Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

愛の解体・組立て直しDismantling and Reassembling Love

2019-02-25 | 生き方

人は愛を求める、その代価が何であれ構わない。

Regardless of the effort to find it,

people seek love.

愛があれば、幸せになると信じているようだ。

If they have love,

they believe happiness will follow.

人を愛するより、人から愛されることを望むのは、

その方が楽で責任が少ないからだろう。

People desire to be loved,

which is easier and takes less responsibility

that to love another.


だが、愛ってそんなに万能なのか。

But is love so almighty?

人は愛が何であるか、知っているのだろうか。

Would people know what love is?

愛は何で動かされ、

何が原因で変化し、

どのように消えていくか分かろうとしたのだろうか。

Would they try to know what drives love,

how it changes, and how it disappears?


私は愛を囮のように使う人を信用しない。

I do not trust one who uses love as a lure.

そのような人は愛を語ることによって

得られる結果を打算しているからだ。

Because such person calculates on

obtain advantage by proclaiming love.


人は『愛する』と言われると

言われ続けたいと願うようになる。

When told “I love you”

people wish to hear it constantly.

愛の正体が分からないからこそ

人は愛を語るかも知れない。

People may speak about love

because they can’t identify it.


私は愛が誠の真実か、

偽りの愛かを問題にしているのでない。

I don’t bring this up to figure out

what is true love or fake.

真実の愛は言わば、

果実の木のように、種から育ち、

果実が実るまで何十年もかかる結果のようなものだ。

To speak of a true love is like a result,

such as a tree that grows from seeds

and takes decades to provide fruit. 

偽りの愛は、

どっかで書いてある物語りを

自分のものように借用する盗用行為かも知れない。

A fake love is fraudulent,

like a stolen story,

or a plagiarized research.


私は私個人の愛が何かを証明したいとは思わない。

I rather not prove what kind of love

I individually have.

証明する必要も無ければ、

検証する大前提の仮説さえ無いからだ。

Because there is no reason to verify

nor hypothesis of major premise

requiring proof for my case.


ではなぜ、愛について書いているのか。

Then why am I writing about love?

それは愛が物のように使われて、

欲望を満たすための手段になり、

また物々交換のように市場化されていることを

見るのに嫌気が差したからだ。

It is weariness of seeing love used as an object,

a means to satisfy one’s desire,

feelings marketed like trade bartering.

その嫌気も私個人の感じ方にすぎないのだが…

Such disinclination is

just my own personal way to feel…



思い返すと、私も愛やらに十分に弄ばれた。

In retrospect, I was also well played by such “love”.

単なる好意や好感を愛だと勘違いしたことは散々で、

詐欺の愛に引っかかって被害を受けたこともあった。

I had a great deal of misunderstanding that

mere favorable impressions or friendly feeling

is love and suffered from the fraud of it.

小説やメディアでいう愛の形が格好良く見えて、

私もそのような愛を持てたいと願ったりもした。

Once I even wished to have dramatic love

expressed in novels and media

which seemed to look cool.


だが、そのような外側からの刺激は

一時的には作用できても、長続きはしなかった。

However, such external stimulation

could work temporarily but it did not last long.

そんな感情の嵐のような激しさも今になってみると、

ただの若気の至れり…

Now I think back such emotional storm-like intensity

was forced by my young blood...


もし、誰か愛を求め願望する人がいるのなら、

この過程を試すのはどうだろう:

When seeking love, how about try this steps:

①ただ求める前に求めるものが何であるか明確にする。

Clarify what you want before looking.


②求めて手に入れたら、それをどうするかを決める。

Once finding it, determine what you will do with it.


③どうするかができるようになったら、出る結果に責任を持つ。

If able to handle it, be responsible for the outcome.


④出た結果が自分の望んだものでなくても責任を全うする。

Do fulfill the responsibility

even though the outcome is not what you wished for.


⑤責任を果たせてから残ったことが、自分が取れる正当な愛である。

After fulfilled responsibilities,

what remains is the righteous love which you can take.


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9 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (りひと)
2019-02-26 23:45:36
残った物がっていうのがとても素敵です。
責任も当然生じる。信じ続ける事も必要ですから。
でもその責任がなくなった時、信じ続けるか?は自分次第。自分で選べるはず。そこで愛情があれば信じるけど懲りちゃえばそこにもう愛情はないですね。

残った物が本当の愛情ですよね。差し引き出来るのは愛情ではなく打算が入るでしょうね。
本当深い文章です。

そして本人が嫌な事と思ってもそれを自分への愛情と捉える事が出来るようになったら凄い器が大きくなりますよ。そうするとまたそれを客観的にみている人は
護りますから、打算なく自然に。

打算の護りって結構脆いけど、契約でもなく商売でもなく責任でもない単純な感情での護りって結構強力ですし、同時にみんな同じように思う事ですので凄いパワーになりますよね。
今日本も今までは多数の中の一つの命は仕方ないって思ってたのが、多数であれ一つの命を大事にしないのはどうも見苦しいのでそこの仲間には入りたくないって思えるようになってきてます。
外国では普通の事ですけどね。仕事より家族のが大事で家族を大事にできる仕事を選ぶからこそ幸せな生活と心の安定がある。家族よりも命よりも仕事選んできた人もそれが正解だったか?答え合わせしていますよ、きっと。

ネットでもまさに打算の愛情の数でアピールってそろそろ限界ですよね。その一つの重みが違いますので。
数じゃないんですよね。一つで安心ならそれでいい、数欲しい人は自信がないと逆に見破られちゃう時代になるでしょうね。
返信する
Unknown (榮久)
2019-02-27 04:14:25
あい

会い、合い、逢い、相、間、哀、同音異義語が多い
「あふ」の語源説のひとつに上下の唇が相寄るときの音から出たと

中国から輸入された漢語である「愛」
「源氏物語」や和歌には一例も用いられていない

歴史としては仏教思想の影響下で性愛や本能的な愛情を指し
執着や貪欲として使用されたこともあり
キリシタンの宣教師は
神聖な愛や神の愛を意味させるために
この生々しい仏教思想での「愛」を避けて「御大切」を用いていた

今、日常語として普及している「愛」は
近代中国の「愛」と関わりを持ちながら
西欧から輸入された「愛の言葉」の翻訳や
キリスト教の博愛に相当する言葉の受け皿として
「愛」が活用されるようになってからのことで
まだまだ浅い歴史の言葉

心の台本でも
何か、しっかり身に付いていない言葉の一つとしてあるようだ
返信する
栄久さまへ (桂蓮)
2019-02-27 06:17:12
この『生々しい』愛やらを勝手な思いで書いた理由は
単なる思い付きでした。

書いていた時も気分が悪くて
書いてからも取り下げようかと悩んだりしましたが、
十代や二十代の若者にお節介でもと思い、書きました。

この言い方は私本来の本性に3割ほど反映されたものです。
言いたいことの2割だけ書いたのですが、
言いたい割合が5割超えると、
それは辛辣で、皮肉で
読むのに耐えられないでしょうね。

元々、愛やらの現象にうんざりしているので
言わせるとろくなもんは出ないです。

そうですか、源氏物語では
愛を持ち要っていなかったのでしたか。
愛の言葉の歴史もそう浅かったのでしたね。

それはそれは、その愛という言葉自体が
嫌でしたから、その意味や使われた経歴など
知ろうともしなかったです。

ただ、翻訳の訓練で
通訳の事例とかを勉強していると
その愛やらが常に氾濫して
もう反吐が出るレベルになって
つい愚痴を書いてしまったわけです。

言い訳として、参考にしてくださいね。

それはともかく、
書いてもらった愛の運用、使用例から
仏教の思想が肌に伝わりました。
いかなる知識云々より、強烈ですね。

ありがとうございます。
返信する
残ったもの (りひとさんへ)
2019-02-27 06:34:56
『責任が無くなった時』その後のことに続けて
結論を書こうと実は思ってました。

>単純な感情での護りって結構強力<
この文章は私が書き加えようかなと
思っていたことそのものです。

りひとさんは私が面倒で書いていなかったことを
書いて下さるのですね。

元々、書いておいた記事は
全く別なことですが、
昨日の朝、起きてコーヒーを飲んで
いつものように勉強にとりかかったら、
前回の記事の最後に
Unknownさんが書いた冷血なコメントと
考えてきたことがごちゃごちゃに混沌してきて
えっー書いちゃえーとなったわけです。

そのUnknownさんのコメントに
ダイレクトに反応はしたくなかったので
(消したくもなくて)
じゃーなら新記事であやふやにしようかと。

まあ、書いてみると
原因、結果両方不誠実なものがありますね。

ですが、私が書いたことに
応じて頂いて、書いた涯を感じました。
ありがたく。
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Unknown (ZIP)
2019-02-27 12:00:49
立ち去ろうとして、心が引かれている姿というわけです。
amore 即ち I am more というわけです。
もっと私でいられる為に、ありとあらゆることを望んでいる姿を「愛」というわけです。
押し付けられると当然鬱陶しさを感じずにはいられないですね。
そういう意味では、愛とは関係を定着化させる為の接着剤というわけです。
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Unknown (To zip-san)
2019-02-27 19:27:11
官能的なコメントもできるわけですね、ジップさんは...
コメントの奇才、鬼才、機才かな。

内容が詩的で、哲学基盤の抽象画みたいで
格好いいし。

You are coolですよ。
内側がそうであるなら外面もつれあうだろうと。

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I do not know about love (朱夏)
2019-03-05 16:44:19
There was one stray cat. He was skinny,and sick. I embraced him . I took him to the hospital, washed the dirty blanket and warmed him trembling. Now he is healthy, full, and enjoys . He looks very happy. But I may be more happier than him. He acquired affection.I was able to know what is affection.
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Unknown (To:朱夏)
2019-03-07 05:23:00
Your story made my heart warm up even though I have cat allergy.

My husband Eric, he used to having cats from his childhood.
Before we married he gave his two cats to new owner.

Sometimes when we found someone's cat at our back yard, he says "look! it is like Truman(his ex-cat' name)"
with his emotionally-sad face.

As you said, love and affection should be distinguish from conditional love.


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Unknown (朱夏)
2019-03-07 17:18:01
Oh, cat allergy! I was moved by your husband's deep love. I believe that his cats are loved by new owners as well as you are loved by him.
返信する

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