HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

苦手な画材

2006年11月28日 | Weblog
世の中には色々な種類の画材があります。自分自身が余り手先が器用でもないので、偉そうな事は言えませんが、アクリル絵の具なら大体誰でもすぐに使えるようになると思います。ただ、この絵の具は画面がビニールぽくなるので、それが嫌な場合は大変な苦労をすることになります。僕自身は、アクリル絵の具は必ずビニールみたいになると思い込むようにしていますが。

その中でも一番苦手だなと思うのが、カラーインクです。これは本当にすぐに斑になるし気持ちの良い発色になったことなんてほとんどありません。ただ、この絵の具を上手に使う人の仕事を見ていると、その画面が持つ独特の透明感に惹かれて、自分もやってみたいなと思うわけです。

自分が自信を持って扱える画材は何か?そんな質問を自分に向かって発してみたところ、意外と曖昧な答えしか発見できなかったなと、苦笑するばかりです。

作品紹介2

2006年11月27日 | Weblog
今回のシリーズは、葉書大の紙に、カラーインクで描いたものをスキャナーで取り込み、友人の俳句をドローソフトを使って書き込み、最後にペイントソフトで作ったハンコを乗せています。

サイズは諸般の事情でB4サイズの紙に印刷しましたが、元々パソコンで編集して作られたものなので、大きさはいかようにでも出来ますし、数だっていくらでも出来ます。

絵の世界には、たとえば大きいものの方が値段が高い(値打ちがある)とか、手描きの一点物にこそ値打ちがあるといったような風潮がありますが、ぼく達の作品は、イメージを生み出すために如何に編集したかが重要だから、オリジナル信仰的なものからは距離を置いています。

ただ、自分が絵を描くときには、必ず手で筆や筆記具を持って描く部分を残しています。触覚的な部分を残しておくこと。絵にとって、それはたぶん大事なことだと思うのです。

個別の作品です

2006年11月25日 | Weblog
今日からは、一つずつの作品をご紹介します。どう見ても書初めなんですが、場面は夏。作品世界の舞台であるふわふわ島は、いつだって夏、という設定のようなものがあるのです。

ところで、ぼく自身は共同制作にメンバーの仲の良さのようなものは必要ないと思っています。というのも、あまりにも強い友情のようなものが基盤となっていると、それは非常に狭い世界になってしまって、やっている当人同士は気持ちよく阿吽の呼吸で仕事ができるからいいでしょうが、外から見ていたら、何をやっているのかまるで分からないということになってしまいかねないと思うからです。

おそらく確実にどこか一点で結びついていればいいのであって、それを基点とした信頼関係さへあれば、後はどれほど考え方や性格が違っていても何とかなるのではないかと思うのです。というのも、共同制作なんていうものは基本的に意図的になされるものだから、全員がきちんとルールを守って仕事をするということに徹すれば問題なんてないはずだからです。

それに何度かやっていれば、その仕事だけでは収まりがつかない自分の部分に気づくはずです。そうなったときにはまた自分の仕事も始めればいいのであって、一番最悪なことは共同制作をしていることで仲間に寄りかかって自分からは何もせず、雛鳥みたいに口をあけて誰かが何かをくれるのを待つ状態に慣れきってしまうことです。

会社でも、嫌だ嫌だといいながら毎日仕事に来たり、辞める辞めると言いながら、さっぱり辞める気配のない人っていますよね。そんな人たちの気持ちも分かるのですが、彼らは、やっぱりぼくが言うところの雛鳥の状態なんですね。自分から歩いていくつもりがないのです。

長く絵を描いていると、時には人から仕事しながら絵も描いて大変だねと言われますが、確かに大変だけど、これほど充実していることはないと思っています。なぜってこれこそ自分が自分の足で歩いていることの証拠だからです。後、問題があるとすれば、もしぼくが長生きしてあるいは病気や事故で筆も持てないぐらいになってしまったとしたら、どんな風にして、自分で何もできない自分のことを納得するかではないかと思います。

看板です

2006年11月24日 | Weblog
会期中、阪神電車梅田駅にポスターを掲示していました。
この写真は、そのポスターの縮小版を、自分で看板に仕立て上げたものです。
ギャラリーの1回が酒屋さんなので、それっぽく。

話は変わって、作品中のキャラクターですが、ぼく自身が思うに、どれも自分の分身だと思うんです。意味もなく存在していて、興味があることに没頭している。
過去も未来もなくて、ただ、現在を思い切り充実しながら生きている。自分がそうありたいと思う姿を作中の登場人物たちに託しているのだと思います。

要はいつまでたってもガキのまんまで、我侭ってことでしょうね。

出演者紹介

2006年11月23日 | Weblog
絵の中に出てくるキャラクターを少し紹介しておきたいと思います。

まず、丸頭の男の子のようなもの、これをぼく達は「しんぺい」と呼んでいます。
人によっては「シンペー君」だとか、子育てした経験のある女性からは「しんぺいちゃん」なんて呼ばれています。どんな風にでも、色々呼んでもらえるとうれしいですね。

で、色とりどりの団子のようなもの。これは「てんし」なんて呼んでいます。「天使」だと、浮遊感があって素敵なのですが、どうしてもいわゆる「キューピッド」を想像してしまうので、名前というのは気をつけてつけないと後で困るなと、本当に思いました。何年前でしょう。自分の子供に「悪魔」と名付けようとして一時話題になった人がありましたが、海外でなら「マリア」とか「ピーター」なんて宗教絡みの名前をつけるのは普通ですが、理屈なしで日本では無理なものは無理だと思います。

後は、牙が生えたガチャピン?ですがこれは友人から勝手に「毛むくじゃら」と付けられてしまいました。

大体そんな感じです。

失敗でした

2006年11月22日 | Weblog
この3回ほど、アップした画像のサイズが小さくて見にくかったのではないかと思います。大きいものに変えました。

本屋で立ち読みしていたら、ダライラマ14世の名言録のような物があって、そこに「まずは他人がうれしくなるようにしてみなさい」というような意味のことが書いてありました。なるほどその通りかもしれません。まったく自分の好みで描いただけの絵なのに、誰かがそれを見たときにパッと笑顔が広がって、目が輝く様を見るのは本当にうれしいものです。

受けようと思っても絶対うまくいかないし、さりとて徹頭徹尾自分の世界に浸っていても誰も反応してはくれません。その辺りはセンスやバランス感覚とでもいうべき部分なのでしょうか。まだまだ修行の身。偉そうなことは何もいえませんが。

笑顔で過ごす事は大切です。今の時代それはとても難しいことですが。とりあえず職場で一日、せめて午前中だけでも笑顔で機嫌よく過ごしてみてはどうでしょうか。ぼく自身もなるべくそうするようにしています。何も変わらないのだけれど、少しその場でみんなが呼吸しやすくなっているのではないか、そうなっていたら嬉しいなと思うのです。

会場写真が後2回分ぐらいで終わります。その後は個別の作品をご紹介しますので、どうぞお楽しみに。

お返事のお返事

2006年11月21日 | Weblog
個展が終わって早2週間。どうにか住所の分かる人にだけはお礼状を送ったのですが、中にはそのことにまたお返事を下さる方もいらっしゃいます。
いろいろ気にして下さってありがとうございます、そう思わずにはいられない今日この頃です。

嫌な話が一つあります。来年は数年振りに展覧会の予定が多くなってしまい、ねじり鉢巻をしているところですが、勤め先ではぼくを異動させるだのどうだのと考えているらしく、それ自体は仕方のないことですが、制作という面から見れば環境が変わって、先の見通しがすぐには立たないということそのものが気がかりで、そんなちょっとしたことでナーバスになってしまっています。

次の個展が3月に決定しました。俳句を使うシリーズなので俳句の季語が気になって調べてみたら出てくること。日本語というのは、季節を感じる言葉だけを取り上げても膨大な数になるんですね。日常使っている自分の言葉の語彙がいかに貧困なことか。いくらでも勉強できることがありますね。

絵を買いました

2006年11月20日 | Weblog
さて、僕自身は他の作家のことを気にする暇があるなら、自分のことをもっとやらなければというぐらいの、努力の足りない絵描きですが、そんなぼくが本当に何年ぶりでしょう。絵を一枚買ってしまいました。

もちろんその作家と以前から面識があって、実力もあるし頑張っている若手だから微力ながら応援してあげたい。そんな思いから、気に入った作品で値段も手ごろだったので、えいっとばかりに買ってみました。

絵を買うということは、その作家の感性や思想に共感して、その作品を通じて自分の心を満たすために正当な対価を支払う。そんなことじゃないでしょうか。それに自分が作ったものが売れるということは、作り手にとって本当にスリリングだしなんとも言えない手応えがあります。

大学を卒業して10年もたつと、それでも何かを作り続けている人間というのは本当に数が減ります。制作のことで行き詰ってしまったり、仕事や生活のことでどうしても遠退いてしまったりと。アートなんて個人的な営みを温かく見守ってくれる職場なんて、ぼくが知る限り存在しません。だから、この絵を買った作家さんも何とかいろんな問題を乗り越えて、作り続けてほしいと願っています。


個展風景です

2006年11月18日 | Weblog
誰かに聞いた話ですが、美術館で絵を展示する時、絵の中心が145センチになるように展示するそうです。
なぜ145センチなのか。残念ながらその理由までは聞けませんでしたが、何かある時決まったんでしょうね。
自分名場合ですが、絵の中心が145センチだと、背が高いぼくでも見づらい思うことがあるので、なるべく低くして、160センチよりも低い人がまっすぐ見られる位置にしようと心がけています。

会場風景続きです

2006年11月14日 | Weblog
今回の展覧会は『ふわふわ島の宝探し』という題名でした。

けれど、作品のどこを見ても宝物なんて出てこないし、登場人物達だって、作品の中では宝物を探すような素振りさへ見せていません。では、なぜ宝探しなのでしょうか。

一般的に宝物というと、何か黄金や宝石のような、具体的に所有できるものを想像すると思います。けれど、アーティストとしてのぼくは、宝物とはそのような具体的なものではなく、共同制作者である友人と、ぼくとの間で繰り広がられるイメージのやり取りの彼方に生まれる、ぼく達の作品から発せられるイメージの広がりや深さに他ならないのではないかと思っています。

ところで、いつの時代だってそう感じられるのかもしれませんが、とかく生きにくい時代、世の中にぼく達は生きているのではないかと常々感じています。いつ終わるとも知れない戦争や、自殺や殺人。どの世界宗教も、人生は苦しみと悲しみに満ちていると述べているそうですが、現代人の人生も例外ではないようです。

けれど、そんな世の中や毎日にあっても、アートに出会うことで、会社でも学校でもひょっとすると家庭でも出会えなかったような何かに出会えるのではないか。そんな風に期待しています。

そしてもし何かに出会えたとき、自分が血にまみれていても、たとえ何があろうと明日もう一日生きてみよう、笑顔でそんな風に思える瞬間があるとすれば、その経験こそが真の宝物ではないか、そんな風に思うのです。

そして、たった一人かもしれないけれど誰かがそんな経験をできるかもしれない、そのために自分の仕事がわずかでも役立てるかもしれない、そう信じて作り続け、制作に自分の人生を捧げる存在であること。それがアーティストだと考えています。