老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

金網の向こう側に咲く花

2022-08-08 08:44:12 | 老いの光影 第9章 捨石拾遺残日録
1896 金網の向こう側に咲く花



散歩路、金網フェンスの向こう側に咲く花に遭遇した。ピンク色の花びら、自分にはわからない「あなたの名前」。
下の花びらは朽ちていたのが痛ましいかった。


たんぽぽ

原詩 狩俣 繁久
作詞 小森 香子
作曲 大西ススム

1 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ
金網の外にも
小さな春を作ってるタンポポ
光り色したタンポポは
金網があっても 金網がなくても
沖縄じゅうに春を
ふりまいたでしょう

2 デモ隊の足下に
光りの花を咲かそうとタンポポ
米兵に踏まれても
それでも花を咲かそうとタンポポ
強く生き抜くタンポポを
金網のない平和な 緑の沖縄に
みんなの願いを込めて
咲かせてやりたい

1970年、日本のうたごえ歌曲集に掲載。
原詩者は70年当時中学校3年生。
受験勉強中に二階の窓から見て書いたこの詩は「沖縄の子、本土の子」という子ども文集のとびらを飾った。
原題は「ふまれてもふまれても」。

♪~金網の同こうに小さな春を…。
1970年作文集「沖縄の子本土の子」の扉を飾った詩を詩人・小森香子が補作し、
作曲家・大西進が作曲してうた新同年4/20号に楽譜を掲載。
沖縄では愛唱歌となりバスガイドに歌い継がれるようにもなった。
 原詩の狩俣繁久は目宅から数百mに米軍基地があり、
基地の内外を問わず春を伝えるタンポポを幼い頃から見てきた。
その光景を中学3年時の国語の時間に「ふまれてもふまれても」の原題で書いたもの。
長くひめゆり学徒の教師った仲宗根政善に師事し、方言研究専門の琉球大学授に。
※上記の記事はyahoo『たんぽぽ』から引用しました。

金網の向こうに咲いている花を見て
ふと、『たんぽぽ』の曲を思い出し
♪ 金網の向こうに
小さな春を作ってるタンポポ ♪ を
口ずさむ。



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