老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

群発性偏頭痛

2024-03-14 20:50:33 | 老いの光影 最終章 蜉蝣

2042 目に見えない病は「わかりにくい」

2日間余りの日々 いろんなことが重なりすぎ
ブログから離れてしまった。
 
義父の1周忌でwifeの実家に帰郷し、明日福島県に帰るというときに
wifeは下腹部に針を刺すような激しい痛みにが襲い
3月3日の日曜日 救急外来受診。
 
wifeは昔から耐えられない痛みになって初めて「病院へ行く」、と言い出す。
医師からは「よくもこんなに痛みを耐えていたもんだ」、と驚いている。
「憩室炎」と診断され、点滴と薬を処方され実家に戻った。
 
翌日、beagle元気と自分と一緒に帰宅し、地元の総合病院受診。
点滴、絶食、安静のため入院を勧められたが、
仕事(訪問介護)をしなければならない事情があり入院を断った。
「断腸の思い」だった。
 
wifeの病は「目に見える」だけに、痛みの辛さが見ててもわかり
できるものなら、自分が代わりになりたいくらい、と思うも・・・
 
 
82歳の老母は転倒から外傷性脳出血のため入院となった。
その後病状は回復し透析前は、つかまり立ち、つかまり歩行は「どうにか」できるまでになったが、
透析を終えた後は、「立つ」こともままならぬ状態で、介助型車いすの使用により移動介助を受ける。
 
介護疲れなのか ストレスなのか うつ病も絡んでいるのかどうかも わからない
群発性偏頭痛を抱えながら老母と再び生活をしていくには不安が大きく渦巻き、どうしていいかわからない。
 
母の年金は月額にして5万円の額でしかなく、介護費用もこの先まかなっていけるのかも不安
群発性偏頭痛の診断書を再度会社に提出すると、上司からは「まだ痛いのか?」と、
目に見えない痛みだけに「理解して」もらうには、かなり隔たりがある。
職場に復帰できるどころか、自分の働く場所(居場所)があるのかどうか、
それも奪われてしまう不安も襲いかかってくる。
 
自分の心の病というか、いまの自分のなかにある心の沈殿物を、
誰かに吐き出したい(聴いて欲しい)、という思いが募ってくる。
 
医療費(通院費、入院費)や薬代が全額免除になることも知らずに支払ってきた。
役場から「重度心身医療費受給者」の申請書を10枚ほどもらい
昨年の8月から今年の2月まで申請書を代行することになった。
医療費、薬代を含め約10万円のお金が老母の通帳に振込される。
 
3月末には退院し自宅での生活と透析治療の通いができるよう環境づくりを進めている。
月額5万円のなかで介護サービス等を組立なければならない
 
週3回(火木土)の透析通院を行うには
(要介護4の認定を受けていることから)ベッドから車いすへの移乗介助
玄関を出ると20cmほどの高さがある階段(3段)があり、280cmのスロープと車いすを使い
介護タクシーまで移動し、後部座席への移乗介助
身体介護1(20分以上30分未満、月に往復で26回のサービス)と
介護タクシーの交通費も発生する(片道、車で34分要する)
 
高額介護サービス費と透析交通費補助金を活用することで38,000円余りの介護負担減額をすることができ
何とか老母の年金額で、週3回のデイサービス、月26回の身体介護、
福祉用具(介護用ベッド、手すり、オーバーテーブル、スロープ、車いす)のサービスを使うことができる、と
机上では計算できたが、他に尿取りパットなど介護保険で利用できない自費の負担が出て来る。
 
そこへ来て娘の収入もどうなるか、それも不安の種である。
 
今日は2人のヘルパー(そのうち1人はwife)を同席させ
スロープと車いすを使い、3段の階段の上がり降りを行った。
老母の体重は48㎏であるかことから、50㎏の自分が身代わりとなり
階段の乗降を行った。急な勾配があり、ヘルパーの負担は大きく、力勝負の階段昇降介助になることが体験できた。
 
退院はゴールではなく
家族にとりもちろん本人も同じ
在宅で暮らすことができるよう再スタートとなる。
 
退院までの病院MSW(医療相談員)、主治医、リハビリスタッフとの調整を再度図っていく。
 
国会議員は寝たきりになっても費用の心配がないから
在宅で暮らす要介護老人やその家族の苦労や痛みは「わからない」。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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