HAZAMAN'S WORLD WEBLOG

自分が描く絵のことや、日々の暮らしの中でふと気付いたことなど・・・・

続いて交流展

2010年04月23日 | Weblog
さて同じく、作家の岩澤さん関係ですが、ハンガリーとの交流展もあるそうです。





会場が2箇所で神戸でもあるそうなので気軽に行けそうです。

昨年岩澤さんに聞いた話では、あちらと日本の物価はかなり違い、ハンガリーから日本に来るにはあちらのお金でかなりの大金が必要らしく、かなり大変なんだそうです。
成功を祈ります


京都のアートフェア

2010年04月23日 | Weblog
最近ホテルでアートフェアを開催するのが多いですね。
京都でもあるようですが、入場料がいるということで、ちょと躊躇しています。
ずっと前から知人とも、美術館だけでなく画廊の個展でも入場料を取ったら良いじゃないかという話をすることもありました。ぼくもそうしたいのは山々ですが、ミヒャエル・エンデが言うように、美という教えにくい、経験する野が一番であるものを伝えるための場所ではお金は取らないほうが良いという意見に賛成です。作品が欲しいとなればさすがにただではあげられませんが・・。

話がそれましたが、作家の岩澤さんがギャラリースズキからアートフェアに出品だそうです。どんな風になるんでしょうね。



女性のこと

2010年04月22日 | Weblog
今朝おかもとかおりの紹介をブログに書いてから出勤しました。
道すがら、いったいいつごろから女性作家の存在がごく当たり前のことになったんだろうと、ぼんやり考えていました。
それで三宮について交差点で信号待ちをしていると米子へ向かう大型バスが来たのですが、運転手が女性だったのです。ちょっと象徴的な光景でした。
考えてみれば女性のタクシードライバーや車掌など、ちょっと前までは存在しなかった人達です。
女性の社会進出なんて言い方をしたしまうとちょっとありきたりなのですが、明らかに男女の差がなくっていますね。
それで今日の止めは、帰り道の電車の吊り広告でした。女性セブンだったと思うのですが、宇宙飛行士の山崎さんの夫の「自分も本当は職場復帰したかった」という手記?を紹介する見出しでした。
確かこの夫婦は旦那さんが家で家事をしているんですよね。

明らかにジェンダーとしての男女というものの差がなくなってきているなということを、なぜか今朝は改めて意識してしまいました。変な話ですが、人間全体が男性性と女性性の統合をし始めているのではないか。そんな風に感じたのです。
先月の展覧会で、結構大勢の人達から、ぼくの作品が女性的でおかもとかおりの作品が男性的だという指摘を受けていて、そういったことがちょっと気になっている時期だったのです。
歴史の本を読んでいると古代は母権的で女性を中心とした世界で、その後世界宗教が生まれる頃には既に男性を中心とした家父長的な世界に変化し、その後は長く男性中心の世界観のまま推移し、20世紀に入ってフェミニズムが生まれて再び女性が力を持つようになったなんて話があったように思うのですが、約40年ほど生きてきて、最近本当に女性のあり方が変わってきたなと感じます。

多分、近い将来もっと女性的なものが見直され完全に男女同権になるのだと思います。そして個人の中にも男性的なものと女性的なものをうまく調和させて生きていくようになるのではないでしょうか。多分そんな世界は今のように競争を強いられる弱肉強食的な世界ではないでしょう。そう信じています。





お知らせ

2010年04月22日 | Weblog
3月の展覧会で一緒に参加した作家が個展を開催します。
東京ですが、周りは国立新美術館などもある場所で、見応えありそうです。
妻によりますと、適当な服装で行くと浮いてしまう町だそうです。(そうだったかな・・・・
ちなみにぼくは自分の休日が休廊とかぶって行くことができません。
もしかしたら、次の3人展の東京初ミーティングかと思いましたが、無理なようです。

クラフト作家のイベントです

2010年04月20日 | Weblog
友人のクラフト作家が面白そうなイベントに参加します。



ちなみに彼女はとある新聞の取材も受けています



クラフト作家の仕事というのは、きわめて精神的なものだと思うのです。
というのも、ついうっかりすると身の回りの日用品なんて「使えりゃええやん」で済ましてしまって、生活という条件さえ満たせばなんだってかまわないとなってしまいがちなのですが、彼らはそのような態度に「待った」をかけます。
これだけ物質的に豊かになってしまうと、その過剰さに飲み込まれて無反応になるか物があることの快適さだけに意識がいってしまいがちですが、クラフト作家はその「物」に心があるかを問いかけます。
それは単なるぼくの思い込みかもしれませんが、今世紀は間違いなく心や精神といった、一歩間違えると限りなく胡散臭いものが価値観の基準になると思います。その時クラフト作家はそれらの見えないものを、作ることを通じて物に落とし込むことができるのではないかと思います。








今月の休日は

2010年04月13日 | Weblog
今月は毎週の休日に美術館等に行っています。非常に勤勉な人間だと自画自賛しています。
けれどもなぜ行くのか。絵を生業としている人間が美術館に行くのは、ネタになりそうな何かを探しに行く、という以外にほとんどないように思います。なんて発言は顰蹙を買いそうですね。。。。

見に行った展覧会は

4月 4日 『絵画の庭』 国立国際美術館
4月11日 『長谷川等伯』京都国立博物館
      『ふたりの かなり小さなかばん展』家次久仁子 能勢マユミ
        oriori手織工房/ギャラリーショップ

4月12日 小川良子展 富二画廊


絵画の庭は正直言ってちょっと理解しがたい展覧会でした。生理的に受け付けない作品があまりにも多くて、ちょうど自分が中高生の頃背伸びをして回りの同世代が聞かないようなニューウェーブやノイズ系の音ばかり聞いていたのを思い出しました。無理しなくて良いのにね。

等伯は東伯本人がかなり無理しているのが辛かったです。黄金の襖絵はどうみてもやらされている感じで、たぶん本当は等伯の守備範囲ではなかったんじゃないのかなんて思ってしまいます。最終展示室の水墨のシリーズを見るとなおさらそう思うわけです。

家次さんですが、ついに小さなかばんは一つ購入しました。繊細です。

小川さんにはお会いできませんでしたがとてもよい作品です。女性的な柔らかさが前面に出ています。
そしてこの女性は、いわゆる社会的役割である「ジェンダー」としての女性ではなく、あくまでも生物的分類である「セックス」としての女性かなと感じました。
自分はまずできない仕事です。

この週末は実家から家族が遊びに来るので、外出はなし。
その訪問に間に合うようガーデン用のテーブルと椅子、パラソルのセットを注文したのですが、果たして間に合うか。他人の展覧会どころではありません。









お宝その2

2010年04月02日 | Weblog
またまた先日ゲットしたお宝の紹介です。
これは展覧会で一緒だったおかもとかおり嬢から、お祝いに頂いた1枚です。



2年前の6人展の時にも出品していて記憶に残っていた作品なので、喜びもひとしおです。
今は自室に飾っています。パソコンのモニターからひょいと顔を上げると目の前に鎮座しているなんて言う、かなり低い位置に掛けてしまいましたが無問題。

この3人展も、次に向けて具体的な目標が欲しいなと思い始めています。1年半後に又3人でと約束しましたが、それぞれ3人の長所を生かしながら、この3人だから出来る他では代替不可能な仕事とは何か。ここは改めて、それぞれが展覧会に何を望むかという事をじっくり話し合ってみたいなと思っています。

もう一つ今回気付いたのは、塚本君が非常に良い流れを作っているという事でした。というのは彼は陶芸教室でスタッフとして働きながら、そこで自分の作品をつくり技術を磨いていっているのですが、それを自分の中にため込むのではなく、教室の生徒さんという一般の人達にフィードバックしているのです。
だから彼は教えるという事を通じて一般社会に上手く参加し、社会と自分の仕事の間に非常に風通しの良い関係を作り上げています。
その関係は、生徒さんが彼よりも年長者ばかりだということもあると思うのですが、僕が勝手にイメージする文化教室の先生とお弟子さんみたいな粘着質な雰囲気とはちょっと違うなと、感心して見ていました。