ごく当たり前の話かもしれませんが。
日記にもいろいろあって、日記といいながら、最初っから誰かが読むことを考えていたり、あるいは全くのプライベートであったりと色々です。
インターネットが出現するまでは、自分が書いたものをただそこに放り出しておくだけで、世界中の人間がその気になれば自分の日記を読むことができるなんて状況はなかったと思います。
そんなことを思うと、話はそれるのですが、自分が子供から大人になってきた過程と、家庭用のコンピューターが普及発達していく時期が重なっているので、自分がこんな風な大人になるとは思わなかったなぁと思うと同時に、パソコンとそれを取り巻く状況がこんな風になるなんて思わなかったなぁと、つくづく感心させられます。
話は戻りますが、日記がいわゆる日記帳に書き込まれた時代、それがたとえ交換日記であったとしても、それは秘めた言葉であり、広く誰かに見せるというものではなっかたと思います。もちろん、日記文学とでも言うようなものもいくらでも存在しますが。
そして閉じられたノートの中に隠されたままになる言葉であるならば、それは他人から見て意味の取れない独り言、あるいは覚書のようなものでもよいでしょう。
けれど、その日記がブログというものに姿を変え、誰もが読めるところへ出るようになれば、少なくともそれを出した時点で、筆者には誰かに読ませるという意図がなければならないはずです。
何でこんな事を言い出したのかというと、以前から、作品って誰のために作るんだという話があったから、というか、ことあるごとにその疑問が湧き上がるからです。
ぼくが初学者であったころ、当時の師匠や先輩はみな一様に、作品とは自分のために作るものであり、展覧会も自分が作品を見直すために行うのだということを言っていました。
それから、大学に入ってから初めて作品とは観客の為に作るものであり、展覧会も観客の物なのだという人に出会いました。
それから、つい先だってもう一人そういう発言をする人に出会いました。
音楽でも舞台でも、どれも観客なしには成り立ちえません。それはアートも同じです。ところが意外とそれが理解されていない。僕自身もアメリカで展覧会をして、初めて実感した部分があるぐらいです。
なぜだろうと思ったら、たぶん他人のために作る作品と展覧会では、作家自身がそうおいそれとは満足感を得られないからだと思うのです。
ブログもアートも、本当はそれぞれ言葉や作品を通じて誰かに「こんにちは!」というツールだと思うのですが、多くの場合、自分の内側だけを向いてしまっている。
ただ、ブログは本当に誰かに語りかけるとなると、実はそんなにたくさん話すことなんてないということに思い当たるのです。だからブログは難しい。
お粗末でした
日記にもいろいろあって、日記といいながら、最初っから誰かが読むことを考えていたり、あるいは全くのプライベートであったりと色々です。
インターネットが出現するまでは、自分が書いたものをただそこに放り出しておくだけで、世界中の人間がその気になれば自分の日記を読むことができるなんて状況はなかったと思います。
そんなことを思うと、話はそれるのですが、自分が子供から大人になってきた過程と、家庭用のコンピューターが普及発達していく時期が重なっているので、自分がこんな風な大人になるとは思わなかったなぁと思うと同時に、パソコンとそれを取り巻く状況がこんな風になるなんて思わなかったなぁと、つくづく感心させられます。
話は戻りますが、日記がいわゆる日記帳に書き込まれた時代、それがたとえ交換日記であったとしても、それは秘めた言葉であり、広く誰かに見せるというものではなっかたと思います。もちろん、日記文学とでも言うようなものもいくらでも存在しますが。
そして閉じられたノートの中に隠されたままになる言葉であるならば、それは他人から見て意味の取れない独り言、あるいは覚書のようなものでもよいでしょう。
けれど、その日記がブログというものに姿を変え、誰もが読めるところへ出るようになれば、少なくともそれを出した時点で、筆者には誰かに読ませるという意図がなければならないはずです。
何でこんな事を言い出したのかというと、以前から、作品って誰のために作るんだという話があったから、というか、ことあるごとにその疑問が湧き上がるからです。
ぼくが初学者であったころ、当時の師匠や先輩はみな一様に、作品とは自分のために作るものであり、展覧会も自分が作品を見直すために行うのだということを言っていました。
それから、大学に入ってから初めて作品とは観客の為に作るものであり、展覧会も観客の物なのだという人に出会いました。
それから、つい先だってもう一人そういう発言をする人に出会いました。
音楽でも舞台でも、どれも観客なしには成り立ちえません。それはアートも同じです。ところが意外とそれが理解されていない。僕自身もアメリカで展覧会をして、初めて実感した部分があるぐらいです。
なぜだろうと思ったら、たぶん他人のために作る作品と展覧会では、作家自身がそうおいそれとは満足感を得られないからだと思うのです。
ブログもアートも、本当はそれぞれ言葉や作品を通じて誰かに「こんにちは!」というツールだと思うのですが、多くの場合、自分の内側だけを向いてしまっている。
ただ、ブログは本当に誰かに語りかけるとなると、実はそんなにたくさん話すことなんてないということに思い当たるのです。だからブログは難しい。
お粗末でした