあります。
コメントありがとうございます。
胃がんを患った娘をお孫さんに託す
祖母様の心情は計り知れないほど、
心残りだったのではないか、と察します。
その約束を果たされお母様も見送りをされ、本当にお疲れ様です。
私事になりますが
wifeの母方祖母は111歳の誕生日を迎え、見送ることができました。気丈な明治生まれのお婆ちゃんで、夫は戦争で亡くされ、戦後乳飲み子を抱え6人の子どもを女手一人で育ててきました。
90歳を超える老人は、苦労された人生を歩んでおられます。
学ぶべき点がたくさんあります。