~すてっぷ ばい すてっぷ~

川の流れに、雲のながれに身を任せるように

ルース・エドガー

2020年06月06日 22時15分43秒 | 映画

見てきました。

 
 
 
※ネタバレ注意
 
※ネタバレ注意
 
※ネタバレ注意
 
 
 
 
んんうぉおおなんだこれええぇ。
 
 
 
何一つ劇中で問われた疑問に答えが出ていない。すごい。
 
 
完全に独断と偏見ですが、ルースは「周りが何を考えて何を求めているのかをすごく敏感に感じ取れる子」なんだと思いました。
 
親の思い、教師の考え、友人の気持ち。
 
それゆえに雁字搦めになってしまったのかな、と。
 
ルース自身は普通でいたいし、普通でいいとも思ってる気がする。
人種の違いや血の繋がりがないという事実はあるけど、周りの家族のように普通の親子でありたい、と。
スポーツや勉強は好きなものに好きなように打ち込んで、時々友達とバカなことやったり、こっそり悪いことをしたり、それで怒られたりしながら周りと変わらない生活を送りたかったのかな、と。
 
でも親の期待が、学校が、社会が、「逆境をはねのけてたくましく優秀に育った皆のお手本のルース」をルースに押し付けていたように思えました。
 
 
母親に「息ができない」と語ったときと、スピーチの練習をしているときと、最後のランニングのとき。
 
あの3つのシーンは、本当に自分自身の内側の純粋な言葉と表情だったように感じました。
 
特に最後のランニングのとこは、次第に息が荒く表情も崩れていく様を真っ正面から撮り続けるカメラワークに、全身鳥肌が立って気付いたら泣いてました。
あの演出に怖さを覚えたのと、あの表情が「自分に嘘をついて生きていくしかない」という現実に抗えなかった悔しさのようなものを見てしまった。
 
 
と書きつつも、いったいなにが本当で、どのルースが本当のルースで、ルース自身は何を考えていたのかは何もわからないんだけどね。
 
 
ハリエットは、途中から完全に被害妄想のヒステリックに見えてしまったけど、家でルースに言っていたことは本当っぽいなと。
黒人というだけでレッテルを貼られて、同じ括りで不当な扱いを受けた過去があったかもしれない。姉のことで誹謗中傷があったかもしれない。
そんな過去があったから「差し込む光に当たれるのはわずか」だと言い放ったんだと。ハリエット自身も「光に当たれない側」だったとこから必死で「光に当たれる側」に行こうとしたのかな。
だからこそ、生徒の中の黒人にもその差を作ってしまったのだと思う。光に当たれる一握りのために犠牲になる多数の存在は仕方のないことだと。
ただそれを押し付けるようなやり方は間違っていたようにも思える。
 
 
 
あと、信じていた息子の情事を目の当たりにした母親の心境ってどうなっちゃうの。
失望なのか諦めなのか。
親になったことのない男には一生わからないのかもしれない。
 
 
ルースが、最初は「Mom」といっていた気がする(正直覚えていない)けど、疑惑の目を向けられた辺りから「Amy」と名前で呼んでいたけど、やり直したいと金魚を持ってきたときはまた「Mom」に戻っていたのが気になる。
 
向こうでは親を名前で呼ぶのって普通?
何かしらの敵意というか、不信感や距離感から名前呼びになったように思えてドキッとした。
 
 
 
これはこれで話がしたくなる作品でした。

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