老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

236;巣立ちと空蝉

2017-07-11 11:22:40 | 老い楽の詩
巣立ちと空蝉 

巣立ちも空蝉も「空(殻)」になる

親鳥が飛ぶのを見て、 
「この空を飛べたなら」(中島みゆき)と思っていた雛(ひな)は、
立派に成長して巣離れをし、
大空に羽ばたいていく。

この雛の巣立ちをみて、
学校を卒業して社会に出ていくことを
巣立ちと呼ばれ祝福される。
飛び立った鳥は、
巣に帰らず「空き巣」になる。

蝉の抜け殻(空)は、軽く風が吹けば飛ぶような儚い存在である。
古語では蝉の抜け殻を空蝉と言う。
蝉が抜けた殻は空洞になることから
中身がなくなり虚ろになる。
だから空蝉と呼ばれるのであろう。

意味は違うが、巣立ちも空蝉も、
空になる点で同じなのかもしれない。

堀内孝雄の「空蝉の家」は、
生家に住む人がなく「空き家」となった寂しさを
空蝉になぞらえて歌っている。