少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

対立概念の生成と消滅

2022-05-03 19:33:46 | 哲学

レーザーを使ったガス漏れ検知器の製造販売を長くやっている。この機械は、メタンガスに強く吸収される波長の光を使うことによってガスを検知する。そのことはずっと昔から知られていることで特段我々のオリジナルということではない。実はガス検知をするためには、ガスに吸収される光だけではだめで、光に吸収されない光とセットで放射することによってはじめて定量的なガス検知が可能になる。詳しい説明はしないが、ガス検知器として機能するためには、ガスに吸収/非吸収される2種類の光の存在が不可欠なのである。レーザーメタンは、いわば光吸収のコントラストによってメタンガスを検知するのだ。

趣味でやっている無線、最近はカーボン製の釣り竿をアンテナに使うプロジェクトに取り組んでいる。以前は、やってもうまくいかないと誰もが思っていたのだけれど、使ってみるとこれが案外そうでもないことがわかってきた。少し理論的に分析をしてみるとこれがなかなか面白い。こういう新しいプロジェクトに取り組んでいる時には、新しいアンテナでよく電波が飛ぶということをいくら言ってもあまり説得力がない。

「それは、あなたの思い込みじゃないの?」

という声が必ず聞こえてくる。そういう時には、アンテナの条件を変えてうまく電波が飛ばない状態とのコントラストを作るのが一番だ。他のパラメータを全て同じにして、キーになる性能を比較する。ここでもコントラストが大事であり、そういうコントラストがうまく作れるようになると、面白いことに今起こっている現象の背景にある物理的意味が見えてくる。アンテナの話に限らず、技術・科学の探求においては必ずコントラストを作ることが必ず課題になる。逆に言うと、そういうコントラストが今やっているプロジェクトでは明確に意識されているかという問いが大切だ。

こんな風な考えをさらに延長すると、コントラストというのは科学にこだわったことではない事に気が付く。以前から言っているけど、モノクロ写真において写真に意味をもたらすのは白と黒のコントラストだし、文学においては愛と憎しみという2つの軸が中心課題としてとらえられることが多い。それは宗教においても言えることかもしれない。ちょっと興味があって、親鸞の教えについて少し本を読んでいるが、親鸞の思想の中には善と悪という二つの概念があり、その上で人は何が善で何が悪かなどわからないから、とにかく念仏しなさいと説く。

分野に限らず、意味というのはどういうプロセスで生まれてくるのかがだんだん見えてきた気がする。つまり、まずは二つの対立する軸を探す事から始めるのだ。技術的な課題だったり、社会の問題とかなんでもよいのだけれど、その問題を解決する方法や考え方を考える。まあ、ここまでは誰でもやることだ。そこにある程度はっきりしたポジショニングが出来たら、今度はそのコンセプトをま反対に振るのである。そしてその対立軸の中でアイデアを評価することが大事だ。そこに生まれるコントラストが明確になればなるほど、そこに明快な意味が生まれてくるのだ。そして、その意味がはっきりしてきたとき、最初にあった二つの対立は消えていくのだと思う。より高次の概念の前では、二つの対立軸は絶対的な意味を失うのである。

なぜ親鸞が念仏を唱えればよいといったのか、まだ確かにはわからないのだけど、ここで議論した「対立する概念の生成と解消のプロセス」が念仏という行為の中に凝縮されているのではないかと思っている。それは、素粒子の生成と消滅のプロセスにも似ているのかもしれない。


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