HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

昨日の続き・・・・

2005年11月16日 | Weblog
絵を描く人と、それを見る人や、受け止める人とのことについて、昨日はなんともあやふやな話をしてしまいました。ぼくの頭ではあまり難しいことを考えられないので、申し訳ない限りです。

一つだけいえることは、観客に絵の内容にまで立ち入らせてはいけない、あるいは絵の具体的なことのついて、意見を言ってもらう必要は無いということです。なんといっても、自分は自分の絵のプロフェッショナルじゃないですか。観客はあくまで見ることに通じてはいても、作ることに通じているとは限らないのです。

あくまで今は作る個人が主体の時代です。だから自分で責任といらないと。仮に一枚の絵の背景を赤く塗ったとして、その理由を聞かれた時に「いや、○○さんに言われたんで・・・」などという言葉出てはいけないでしょう。

昨日の話と矛盾しているかもしれませんが、作家には譲ってはいけない何かがある。まぁ、当然ですよね。

話はまったく変わりますが、一昨日家で飼っていたインコが亡くなりました。その前の日の晩までは元気だったのに、朝になって覆いをとってみたら、籠の中で冷たくなっていたそうです。

2年ほどしか生きなかった子ですが、手乗りで家族みんなになついていて、多分自分を鳥だなんて思ってなかったのでしょう。たまに家族の会話に混じってくるんです。

学生の頃、当時犬を買っていた同級生がいて、私の犬は人間の言うことが分かるという話をされ、そんなはずはないと激しく反論した記憶がありますが、今からでもその同級生に謝りたいぐらいです。分かっているみたいですね。家のインコを見ていて実感しました。

で、奴は家族がデザートやおやつを食べていると、手元までやってきて、バックリと銜えると、少し逃げて食べているんですね。甘いものに目がなかったんです。しかも憎たらしいことに、汚れた嘴を人の洋服で拭くんです。

小さな生き物でも、2年も一緒に暮らせば立派な家族です。それがいきなりいなくなって、家の中がほんの少し静かになると、以前はうるさいと思っていたのは実はそうではなく、賑やかさだったんだなと、改めて感じます。

あいつとは、またいつかぼくが死んだ時に三途の川の向こうで会えるんだろうなと、そう思っています。

それまでは、たくさんの大小様々な喜びや悲しみ苦しみを味わいながら、自分という人間を豊かに磨き上げなけれればならない。そんな風に思います。

それではおやすみなさい