老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

息子の1周忌を送り、逝ってしまった老父

2024-01-18 21:38:27 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2009 居なくなるほど寂しいものはない



2002 このまま死にたいで紹介した板橋さんは、入院して4日後に逝かれた(合掌)。
ご自宅で会った日が最後の別れとなってしまった。
彼は、人工透析の他に胃癌、肺癌を抱え、在宅酸素されていた。
息子の遺影がある下で死にたかった、その想いは痛いほど感じた。

1年前、突然の心筋梗塞で亡くなったご長男。
板橋さんは、「息子の生命(いのち)と自分が代わりになりたかった」、
辛い想いで1周忌を迎え、ホッとしたのも束の間。
きっと、息子さんがあの世から迎えにきたのかもしれない。
「親父、今日まで頑張ったな」、と声なき言葉で話してくれたのかもしれない。

今日まで居た人が
もう居ない。
「あなた」が居て「わたし」が居た。
そのあなたはもう「居なくなってしまった」。
居なくなるほど寂しいものはない。
心にぽっかりと穴が空き、風が通り抜けて行ってしまうような感じ。

老人介護は、「出会い」があり
必ず「死別(わかれ)」がある。
「死別」が訪れると頭のなかでわかりながらも、
いざ「居なくなる」と、寂しさと
自分の死も訪れるのだ、自覚させられてしまう。

あなたが生きていたこと
「病」と闘い「老い」を「生きた」”板橋吉市”さんの後姿は
いまも自分の気持ちのなかに「生きている」。

いま自分がかかわらせ頂いている20人の老人がいる。
板橋さんに対する想いを20人の老人に想いをかけていきたい。



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