HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

色々と

2006年06月12日 | Weblog
先日、大阪は中津にあるアートカクテルにて開催されたポストカード展が無事終了しました。会場に湿気があったのか、パネルに紐を横に張り、そこに木製のクリップで留めたポストカードは、どれも反りまくりです。よい経験になりました。展覧会というのは、何度やってもなんかありますね・・・・・

最近、松尾芭蕉の『奥の細道』を文庫で読んでいます。最近自分のルーツというものをふと意識した時、実は先祖の名前なんてまったく知らないし、郷土の歴史だって知らない。それにぼくらの文化の根幹になっているであろう古い時代のことなんて、本当に、まったく知らないに等しい事を改めて思い出したのです。

自分という人間は、歴史という大きな木の小枝の先の小さな葉っぱみたいなものです。やはり過去を知らずして今を考えることはできない、心の底からそんな気がしてきたのです。そんなわけで、とるものもとりあえず日本の古典から再入門です。

それではまた。

盗作のこと

2006年06月02日 | Weblog
今回の国画会の先生とイタリアの先生の盗作問題ですが、僕自身は、作家が先達の仕事を真似るという事はいつだってあることだと思います。
実際、芸術は模倣に始まり模倣に終わるようなものともいえますから・・・

男らしくないなと思うのは、日本の先生が、自分の意見をしょっちゅう変えてしまったということ。それからその先生に賞を与えたお役所が、マスコミの熱い報道に慌てて賞を取り消すとか言い出したことです。

まず先生は、本当に自分がパクッて悪いことをしたと思っているなら最初から謝り続けるべきでした。そして、逆に何が悪いねんと思っているならば、「模倣なんて芸術の常套手段です」と開き直るべきでした。

それからお役所ですが、こちらは世間的な名誉である賞を与える権威であって、それが意見を覆してはいけない。絶対に「(たとえ盗作であろうと、)これは一級の名品だし、日本人作家の美的感性が見事に表現されている。受賞は当然のことだ」といい続けなければなりません。もしそうでなければ、盗作であることを見抜けなかった審査員の盆暗振りを自ら認めることになるからです。しかも、ひいてはそんな審査員やお役所を認めている、日本人の品性を落とすことにつながります。

結局は、他人の作品を引っ張り出してきて、それを自らの芸術の血肉にできなかった日本の先生が盆暗なんですけどね。

かつて赤瀬川原平が一万円札を描いて、それが紙幣の偽造に当たるとして裁判になりましたが、今回の件は、もしかすると「オリジナルとは何なのか」とか他人の作品をそっくり真似たポップアートのようなものは、芸術ではないのか?なんてことを考えるちょっとしたきっかけになるかもしれませんね。

しかし今回の報道を見ていて、この盗作がどうのというのは、日本海のガス田の利権問題みたいなもので、残念ながら芸術とはそもそも関係のない話しだなと思いました。

さて今日の絵です。
二人のネズミはどんどん上昇し、ついには木の上に住む小鳥たちと出会いました。