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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

禁酒1日目

2015年01月30日 | お酒
先日アップした老舗のレストランで、隣に座ったT先生は昨年の8月に始めた禁酒を依然として継続中でした。
当初は3か月間禁酒すると宣言されたのですが、途中で、医学的には6か月の方が意味があると、延長しておられます。

木曜会の7人の中でも私と双璧をなすような大酒飲みです。
その晩も、来月で6か月ですから、今日は飲みませんと、ひたすらソーダを飲んでおられました。
この数か月間それを目の当たりにしてきた私ですが、少しづT先生に憧れを抱くようになったのです。
そして、私も、3週間の禁酒にチャレンジしようと、タイミングを窺っていました。
禁煙も糖質制限も3週間は禁断症状に苦しめられましたが、それ以降は楽になったからです。

で、一昨日の28日に南部医師会の新年会が終わりました。
つぎの公式な飲み方は2月21日のボウリング大会ですので、今がチャンスです。
早速昨夜から禁酒をスタートさせました。
昨夕、タイミング悪くもT君から勉強会への勧誘を受けましたが、訳を説明して毅然と断りました。

さて、アルコールを摂取せずに、糖質制限も続けるとして、夕食のメニューはどうしようかと考え込んでしまいました。

アルコールも御飯も摂取しないので、刺身は空振りに終わるように思えました。
これまでの、" メインディッシュプラス刺身 " という構図が崩れ去ったのです。
そこで、とりあえず大量に食ってやろうということで、ビーフステーキとチャンポン鍋( 麺抜き ) というヘビーな計画を立てました。
T先生をまねてソーダを飲み続けましたが、すぐに腹が膨れてきて入らなくなります。
しかし、禁断症状はまったくありませんでした。
11時を過ぎても、当たり前ですがシラフですのでジャズを聴く気にもなれません。
シラフのせいかテレビも面白くなく、眠たくなってきました。
私は、これまで、毎晩、限界まで飲んで、バタンキューと寝付いていました。
昨夜は、眠くはあるのですが、シラフですのでバタンキューとはなりません。
自分で自分に、" さあ、眠たいから寝るぞ。 " と言い聞かせました。
そう言えば昔は、こうやって眠る努力をしていたんだと、なんだか懐かしさがこみ上げてきました。
しかし、その、こみ上げてきた懐かしさが災いしたのか、うまく寝付けません。
おそらく寝付くのに10分以上はかかったと思いますが、なんと12時前に眠ってしまいました。
私が12時前に眠るなんて、少なくとも、開業して、この19年間で初めてのことでした。

とにかく、飲まない替わりに、毎晩イベントを作るべきだと考えています。
これまでのボウリングや打ちっぱなしはもちろんですが、映画鑑賞という選択肢もあるようです。
ひたすら本を読む、あるいはブログをアップすることも可能です。
酒が飲めない替わりに、あれもこれもできるぞと、前向きに考えていこうと思います。

平成26年はせがわクリニック忘年会

2014年12月15日 | お酒


12月13日の土曜日に熊本駅隣のホテル・ニュー大谷で開催されました。



これは女性陣との集合写真ですが、後列右側に怪しげな茶髪がいますよね。



そう、女装した卸問屋さんでした。婦長のアイデアだそうですが、よくやりますよね。

二次会には旧婦長も駆けつけてくれました。



左が旧婦長、右が新婦長の川崎です。

それほど荒れることも無く終了することができました。

毎年ですが、この忘年会が終わると、ひと山越えたような気がして、ほっとします。

後は、粛々と新年を迎えるだけです。

竹鶴政孝・ニッカ・フロムザバレル

2014年12月01日 | お酒






テレビの連続ドラマのせいで、ニッカウィスキーがブレイクしているようです。
今日はKONSの吏菜ちゃんにもらった、竹鶴政孝の自叙伝を読みました。

竹鶴政孝は1894年に広島県竹原町で造り酒屋の3男として生まれました。
長男は早稲田大学から商社マンになり、次男は九州大学から北海道石炭汽船のエンジニアになったので、両親は跡取り息子として政孝に期待を寄せ、
今で言う大阪大学工学部の醸造科に進学させました。
卒業後、当時の洋酒のトップメーカーであった摂津酒造 ( 現在の宝酒造 ) に就職します。
そこの社長の計らいで、政孝はスコットランドに留学し、大学の授業だけではなく、各地のウィスキー蒸溜所を訪ね回って、竹鶴ノートを作成しました。
後年、英国のヒース首相は、" 頭の良い日本の青年が、一本の万年筆とノートでウィスキーづくりの秘密を盗んでいった。 " と評しました。

4年間の英国滞在の後に帰国しますが、摂津酒造は不景気に翻弄されており、ウィスキー製造の計画は取締役会で否決されます。
傷心のうちに政孝は摂津酒造を退社します。
そんな政孝を拾って、ウィスキーを造らせたのが赤玉酒造( 現サントリー ) の鳥井信治郎社長でした。
天王山のそばの山崎の地で、政孝は日本初のウィスキーを造り上げます。
入社時の約束通り、10年で政孝はサントリーを円満に退社し、自ら北海道余市でのウィスキーづくりを目指します。
どこまでも品質にこだわり、値段も高く、ピート臭いウィスキーは当初売り上げが伸びませんでしたが、徐々にコアなファンを増やしていきました。
しかし、残念ながら2001年にはアサヒの完全子会社になったようです。

さて私ですが、20代の頃はサントリーのレッドにはじまって、角、オールド、リザーブとジャンプアップしていきました。
ところが27歳のある晩、酔っぱらって立ち寄ったスナックのマスターが、ニッカのフロムザバレルの口を開けて勧めてくれたのです。
ストレートで飲んだのですが、その美味さに圧倒されてしまい、その晩に、ほとんど一人で空けてしまいました。
それから15年間は、自分で買うウィスキーはフロムザバレルだけでした。

ところが、40歳を超えた頃に洋酒が値下がりしてジョニ黒が安くゲットできるようになりました。
そこでジョニ黒に乗り換えて20年になります。

自分の主義主張が定まらぬ若い頃はともかくとして、27歳から15年間同じニッカウィスキーを飲み続け、
そこでジョニ黒に乗り換えて20年間、元に戻ることも無く、それだけを飲み続けるというのは、なんだか、清廉潔白な? 飲酒歴ですよね。

ただ、最近では灰汁 ( アク ) の強い女 ( ラフロイグ ) にちょっかいを出し始めたようです。

サントリーのラフロイグ

2014年11月26日 | お酒


昨夜、街の酒屋にラフロイグを買いに出かけました。
スタンダードな10年物以外にも18年物、クオーターキャスクなどいくつかの種類がありました。
私は迷わずに10年物の、お徳用大瓶1リットルをチョイスしましたが、出費は5380円でした。

帰ってから、ラフロイグについてネットで検索をかけてみました。





スコットランドの北西に位置するアイラ島にラフロイグ蒸溜所はあります。
ラフロイグとはゲール語で、" 広い湾のそばの美しい窪地 " という意味だそうです。
1815年の設立ですから200年の歴史を持つ、由緒ある蒸溜所です。
その歴史の中で所有者は変遷を重ねてきましたが、2014年、すなわち今年、ビーム社をサントリーが買収して
ビームサントリー社と命名しました。
したがって、私たちはサントリーのラフロイグを飲んでいるわけです。

1994年にチャールズ皇太子がラフロイグ蒸溜所を訪れました。
以来、ラフロイグは、モルト蒸溜所としては初めての英国王室御用達となったのです。

英語のキャッチコピーは、" LOVE IT OR ..... "
日本語のそれは、" 好きになるか、嫌いになるか ? " です。

日本流に表現すれば、あくの強いウィスキーでしょうか?
ちなみに、あくは、灰汁と書くようです。
ヨード臭が強く、正露丸の匂いがするという人もいるようです。
罰ゲームとしてストレートの一気飲みを設定すれば、ほとんどの人にかなりのダメージを与えることでしょう。

追記
ネットをを検索したところ、なんとアイラ島のボウモア蒸溜所も1994年にサントリーが買収していました。
ボウモア蒸溜所は潰れかかっていて、製造を止めていたそうですので、良かったですよね。
それにしてもサントリーのスコッチに対する野心とでも言いましょうか、凄いものが有るように思えます。

水割りプラスワン

2014年11月25日 | お酒


先日ハイボールプラスワンを紹介しましたが、自分でも実践してみました。
山崎のハイボールにラフロイグを少量プラス、白州のハイボールにボウモアを少量プラスというやつです。
このラフロイグの美味さに溺れてしまいました。
そう、耽溺してしまったのです。

最近ではジョニ黒の水割りに必ずラフロイグをフロートさせます。
水割りプラスワンと勝手に命名しました。
その美味さには思わずニヤリとさせられてしまいます。
山崎、白州、ジョニ黒の水割りプラスラフロイグはどれも美味なのですが、
私はやはりジョニ黒が好みです。

ラフロイグの香りはヨード臭が強く、その味は薬品のようなのですが、はまると止められません。
臭い食べ物に一旦はまると、一生抜け出せないと言います。
ラフロイグをプラスしないジョニ黒が物足りなく思えるようになってしまいました。

毎晩11時にはテレビを消して、CELESTION社の SL6S から流れてくるJAZZを聴きながら
ジョニ黒プラスラフロイグで深く静かに酩酊していきます。
至福の時間です。

泥酔にワクワク

2014年08月12日 | お酒
昨夜は妹夫婦が来熊したので飲みに出ました。
銀杏北通り三駒ビル地下の酒蔵、" まつとも " を利用しました。
店名は、30代前半の大将の名前が松山智彦であることに由来するというベタな物です。
ジョニ黒の1リットル瓶を持ち込んだのですが、きちんと空けてしまい、前回に飲み残していたジョニ黒300mlも飲んでしまいましたので
一次会で、すでにウィスキー1.3リットルを消費するというハイペースです。
二次会のカラオケスナックでさんざん歌いまくって泥酔しました。
いつものことですが、このメンツで飲むと泥酔は避けられません。

それでも今朝は二日酔いも無く、テキパキと仕事をこなすことが出来ました。
糖質制限のおかげで肝機能が素晴らしく向上していて、半端無くアルコールを代謝してくれるのです。

今夜も同じメンツで飲むことになりそうです。
酒が弱い人には理解できないかもしれませんが、私は今夜も泥酔できるのかと思うとワクワクしてしまうのです。

ピオネ荘

2014年07月26日 | お酒
毎晩ジョニ黒を4分の3くらいは飲んでいます。
1本空けても平気です。
しかし若い頃には自分が大酒飲みになるとは夢にも思いませんでした。

飲み始めたのは高校生の頃です。
私たちの時代の修猷館高校は、煙草だけはダメでしたが、パチンコ、雀荘はOKで、飲酒も黙認されていました。
修猷館から歩いて10分もかからないところに百道海水浴場がありました。
そこに、忘れもしないピオネ荘という海の家が建っていました。
伝統的に体育祭の夜や文化祭の夜は修猷館がピオネ荘を貸し切りにしていました。
打ち上げで酔っぱらって自宅に帰るのは親の叱責を被る危険性がありますので、みんなで泊まり込むのです。

高校3年の体育祭の打ち上げは鮮明に覚えています。
まずは中州のパブのカウンターに10人程で並んで座り、一番安いジンをキープして水割りで飲みました。
飲むといっても高校生ですから、皆チビチビと舐めるだけです。
少々酔っぱらった私は仲のよかった同級生に声をかけました。" 宮崎! 俺はこっちから行く、お前はそっちから来い。 "
二人でカウンターの両側から、同級生の飲みかけのジンを次々に取り上げては一気飲みをし、真ん中で宮崎と握手しました。
そんな調子でしたので、ピオネ荘に引き上げたときはベロベロだったと思います。
それでも、日本酒を冷酒で飲み続け、やがて酒が無くなってしまいました。
私は、今では博多で眼科を開業している大島竜太郎に酒を買いに行こうと提案しました。
二人で西新まで歩き、酒を購入して帰途に就いたのですが、歩いたせいか私が酩酊してしまいました。
人気の無い住宅街の路地で倒れてしまい、身動きがとれなくなってしまったのです。
運の悪いことにはタクシーが通りがかって、クラクションを鳴らすではありませんか。
ところが私には移動する力は残っていませんでした。
大島も一杯一杯で、私を抱えたり引きずったりする力は無かったと思います。
しかし、そこで大島は素晴らしい計画を思いついたのです。
大島は私の体に両手をかけて、丸太のようにコロンコロンと転がし始めたのです。
転がされながら酔っぱらった頭で、私は大島を尊敬してしまいました。
タクシーが通り過ぎた後、大島は一人でピオネ荘に帰り、仲間を引き連れて私を回収に来ました。
なんと、戸板が用意されていたのです。
当たり前ではありますが、戸板で運ばれたのは後にも先にも、その時だけです。
そのまま二階に運ばれて、雑魚寝の布団に寝かしつけられました。

朝方小便に行きたくなって私は目を覚ましました。
しかしトイレは1階です。まだ酔っぱらっている私には階段を下りていく自信がありませんでした。
そこで私は大島に倣って素晴らしい計画を思いつきます。
ピオネ荘は海の家ですから砂浜の上に建てられています。
ですから窓を開けて小便しても、砂地に吸い込まれて何の問題もないと考えたのです。
で、実行したのですが、バランバランと大きな音が発生しました。
砂地では無く、プラスチックが波打ったようなヒサシに小便が降り注いだのです。
その音で同級生が目を覚まし、 " 長谷川がションベンしよる! " と口々に騒ぎました。

この事件は、その後の私の飲んだくれ人生を暗示していたような気がします。
あの時、酒を買い足しに行かなければ、戸板を経験することも無く、もっとまともな人生を歩んでいたかも.....

週に2、3回は飲みに出ます。

2014年02月20日 | お酒
確定申告の時期です。
私は毎日、何を食べたか、どの店に行ったのかをきちんと記録しています。
そこでデータを考察してみました。
昨年、飲みに出たのは144日でした。計算すれば週に2.8日です。
これは、言い換えれば、"週に2、3回は飲みに出ます。"となりますので、結構マトモ?だと思います。

一番足繁く通ったのは、"焼き鳥のたば鳥"で38回ですが、一昨年の80数回から半減しています。
原因は20回の、"ステーキの島崎"、19回の、"焼き肉の大盤振る舞い"が台頭してきたことにあります。

プライベートで支払った総額は300万近くになりますが、すべてを経費で通すのは無理ですので
毎年、自主的に、半額程度しか接待交際費として申告せずに、良心的な納税者とみなされるように心がけています。

今年の12月で開業20周年を迎えますが、税務署が入ったのは、10年程前の1回だけです。
彼らが決して手ぶらでは帰らないことは承知していたのですが、それでも腹が立ちました。
さらに3年前までさかのぼって住民税や保険料の差額支払いが発生しますので、二重に腹が立ちます。

熊本一零細と自負する当クリニックから、わずかな金額を搾り取るのは、費用対効果を考えれば無駄が多すぎると思うのですが.....

平成25年の忘年会

2013年12月15日 | お酒


昨夜はホテル・ニュー大谷で、はせがわクリニックの第18回目となる忘年会を開催しました。
例によって最初は全員が神妙な顔つきで記念写真に収まっています。



少しづつ酔っ払ってきて



この夜は、婦長が暴走してしまいました。
誰彼構わずにチューをし始めて、あげくの果ては女性スタッフ全員にディープキスを強要して回りました。
私は、なんとか被害を免れたと思いますが、定かではありません。

酔いどれた婦長を帰して、二次会はスナック、”安楽”を利用しました。
私は勝手にリクエストされたサザンの、”スキップ・ビート”を歌わされる羽目に陥ってしまいました。
そのせいで、今朝は低音のガラガラ声になっていましたが、それくらいで済んだのですから上の上でしょう。
毎年、はせがわクリニックの忘年会が終わると、年末最大の難関を突破したように思えて、ホッとします。


アルコール性肝機能障害?

2013年12月08日 | お酒


今月の血液データで、糖質制限を始めて以来初の肝機能異常値が出ました。

GOT:44、GPT:45、γ-GTP:52
ALP:124、LDH:199、ChE:278、CPK:138、
総コレステロール:209、中性脂肪:126、悪玉コレステロール:145
尿素窒素:22.2、クレアチニン:0.63、尿酸:3.8、
Na:140、Cl:100、K:4.69、Ca:9.7、血清鉄:76、血糖値:99
白血球:5600、赤血球:476万、ヘマトクリット:45.1 でした。

スーパー糖質制限は続けているし、中性脂肪も正常値ですので、アルコール性でしょう。
最近は、家飲みでも、普通にボトル3/4は空けてしまいます。
下手すると、殆んど1本空けることも珍しくはありません。
その原因は、飲み始める時刻が早すぎることにあります。
ゴルフの練習を昼休みに済ませる日が増えたので、夜は早くから飲めるようになったのです。

昔は、ゴルフ練習から帰って風呂に入ると、8時半を過ぎることが多かったのです。
そこで決意しました。
8時半になるまでは、家飲みを開始しないことを誓います。

ところで、私の行きつけであるディスカウント酒屋は、私のクリニックとは反対側である熊本市東部の郊外にあります。
レシートに千円単位でスタンプを押してもらい、ある程度の点数に達すれば、ウィスキーなどの景品と交換出来ます。
そこで、レシートは全て保管することになります。
今年の分のレシートから、どのくらい購入したかを調べたところ、以下のような結果が出ました。
ジョニ黒700mlボトル:78本
ジョニ黒1000mlボトル:52本
払った金額は2180円×78=170040円と3180円×52=165360円を合わせた335400円でした。
もちろん、他の店で購入することもありますし、患者さん達からの中元は、婦長の喧伝のおかげで、その殆どがジョニ黒です。
335400円を11で割ると3万円です。
概算ですが、毎月3万5000円ぐらいは、家飲みでジョニ黒を消費しているようです。
700mlのボトルに換算すれば16本になります。
毎晩家飲みしたとしてもボトル半分ですか。週に2,3回は外飲みしますので、メチャクチャですよね。

写真はネットで注文したジョニ黒のダース買いです。
夏場は阿蘇でのゴルフ帰りに東部の酒屋でジョニ黒を買って帰ったのですが、寒くなってくると阿蘇には行きません。
そこでネットの安売りに走ったのですが、こんなことをやっている場合ではありませんよね。


酒癖

2013年10月19日 | お酒
金曜日の夜は、はせがわクリニックのスタッフ6名に、私と、さらに意味もなく妹も加わって、8名で、”レンガ亭”に行きました。
みんなで赤ワインを飲みながらステーキのコース料理をいただきました。
長方形の鉄板を全員がコの字形に囲んで座り、シェフが目の前で料理してくれるスタイルです。
私は真ん中辺にすわったのですが、婦長を一番端っこに座らせたのが失敗でした。
酔っぱらたノリでシェフを冷やかし、さらには料理中のシェフの腕をベタベタと触り始めるではありませんか。
私が、”触るなっ!”と叫んでも、どこ吹く風とばかりに止めません。
シェフの顔には汗が浮かびましたが、鉄板の熱さのせいだけでは無かったように思います。

二次会は妹と婦長を連れて3人で、”くれしぇんど”に行きました。
私と同い歳のマスターがピアノを演奏してくれるバーです。
婦長の酒癖の悪さは相変わらずで、泣いたり、怒ったりするのを、私と妹でさんざんケアさせられました。

カウンターにはもう一組客がいました。
そのグループの中年のオバチャンが、支払いを済ませて店を出るときに、婦長の背中越しに叫びました。
”居酒屋じゃ無いんだから!”
婦長の騒がしさにキレてしまったようでした。
私も恐縮して何も言い返せませんでした。

酒癖は一生変わらないと言います。
昨夜は私の、”ソフトドリンク禁止”宣言がもたらした大失敗でした。反省。

いやな予感

2013年08月01日 | お酒
昨夜は7時に、”クラブ春さくら”のMちゃんと待ち合わせて、”居酒屋二貝”で飲み方をスタートしました。
次に”KON’S”にちょっとだけ立ち寄って、8時40分に同伴出勤しました。
実は、先日の木曜会で春さくらを利用したおりに、Y先生と、お互いに同伴出勤で合流する約束を交わしていたのです。
その後、Y先生と、もう一度、”KON’S”に引き返して飲んだのですが、そこらへんから記憶が虫喰い状態です。
そして、今朝目を覚ますと、左の膝を負傷していました。
転倒したような記憶はありませんが、さらにチェックすると左肘にも擦過傷があります。
ズボンもチェックしましたが無傷でした。
ということは、帰宅して着替える時に負傷したのでしょうか。
シーツに血がついていたし、打ちっ放しに行く気になれないくらいの痛みです。

なんだか、このままだと、いつか、とんでもない事件を引き起こしそうな気がします。

貶める、蔑む、貶む

2013年07月02日 | お酒
昨夜は妹とステーキの、”島崎”に行って赤ワインを2本空けました。
妹が、”今回のブログは、私をオトシメルような記事だ。”言ったことから、話題は漢字に入っていきました。
私はオトシメルという漢字を知りませんでした。
知らなくても何とかするのが上級者です。
まずは、毀誉褒貶という4文字熟語に着目して、”貶める”ではないかと提案しました。自信度は80%くらいです。
妹は、”蔑める”を提案しました。携帯で確認したところ私の勝ちでした。
次は、じゃあ、蔑の訓読みは何だろうという問題に移りました。
軽蔑、蔑視、侮蔑くらいしか思いつかず二人ともギブアップしました。
で、今日国語辞典で調べてみようとしたのですが、何で辞書をひけばよいのか分かりません。
その時、ピンときました。”さげすむ”です。
”サゲスム”で辞書をひくと、ピンポン!、”蔑む”でした。
ところが”サゲスム”には、もう一つ漢字があって、それは何と、”貶む”だったのです。
貶と蔑は親戚みたいな漢字なのですね。
なかなか漢字のセンスに富む兄妹だと自慢しておきます。

二次会は、”KON’S”に行きましたが、私はジョニ黒をダブルの水割りで、
妹はシングルの水割りで3杯ずつ飲んだだけで、おとなしく引き上げました。
3連チャン目で、少々疲れが出てきたのかも知れません。

牛飲馬食

2013年06月29日 | お酒
昨夜は妹が帰熊したので、由真の国体出場決定のお祝いも兼ねて、焼き肉屋”大盤振舞”に行きました。
T君と、近所に住むB社のNさんも参加して来ました。
私は例によって、ラム肉2Kgを持ち込みましたが、全員でみごとに完食し、さらには、タンやホルモンやセセリなどを追加注文しました。
飲み物は、ビールで乾杯した後に、前回飲み残したジョニ黒1000ml瓶の半分と、新たに700ml瓶1本を用意したのですが、
これも途中で飲み上げてしまいましたので、それぞれが、焼酎やワインに走る必要に迫られました。
まさに、”牛飲馬食”と表現せざるを得ないような状況でした。

由真ですが、私達と、隣のテーブルの常連客達に、”国体出場オメデトウ!”と拍手されて、照れくさそうでした。
由真と妹に背比べをさせたのですが、由真の勝ちでした。165cmに到達したようです。
体重は、測るまでも無く、妹の圧勝でしょう。

2年前の6月に初めてゴルフに連れて行った時には148cm、38Kgでした。
ここまでは、身長もゴルフスコアの伸びも順調です。

おっさん達の酒盛り

2013年06月21日 | お酒
昨日はこれといった理由も無く、T君と、B社のNさんと、O社の I さんとの4人で、焼き鳥の、”たば鳥”に集まって酒盛りを始めました。
T君は10Kgの減量に成功したとはいえ、181cmで76Kg。
Nさんも6Kg減量したとはいえ178cmで77Kg。
Iさんは183cmで73Kgと、皆、堂々たる体格の中年おっさんです。
その体格の酒飲みおっさん4人が乾杯して飲み始めました。
私が用意したジョニ黒1リットルも順調に空になり、三岳の一升瓶を追加でキープして、全員が気持ちよく酔っぱらいました。
焼き鳥も全員が10数本を食べました。
私もワリカン負けをせずに、最後まで食べきりました。

Nさんは会社の上司と、この、”たば鳥”には何度か来たことがあるそうです。
さらに、この前、私が、”KON’S”に行ったところ、そこに偶然Nさんが居合わせました。
そしてNさんの住まいは尾ノ上で、由真の父親が経営する焼き肉屋、”大盤振る舞い”にも行ったことがあるそうです。
世の中が案外狭いということは承知していましたが、これほどマイナーな店でカブルのは考えられません。
もしかして、Nさんは、見さかい無く様々な店に出入りしているのかも知れません。

最初に、”これといった理由も無く”と書きましたが、撤回します。
理由はちゃんと有りました。
それは、全員が、”すこぶる付きの酒飲みだ”というものです。