HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

カレンダー

2005年10月29日 | Weblog
数週間前のことですが、今年になって知り合った雑貨屋のオーナーさんから、カレンダーフェアのようなことをするから、もし作っているんだったらちょいと出さないかと、そんなお話しを頂きました。

でまぁ、この辺りがぼくのお気楽なところなのですが、何の説明も受けないうちから『そういうカレンダーは一つのものを月代わりで作家が絵を描くんだよね』、などと納得し、やりま~すなどと気楽に返事をしたのですが、よくよく話を聞いたら、一から十まで全部自分で作らなければならない。これはびっくりです。慌てるじゃないですか。

そんなこんなで、今色々と思案しているわけですが、普段商品を造るという発想がまるでないだけに、妙に戸惑ってしまうわけです。結局自分が見たいものを作るだけなんだろうな~という結論は見えているのですが。しかも思案ばかりしていたら2006年になってしまう。

多分、こういう自分の立ち位置自体が、イラストレーターにはありえないのだろうなと、思うわけです。今の絵のスタイルになってから良く「お前のはイラストか絵画かどっちだ」と聞かれるのですが、実は曖昧なんです。

そういった概念上のことって、厳密なようでいて、実はその周縁部は曖昧だったりしますよね。しかも概念などといったら、それだけカチッとした状態であるように想像してしまうけど、なんのことはない、その概念とやらを扱う人間自身が存在しなければ概念なんて存在し得ない。そうではないでしょうか。

でも、その辺りのややこしさは抜け落ちた話になるのですが、「美術」という言葉は好きなんです。「美しい術」ですもんね。
この言葉を作った人がどう思っていたかは知りませんが。とにかく作り出したものに美が存在すること。素敵じゃないですか。
多分、いわゆる現代美術なんて呼ばれているものは、その美というものをすっぱりと切り落としたんだろうなと思うわけです。


騒音寺

2005年10月24日 | Weblog
というロックバンドがあるんですね。今日付けの朝日新聞夕刊でインタビューが掲載されていて初めて知りました。

このバンドリーダーのNABEという人は本物だと思いました。ライブ終わっても打ち上げに行かないそうです。帰って詩を書くんだそうです。それといのも、自分が好きなことにどれだけ時間を裂けるか、どれだけ真剣になれるかということが大事だからだそうなんです。

もし才能というものがあるとすれば、まさにそういう継続する力だと、そのインタビューにはありました。

これを読んでふと思い出したのが、10代の頃、ぼくが「画家を目指す」と親に宣言して後のことです。絵画教室に通いだしたのですが、そこへ親が乗り込んできてやめさせようと教室の先生と対決?したことがありました。

恐らくそのときの会話だったと思うのですが、親が「この子には才能なんてない」と言ったのに対して、先生は「才能というのは、上手に描けるということではなく、とにかく諦めることなく続ける力のことなんだ」というような意味のことをおっしゃったように記憶しています。

先日の先輩の結婚式でも、その先生はスピーチの中で先輩に向かって、歴史に中で生き残ってきた多くの絵がすべて上手な絵なわけではない。だが一つ共通点があって、どの作品もその作者が真剣に生きた姿がにじみ出ているような気がする。だから、結婚して独立して今までとは違う意味で真剣に生きるようになった時、その真剣さから生まれてくる作品がどんなものか楽しみだとおっしゃっていました。

働き出して社会生活が軌道に乗ってくると、やはりどうしても自分が一番やりたい、それなら夢中になれると思っていることがどんどんお留守になります。
そんな自分をどうやって律していくのか。これは本当に死ぬまで付きまとう課題かもしれません。

先輩の結婚式で古い友人と久々に話し、今の自分の姿に焦りを感じていることを改めて意識したそんな時に、本当に偶然だけれども、かつての恩師の言葉と、新聞で読んだバンドマンのインタビューがエコーみたいに同じことを語っていました。

久々に心にビンタ食らいました。
どれだけ真剣に、自分に率直に生きることができるのか。大変な勝負です。

さて、今日の作品は『あなたの日本語大丈夫?#2』です。

今度は受付です

2005年10月18日 | Weblog
先週土曜日の15日、先述した先輩の新居に行ってきました。
まだ引越し前で静かなことこの上なしですが、
結婚早々持ち家とは、うらやましい限りです。

3階建ての一戸建て。その1階部分が先輩のスタジオでした。
3メートル近い天井高が、いかにも「これからバンバン絵を描こう!」
という空気を醸し出していて好感が持てます。

その日はどうしたわけか独身男3人と、先輩で計4人。
にわかバチェラーパーティー状態になり、誰もいないことをいいことに
散々騒いだ後、ひとしきり話し込んでいました。

しかしそこは先輩です。この日もやってくれました。
「あ、お前ら二人。当日受付やってな。」
涼しい顔をしてこともなげに言ってくれたのです。
ちなみにこの二人とは、当日スピーチを依頼されている僕と友人です。

こういうことって1週間前なんかに言いませんよね。
でも、何とかするというのが後輩の務めではないでしょうか。
当日はいい笑顔で迎えたいと思います。

さて、今日の作品は『あなたの日本語大丈夫#5』です。
ここしばらく紹介している、挿絵からの書き起こしのシリーズの一枚です。

来週披露宴に出席します

2005年10月14日 | Weblog
問題はスピーチなんです。
中学時代から付き合いのある先輩がこの度めでたくゴールインされるの
ですが、式の2週間前に「スピーチしなさい」って指名されたんです。
それはまあ光栄なんですけど、2週間前はないでしょ?
そう思いませんか。

実はぼくは結婚式なんてほとんど出席したことがなく、
もちろんのことスピーチなんて聞く側です。
そのぼくが、なんと友人と二人のコンビ指名で初スピーチなんです。
なんだか変則的ですよね。
これってつまり、二人だからできることをしなさいってことでしょ?
いきなり上級編ではないでしょうか。

しかし、一度出来上がってしまった先輩後輩の関係は一生ものですよね。
本当に宝です。美しすぎます。
まさかこんな年になって先輩命令が出るなんて、油断していました。

指名されたもう一人はずいぶん張り切って、一夜にして漫才の台本を書い
てきたんです。しかも読んだら面白い。
これはいける!そう思ったんですが、2次会じゃあないんだから普通にし
なさいと、別のところから横槍が入りあえなく没に。

しかし、なぜ先輩は、ぼくともう一人の友人を指名したんだろう。
それが気になります。
何かぼく達に言わせたいことがあるんじゃないか?そんな風にも思うんです。

高だか2,3分のことですが、それに何日頭を抱えていることか。
皆さんは結婚式のスピーチってどうしているんでしょう・・・・

さて今日の作品ですが、『あなたの日本語大丈夫#4』です。
前回紹介した作品と同様、本の挿絵を新たに描き起こしたものです。




シンペー・アフリカヌス

2005年10月11日 | Weblog
久しぶりのブログ。

昨日は10月10日。
神戸での個展が終了しました。
遠くは奈良や、なんと長野県から来てくれた友人もいました。
ほとんどの方とはお会いできなかったのですが、
本当にありがとうございました。

大体、個人で開催する展覧会というと2週間までが相場なもので、
一月というのはさすがに長かったです。
しかも、最近の傾向として、個展の搬入あるいは搬出の日に限って雨。
もちろん今回もビンゴです。
雨の三宮で、黙々と作業をしていました。

さて、今日の作品ですが、
タイトルは「シンペー・アフリカヌス」です。

大阪に「日本話し言葉協会」というNPO団体があります。
その会長である沢昭子さんという方と、パートナーの白石さんという方が、
産経新聞で連載されたコラム記事を集めた著書『あなたの日本語大丈夫』を
昨年出版されました。

そのとき、本に収める挿絵の依頼を受けました。確か20点近く描いたように
記憶しているのですが、完成してから、せっかくだし自分の作品として何点
かモディファイしてみようと思い立ち、改めて彩色した作品として描き上げ
た中の一点です。

さて画面中央にいるのは『シンペー君』という名前のキャラクターです。
その手前にいるアイスクリームみたいなものは『天使』って言います。
羽はないけどいつでもどこからでも現れるいたずら者です。
彼らは『ふわふわ島』という常夏の小さな島に住んでいます。

今シンペー君は、天使たちにアフリカへ行ったときの冒険旅行の物語を人
形劇で演じて見せています。
どんな物語でしょう。でもそれはまた別の物語。また別の機会にお話した
いと思います。


Jobim

2005年10月05日 | Weblog
先日、スパイウェアを退治するソフトでガンガン掃除していたら、どういうわけかgooにアクセスできなくなり、急遽他所からアクセスしています。
直すつもりが壊してしまった、そんなところでしょうか。どうも機械は苦手です。

考えてみれば、僕の家には必要最低限の電化製品しか置いていません。それもほとんどが91年頃に購入したものばかり。やっぱり国産は丈夫です。炊飯器でもまだまだ使えます。

ただ、そのせいでとっても便利そうな新型が出ても買うに買えないわけです。それに、最近の電化製品というのは、僕が住んでいる様な、戦後すぐに建った古く傾いだ家にはどうも似合いません。あれは毎週土曜日に渡辺篤史が探訪するような、モダンな家にこそ似合うのです。

あるいは、パソコンなどが特にそうですが、ニュートラルな色彩で統一された会社のオフィスなどが良く似合うでしょう。

オフィスといえば、今僕が個展をしているビルは本当に古くて、確か築70年以上経っているはずです。旧居留地のアールデコ調のビルのようにはいかないでしょうが、通路でも随分天井が高く、ゆったりとした開放感があります。

ある程度時代をさかのぼると、洋の東西を問わず、公共性の高い建築物、特に寺院などは空間的に無駄の塊と言えるぐらいの余裕があると思うのです。

そして新聞などを読んでいると、最近の建築にはわざと無駄な空間を作ったり、オフィスビルの屋上を農園にして貸し出したりしている所があるそうですね。

やっぱり、人間というのは効率だけを追い求めては生きていけないんだろうなぁ。そう思うわけです。
となると、僕のゆるい感じの絵も、ゆるゆるした感じで割りと良い収まり場所を見つけたな、なんて納得してしまうわけです。

今日の作品タイトルは「Jobim」です。もちろんボサノバの王様?アントニオ・カルロス・ジョビンから頂ました。あの人の音楽も、相当隙間があるんじゃないかと思います。



Otto Bambini

2005年10月02日 | Weblog
この夏イタリアへ行きました。飛行機の中や現地でどうも気になったのが、ヨーロッパの人々のパンの食べ方なんです。

だいたい機内食のパンも固いのが相場だし、イタリアという国も、何故かパンは日本の物のようにしっとりしていません。

で、外国人がどうしているかというと、彼らはロールパンなどあれば、そのお腹に横一直線にナイフを入れ、ちょうどハンバーガーバンズみたいな状態にしたところで、そこにバターなど乗せて挟んだ物を食べるんですね。

自分でもやってみてわかったのですが、そうすると確かにパサパサしたパンでも美味しく食べることができます。

薄切りの食パンで作るサンドウィッチもいいものですが、半分に割った丸パンに冷蔵庫に残っていたハムやら何やら適当に挟んで食べると、バターの塊が口の中でとろけた瞬間に「俺は知ってるぜ」なんて、ちょっとそれっぽい感じがしていいものです。にわかイタリアかぶれですね。

そういうわけで、今日の作品タイトルはイタリア語で「8人の子供たち」です。




庭ということ

2005年10月01日 | Weblog
今朝、実家では父親が大きな鋏を持ち出して、熱心に庭木の手入れをしていました。

別に仕事ではありません。だからひと刈りずつゆっくりと、いろいろな方向から試すがめつしつつのんびりと刈り込んでいい来ます。

時々国道沿いで、市の委託を受けたのでしょう、機械でバシバシと街路樹の剪定をするヘルメット姿の作業員達の姿を見かけますが、それに比べると父の姿はおっとりしたものです。

けれど、なんというかその後姿は充実して見え、まるで庭木と会話でもしているかのように見えます。

ぼくの友人に、もう長いこと、自宅の庭の木だけを描き続けている画家がいるのですが、彼もきっと週末の庭で、思う存分自分だけの時間を過ごしているのだと思います。

この、自分だけの時間というものは、なんというかまったく役に立たないし、株券みたいに何か得なものを生み出すわけでまありません。

でも、こういった時間がなければいかに世の中が殺伐としてくることか・・・やっぱり必要なんだなと、どこかで聞いたようなことを改めて思ってしまうわけです。

さて、今日の作品のタイトルはSome One To Watch Over Me(誰かに見られてる)です。

もちろん頂き物の名前ですが、何でも、ステファン・グラッペリというジャズバイオリンの名手が得意としていた曲だそうです。