HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

沖縄について

2006年07月23日 | Weblog
今月18日から昨日22日まで、2年振りに沖縄を訪れました。
夏に行くのが好きというよりも、ツアー以外で安く行こうと思ったら、バースデー割引で飛行機に安く乗れる今の時期が必然的に選択される。そんな事情もあります。

今回はとにかく最果てに行きたい。そんな想いで、石垣島経由、波照間島に行ってきました。初日石垣島に着いた時に、やっぱりどこかスローモーなところがあるなと思いましたが、波照間島はそのさらに上を行っていました。時間の過ぎる感覚も、海の色も空の色もすべてが濃密です。

ただ、一見の観光客にはそれ以上のことは分かりません。島自体がよそ者相手に成り立っていこうとしているわけではありませんから、よくあるような通り一遍そこでの暮らし振りを教えてくれる何かがあるわけでなし。集落の中を歩くのもどうも気を使うので、一日浜辺で過ごしていたような次第です。

けれど、自分の日常を離れてまったく無責任に遊ぼうだなんて了見で訪れる旅行者には、そんな過ごし方で十分なのではないかと思います。のんびりして静かで良いなぁと思うのは実はこっちだけで、島には島の毎日の暮らしという現実があるわけですから。やっぱり邪魔してはいかん。そんな風に思うわけです。

最後に、帰る間際、石垣島の図書館で少し調べ物をしたのですが、美術でも伝統工芸でも沖縄の文化遺産のようなもののほとんどは、やはり先の戦争で失われていて、系統立てて調査ができていないそうです。
かろうじて、戦前内地に持ち込まれ保存されたものが貴重な研究資料として残っているのみ。それほど寂しい状況なようです。

帰りの機中、岩波文庫の『きけわだつみのこえ』を読みながら、沖縄の文化に触れることの難しさの原因の大きな一端を占める戦争、戦中の凄惨な経験などまるでなかったかのように美しい景色だけを見せてくれた波照間島のことを考え、なんともいえない気持ちで帰ってきました。

ぼくの知人がいつも「すべての武器を花に持ち替えよう(本当は英語です)」と言っているのですが、まさにその通り。ぼくらに必要なものは花なのです。

さて今日の絵です。
雷雲の吹き飛ばされた二人のネズミはいつの間にか、宇宙へと飛び出していました・・・・


歴史を見るということ

2006年07月17日 | Weblog
先日友人と話していたら、彼はどこかで葛飾北斎の展覧会を見たらしく、何故だかずいぶんとがっかりしていました。

どうしてだろうと思ったら、彼いわく、浮世絵の技術力の高さというものは有名だし、どれほどすごいものかと期待して見に行ったのだが、今の印刷技術に慣れた現代人にはずいぶん貧相なものに見えるとのことでした。

例えば色数も少ないし、版の彫り損ねた部分も目に付くし、細部が素晴らしいという割にはそんなに細かい仕事をしているわけではない。そういった内容のことをことを延々話してくれるわけです。

ぼくが北斎を初めてまともに見たときとは随分異なる感想だなと、ちょっと驚いたのですが、彼は印刷技術としての浮世絵を見に行ったわけで、それは仕方がないことかもしれません。

彼の話を聞きながら感じた違和感があって、それをその場で言葉にできなかったのですが、多分、過去のものを見る時にぼく達はそれが過去のものであるということをはっきり自覚して見なければいけないのだと思うのです。

例えばT型フォードという歴史上有名な車があります。あの車と、その生産方式の登場によって、自動車の大衆化が始まったという話を聞いたことがあります。

T型フォードは言ってみれば現在の車社会の原点のような存在だと思うのですが、じゃあその車の性能だけを取り上げて、時速300キロで走る物が当たり前のようにある現代の車と比較してしまったら、どんな名車だってゴミにしか見えないでしょう。

過去の歴史の中で当時どうだったのか、その視点を持たずに過去を眺めると多くのものを見逃してしまうように思うのです。歴史を学ぶということは、偏狭な今の判断基準だけで即断してしまわないよう、考えるためのヒントを得るために学ぶという側面があるように思うのです。それに、過去の積み重ねがあって今があるのだから、その積み重ねを検証する作業は、むしろなされて当然というべきでしょう。

例えば日本では印象派が異常なまでに人気があります。そこまで人気があるのは、何かしら日本人の感性にフィットする部分があるのでしょうし、印象派から得られるものが何かあるからなのだと信じています。しかし印象派が現役だった当時の主流が何だったかといえば、それはいわゆるアカデミーで作り出された作品群であったし、単に作画技術だけ取り上げてみても、アカデミー出身の作家たちは印象派の素人作家に比べれば遥かに真っ当な絵の造り方を知っていたはずです。

では、何故アカデミー出身の作家たちは忘れ去られ、印象派ばかりが語られるのか。ここではぼくの友人が北斎に対して抱いた感想と逆の現象が起こっていますね。

勝手な想像ですが、当時の主人公になり始めていた大衆出身の作家たちが、自分たちにとってリアルなことをリアルな方法で形にしようとしたときに、技術や伝統を二の次にしたような表現をどうしても必要としたのではないかと思うのです。貴族や王族といった階級が歴史の背景に引っ込んでしまった以上、それと共にあったアカデミーが衰えるのもまた必然といえるのではないでしょうか。

そして北斎は、単なる個人的な思い入れで恐縮ですが、本当に死ぬまで描き続けたそのエネルギーに感服します。そしてその作家の意思をきちんと印刷物に置き換えた無数の職人の技術。これは驚嘆に値すると思います。

今の時代の、例えばダイレクトメール印刷などで、こちらの思っている色と出来上がりがまったく違って当たり前という感覚。江戸時代の印刷技術のどこが貧相だというのでしょう。現代の技術のほうが遥かに劣っているようにしか見えません。なんといっても、技術が人間の感性をまったく反映できていないのですから。


展覧会のお知らせ

2006年07月14日 | Weblog
前回のブログでお知らせしました個展が11日から開催中です。

高砂ビル2階 高砂小径(たかさごこみち)
〒660-0033
神戸市中央区江戸町100番町
午前9時から午後7時半頃まで。
この高砂小径ですが、ビルの通路の2箇所を利用したもので、かなりの確立で片方だけ見て帰ってしまう人がいます。これは困ったもんです。

それから以前ポストカード展に参加したということで、ここでご紹介しましたアートカクテルで、現在小さなボックスを借りてポストカードを並べています。内容は神戸の個展に出品している作品を絵葉書に仕立て直したものです。

アートカクテル

住所:大阪市北区中津3-1-24
電話:06-6371-0012
場所:阪急神戸線&宝塚線中津駅左階段下を左へ。
URL: http://www.art-cocktail/index2html

来週は2年ぶりの沖縄旅行です。いつも思うのは普段見ることができない場所へ行ってあわよくば作品のモチーフになるものを・・・などと思ってしまうのですが、結局美しい景色を目の前にしたりすると、その美しさに酔ってしまって、ぜんぜん絵にしようなんて思わなくなるんですね。
不思議なもので、これが美術館なら何が何でもネタをつかんで帰ろうと、かなり冷静に見れてしまうのですが。

さて今回の絵です。
前回の続きで、二人のネズミと小鳥が出会ったのは雷雲でした。あまりにも高く飛んだから、普通なら入ってはいけない領域へと踏み込んでしまったようです。

展覧会のお知らせです

2006年07月03日 | Weblog
さてさて、何を書こうかとぼんやり考え込んでいるうちに7月です。

今月は急遽展覧会が決まりました。
今月11日から一ヶ月間。場所は、去年もお世話になった神戸の高砂ビル2階にある高砂小径です。

内容は、昨年末に私家版で小部数制作した今年のカレンダーのイラストの展覧会です。

〒660-0033
神戸市中央区江戸町100番町

会期中は無休で、朝は9時ごろから、夜は8時過ぎぐらいまで見ることができます。

さて久々の今日の絵ですが、大空に舞い上がった二匹と二羽は、あるものを発見します・・・・

どうなりますやら。