少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

東方三博士の贈り物

2004-12-26 13:59:32 | 哲学
クリスチャンではないが、せっかくのクリスマスなのでちょっと宗教の話を。

馬小屋でキリストが生まれたとき、当方から三人の博士がやってくる。その時の贈り物が黄金(gold)と乳香(frankincense)そして没薬(myrrh)だった。それぞれには以下のような意味があるという。

黄金はキリストの王権への敬意、乳香はキリストの神性への敬意を象徴し、没薬は、死体の保存に使われていたことから、キリストの死の予兆である。

でも、それって本当だろうか?象徴と言うのは、人それぞれの心の中で結び付けられた2つの事象である。つまり、象徴に本当の正解はない。それは違うって思えばそれは違う。三つの贈り物だって、みんながそういっているからそうなだけであって、必ずしもそうだという必然性はないのだ。

大体なぜ三人の博士は生まれたキリストに会いに行かねばならなかったのだろう。旧約聖書にかいてあったから?でもなぜその三人が?(三人という数は後から付いたお話らしいが)ついでに言うとなぜキリストは男だったんだろう。別に女であったって構わないような気もする。

大体、こういう質問に対する論理的な探求は、奇跡とか予言とかそういう因果律に支配されない出来事によって断ち切られる。別に、そのことに文句を言うつもりもキリスト教にうらみもない。

写真も同じような気がしてきた。作者の意図によって写真は撮られる。それがそのまま見る人に伝わることもあるが、違った風に捉えられる事だってもちろんあるだろう。何せ文字ではなくて絵(というか写真)しかないわけであるから、見る人がどう思うかは、その人の勝手だ。そして、すばらしい写真がなぜ撮られたか、その写真がなぜすばらしいかという議論の果てには、必ずフォトグラファーの天才的なひらめきや神がかった偶然に帰着される。そこには因果律で説明されるようなテクニックは存在しない。

聖書と写真が一緒?クリスチャンのみなさんおこらないでね。

メリークリスマス

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