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はせがわクリニック奮闘記

糖質制限、湿潤療法で奮闘中です。
パーキンソン病にはグルタチオン点滴を
癌には高濃度ビタミンC点滴も施行中です。

本のタイトル

2013年01月15日 | 読書










今年になって読んだ本ですが、タイトルなのかキャッチコピーなのか分からないような表題ばかりです。
最近の流行なのでしょうが、私はすぐに引っかかるタイプなのかも知れません。
ただ、その中でも”ゴルフに深く悩んだあなたが最後に読むスウィングの5ヵ条”には感心させられました。
ついつい飛び付きたくなるような、秀逸なタイトルです。
このようなタイトルを考え出す作者ならば、内容も期待できるだろうと思って購入しましたが正解でした。
著者は42歳でゴルフを始めたという、プロでもコーチでもない、単なるアマチュアのいわゆる”片手シングル”に過ぎません。
しかし、日本語力には自信を持っており、スイングのコツを、たくみに表現しています。
冒頭のイントロダクションをアップします。

最後に辿り着いたのが、言葉だけによるゴルフスウィングの解析だった。
正しい言葉でスウィングの基本を理解することができれば、いつでも反芻できる。
言葉が頭から身体へと染み込んでいく。


かなりの収穫をゲットできたと思います。
初打ちは今度の日曜日に予定しています。
毎度のことですが、ワクワクします。


僕の死に方

2012年12月29日 | 読書


流通ジャーナリストを自称する金子哲雄氏が、”肺カルチノイド”の末期と宣告されてから、先日の10月に亡くなるまでの500日間を、
殆ど末期状態となった8月頃から回想して書き上げた本で、”エンディングダイアリー”というサブタイトルが付いています。
とにかく、最期の最期まで仕事に全力を注ぎます。仕事に全力を注いでいる時間だけが死を忘れることができるからです。
全力を尽くして死んでいくという密度の高い500日が綴られています。
冒頭の挨拶の部分と最後の終末期の様子とお礼の部分は筆者の奥さんが書かれています。
本人は評論家ですので、文章も抑制が効いてしっかりしているのですが、この奥さんの文章には筆者以上の文学性を感じます。
いったい何者なのでしょうか。
面倒くさいと思われる方は、最後の奥さんが記述された部分を読むだけでもOKかも知れません。


過剰性の経済

2012年11月02日 | 読書


先日のゴルフ旅行の時に妹の旦那(慎ちゃん)からもらった本です。
当初は、なんでこんな本を持ち帰ったのか分からなかったのですが、読むとすぐに理由が判明しました。
面白い本だから慎ちゃんが私に勧めてくれたに違い有りません。
途中から加速度がついて、先ほど、二度読みを完了しました。

自由貿易、自由な市場競争、構造改革、規制緩和、経済のグローバリゼーション化などを私達が疑う余地もなく正しくて良いことだと考えることに警鐘を鳴らしています。
この20年間、日本の政治家もそれらを目指して”失われた20年”を演出してきたと書かれてあります。

この20年間に、中国は安価で豊富な「労働」という生産要素にアドヴァンテージを持っていた。
ロシアやブラジルは「資源」という生産要素にアドヴァンテージを持っていた。
インドは英語や数学的能力にアドヴァンテージを持った知的層を抱えていた。
そしてアメリカはドル通貨の「資本」という生産要素に強力なアドヴァンテージを持っていた。
さらに言えば韓国は、ナショナリズムという国民的結束と学歴エリートという「人的資源」を戦略的に作り出したのである。


つまりグローバリゼーションの中で各国は激しい国家間競争にさらされることになり、そこにははっきりとした国家戦略が必要になったそうなのです。

私には、今われわれが直面している世界経済は、いわば「新帝国主義」というべき状態である。

何の国家戦略も持たずに、アメリカの顔色をうかがいながらTPPに参入しようとする政治家には日本を任せるわけにはいきません。
次の選挙ではTPP反対の政治家に票を投じるつもりです。

注:青字は本の丸写し部分です。

ダブルトーン

2012年10月02日 | 読書


これは面白い!梶尾慎治の作品です。
先日アップした、”アラミタマ奇譚”と同じ作者だとは、とても思えない傑作です。

朝、目覚めてみないと、自分が倦怠期の夫と幼稚園児の娘を持つ、”田村裕美”なのか、それとも、独身でバリバリのキャリアウーマンである
、”中野由巳”なのか分からないという女性が主人公です。
やがて、二人の生きている時代にも2年ほどのズレがあることが判明します。
タイムマシーンでも無く、二重人格などでもない、超常現象なのです。
ネタバレさせるには惜しい作品ですので、これ以上書きませんが、その複雑なストーリの構成力には感心させられてしまいます。
そして、ラブロマンスにもサスペンス作品にも仕上がっています。

梶原慎治に興味が湧いてきました。とりあえずは、映画化された、”黄泉がえり”を読んでみようと思います。

コメント有難うございます。

2012年09月29日 | 読書
昨夜、百合あかりのママからコメントをいただいていました。
一昨日の晩は、酔っ払った足取りで、なんとか百合あかりにたどり着いたそうです。
文学の話で盛り上がったとのことですが、ジュリアン・ソレルがかすかに引っかかるくらいで、殆ど記憶にありません。
もう少し、酩酊していないレベルで再挑戦したいものです。

小学生時代に講談社の、”少年少女世界文学全集”、全50巻を毎月配達してもらうことで、読書の楽しさを覚えた私が、
本格的な文学に触れるようになったのは、中学2年になった頃でした。
オヤジから、出版社は覚えてないのですが、”世界文学全集”全50巻を,お下がりでもらったのがきっかけでした。
漢字も昔の字体で、文章も古い表現が多かったのですが、これが意外と、今、役に立っているのかもしれません。
文章がまとまらない時に利用すると、一応、格好がつくことがあるからです。

まずは、私にとっては最も有名だったトルストイの、”戦争と平和”から読み始めました。
とても面白かったのですが、本の外箱と中身が食い違っていて、実はロマン・ロランの、”ジャン・クリストフ”だったのです。
この間違いが、大成功でした。”戦争と平和”よりも数段面白かったからです。
”ジャン・クリストフ”については、私は高校生の時と、20才の時と、2回も読み直すことになります。
しかも、20才の時は、”魅せられたる魂”との連チャンを4日間でクリアーしました。
部屋に閉じこもって、食パンとグラニュウ糖とコーヒーだけで生活したのです。
当時、私は、最も尊敬されるべき作家はロマン・ロランだろうと思っていましたし、その考えは今も変わりません。

ただし、最も面白かったのはドストエフスキーです。私は邦訳されている作品は、書簡集を除けば、すべて読了しています。
最近でいう、”エンタメ小説”でしょうか、読者サービス満点のストーリーばかりの作品ですので、退屈することはありませんでした。

また、当時の私にとっての官能小説としては、若かりし頃のヘルマン・ヘッセでしょう。
”車輪の下”のエンマ、”知と愛”のユーリエとリディア、いまでも、この名前は、胸キュンを伴って思い出されます。
ある時期以降、ヘッセは、この時代の自分の作品を否定し、ロマン・ロランとの文通で、世界平和を希求していくスタンスをとります。
老年期のエッセーも読みましたが、全く面白くなく、頑固ジジイの世迷言に過ぎないように思われました。

年老いていくにつれ、道徳人へと変化していく症例を多々見うけます。
とても道徳人とは言い難い私は、まだ年老いてないという事なのでしょうか?

アラミタマ奇譚

2012年09月25日 | 読書


作者の梶尾真治は熊本県生まれで熊本市在住の65才です。
91年に、”サラマンダー殲滅”で第12回日本SF大賞を受賞しました。
著書には、”黄泉がえり”、”穂足のチカラ”などがあります。

羽田発熊本空港行きの旅客機が阿蘇山に墜落して、生存者は主人公の知彦ただ一人であり、他の乗客62人は行方不明となります。
そして、知彦の恋人やパイロット、スチュワーデス(CA?)を含む62人は、すべて阿蘇出身者であり、
皆が、とっくの昔に死亡したとされている人々でした。
知彦も生まれは阿蘇です。
阿蘇には先祖代々に引き継がれている62の基(パワースポット?)を守る62の家庭があり、
人々の邪気を吸いこんだ基が荒れ狂う時にはそれを鎮める役割を果たしてきました。
旅客機事故で行方不明になった62名はこの62の家庭に生まれた人達でした。
幽霊のような62名は、、万が一、邪気が膨れ上がって邪魔となり、コントロール不能な状態になった時には合体して、
”鬼”という戦闘群体になるために用意されていたのです。
そして、その合体を完成させて、”鬼”を導く”健般龍命”の役割を担う運命に生まれてきたのが知彦だったのです。
ただし、いったん合体して鬼になってしまうと戻ることはできずに人間としての記憶もすべて失うという設定でした。
したがって、”鬼”を作るということは、知彦にとって、恋人との完全な別れを意味するのです。

まあ、面白いと言える作品でした。
しかし、私にとっては、読むタイミングが悪すぎました。
”クロノスの飛翔”を読んだ直後でしたので、どうしても比べてしまうのです。
文章力、構成力、心理描写など、すべてに於いて中村弦が上回っています。

クロノスの飛翔

2012年09月04日 | 読書


中村弦の最新作です。しかも天使の歩廊やロスト・トレインを凌駕する最高傑作だと思います。
通信技術が発展途上であった昭和30年代までは伝書鳩が実用として使われていました。
東京の大手新聞本社の屋上には必ず鳩舎が設置されており、数十羽のハトが飼育係の手によって日々訓練を受けていました。
作者は参考文献として10冊もの伝書鳩に関する書物を読み上げています。
また、主人公が新聞記者ですので新聞社、新聞記者関係の本も10冊以上読み上げています。
結局、この小説は30を超えるような参考文献によって成り立っているのです。
ストーリーは昭和30年代の昔と東日本大震災が起こって半年も経たないような現代とを複雑に行き来しながら展開されていきます。
作品の後半3分の1は主役であるクロノスという伝書鳩の活躍が続くのですが、感動で目が潤んでしまいました。
小説を読んでこれほど感動させられたことは少なくとも二十才を超えてからは有りません。
作品の終盤では、序盤や中盤でばらまかれていた様々な小ネタが見事に収束していきます。
素晴らしいストーリーテラーだと感心させられます。
私のブログ始まって以来、最高のお奨め作品です。

天使の歩廊

2012年08月21日 | 読書


中村弦のファンタジー小説です。
中村弦は1962年生まれですから、今50歳でしょうか。
国学院大学を卒業後に何をしていたのかは知りませんが、4年前にこの作品でデビューし、日本ファンタジー大賞を獲得しました。
私も4年前に読んで感動したのですが、ふとしたことから今日読み直してしまいました。
明治、大正時代の天才建築家である笠井泉二に関する6つの物語が、時代を前後しながら展開されていきます。
読み直しても充分楽しめますし、この作者に対する興味が益々募ってきます。
2冊目の単行本である”ロスト・トレインも”天使の歩廊”に負けず劣らずで面白い作品でした。
しばらくは中村弦を追いかけてみます。

冥土めぐり

2012年08月20日 | 読書
今回の芥川賞作品を文藝春秋で読みました。
作者である鹿島田真希氏は東京生まれの36歳で、白百合女子大在学中に文藝賞を、その後も三島由紀夫賞や野間文芸新人賞を受賞した経歴があります。
読み始めてすぐに、その文章力と表現の巧みさに感心させられました。
ネタバレを避けるためにストーリーの紹介はしませんが、作者が日本語の表現力を大切にしていることが窺い知れる部分をアップします。
主人公である奈津子の母親は悲しかったエピソードを語る最後を必ず”わあわあ泣いたわ。”で締めくくります。
このことに嫌悪感を抱く奈津子の考えが書いてある部分を抜粋して紹介します。
”自分が受けた仕打ちと不公平が、いかに悲惨で不幸なものか、なんとかして伝えたい。
しかしこの悲劇について表現しうる、持っている言葉が、この、わあわあ、なのだった。
この、わあわあ、という言葉を聞くたびに奈津子は思う。
この人はどんな不幸な目に遭っても、変わることはないだろう、と。
また別の不幸な目に遭ってもわあわあ泣いた、と言い募るのだろう、と。
この人は不憫なぐらい言葉を知らない人間なのだ。”

芥川賞の選評や鹿島田真希へのインタビューも面白く、今月号の文藝春秋はお奨めです。


ある一日

2012年06月19日 | 読書


作者、いしいしんじ氏は1966年生まれで、京都大学の仏文科卒業だそうです。
この作品は今年の2月に単行本として出版されたのですが、今月号の文藝春秋で、エッセイストの平松洋子氏が”傑作”だと筆頭にあげて絶賛していたので購入してみました。

主人公は40歳過ぎの夫婦で、舞台は10月の京都です。妻は臨月のお腹をかかえています。
この小説は死産の既往歴を持つ妻が、こんどこそは五体満足な子供を、自然分娩で出産したいと奮闘する物語です。

物語の前半部分は夫婦で健診のついでに京都を散策して松茸や鱧(はも)を買って帰り、美味しく料理して食べるというだけのストーリーです。
ところが、そこに、さまざまな色付け、膨らまし、妄想、生物学的な神秘などが、これでもか、これでもかというくらいに挿入されてきます。
うんざりさせられました。少しの面白さも感じられません。
たとえば、”ウナギの幼魚はオスもメスもない。成長していくうちオスかメスかなって、
けどまたどっちかからどっちかになったりして、全然安定してないのよ”(本文のまま、京都弁です)
”卵から孵ったら、透明な葉っぱみたいな レプトセファルス ていうものになるんやけど、しばらく成長してからでないと、
これがウナギになるかウツボになうんか、ウミヘビか、それともハモなんか、種の判定がつかへんのや”
衒学的小説というのでしょうか、昔読んだトーマス・マンの魔の山”を思い出しました。

136ページの中編小説ですが、中盤以降は50ページを費やして、延々と陣痛から出産までの”産みの苦しみ”を執拗に書き連ねていきます。
とにかく粘着質な性格なのでしょうが、しつこさ全開で、痛みの質と程度とその変遷を、ただただ時系列で追いかけて行きます。

私は人生で、読み始めた書物を、途中でギブアップしたことが有りません。必ず最後まで読み終えます。
その自慢を続けるだけのために、この作品を読了しました。



時間医学

2012年06月07日 | 読書


読み終えてすぐに、もう一度読み返しました。こういうことは久々です。
作者の大塚邦明は1948年生まれの九大医学部出身で、現在は東京女子医科大医療センターの内科教授です。
”時間生物学”という分野があって、すべての生物は時計遺伝子を持ち、いくつかのリズム、サイクルに合わせて生きているそうです。
たとえば24時間くらいの概日周期(概が付くのは、日光が全く入らない部屋で実験すると、人間は25時間周期になるからです。)
次に90分リズム。これはレム睡眠とノンレム睡眠の周期としてポピュラーとなりつつあります。
その他8時間、12時間のリズムなどが有る訳ですが、そのコントロールタワーは視床下部にあり、これを親時計と呼びます。
時計遺伝子はからだの細胞の一つ一つにもあり、これを子時計と呼びます。
脳にある親時計の指令に従って、からだの中の数十兆の大部分の子時計が回り、快適な生命活動を営んでいるのだそうです。
学術的な記載も多岐にわたり、興味深く面白かったのですが、それとは別に、私はこの作者の文学性に感動してしまいました。
私は文学を、中学校時代のオヤジからのお下がりである世界文学全集でスタートさせています。旧かな使いで漢字も古い字体でした。
この作者も、おそらくは、そのような旧い文学全集でスタートされているように思えます。
なぜならば、懐かしい漢字や、言い回しが多数認められるからです。
それにしても、その文学的知識の豊富さには驚かされます。
引用された書物を列記してみると、ガリバー旅行記、ギリシャ神話、愛と認識との出発、暗夜行路、万葉集、旧約聖書、古代仏教、荘子、老子、オデッセイア、
風の又三郎、ギリシャ哲学(エピクロス)、となります。
とても医学書とは思えませんね。

作者の文学性が、よく窺い知れる、最後の締めくくりの言葉を、少しだけ簡略化してアップします。

右手を傾げて、機敏に勤しむ、奔る姿が美しい、女性がいた。医療過疎の地域に住む人の健康に尽くしたいと言う。
つつましい笑顔が眩ゆい。その熱い言葉が、著者の胸を打った。その言葉が、それからの著者の35年間を支えてきた。
くしくも、マザー・テレサと同じ、八月二十六日生まれの、今も著者の傍らにいるその人に、ここに改めて、感謝の心を注ぎたい。

本屋大賞翻訳部門第一位

2012年06月05日 | 読書


作者フェルディナント・フォン・シラーは1964年生まれですので47歳くらいでしょうか。
1994年からベルリンで刑事事件弁護士としての活動を始め、2009年に処女作として出版したこの作品が45万部のベストセラーとなり、世界32カ国で翻訳されました。

自分が扱ってきた刑事事件の中から11の症例をピックアップして紹介するという体裁です。
文学のジャンルとしてはハードボイルド小説以外の何物でもありません。
抑制の効いた文体で冷静に出来事を羅列していき、所々にアイロニーをちりばめています。
退屈せずに読み終えることができましたし、ベストセラーを記録したことにもうなずけます。

読後感ですが、印象に残ったのは、”ドイツはヤバそうな国だな”というものでした。

2番目の症例にトルコ人街で違法賭博場を数軒経営するポコルという男が登場します。
彼は自分の甲斐性は短気で喧嘩っ早い点だと思っています。
15年前に、ある食堂で食事をした時に、食事代を請求されただけでキレてしまいます。
その店主とは全く面識が無かったにもかかわらず、ポコルは注文した物を壁に投げつけ、車からバットを取り出してきて、
店主の右目と左腎と脾臓を叩きつぶし、残りの人生を車椅子で過ごすことを余儀なくさせてしまいます。
残りの人生と言っても、ポコルに禁固8年の判決が下された日に、地下鉄の階段から車椅子ごと転落して首の骨を折るまでの短いものでしたが。
この事件は街中に知れ渡り、出所後ポコルは食事代を払うことが無くなりました。
トルコ人街という特殊な環境のせいかも知れませんが、日本では考えられません。

ドイツでは毎年2400の殺人事件が発生するそうです。
調べてみると日本では1200から1300件で推移しているそうです。
しかしドイツの人口は8250万人ですので日本の2倍以上となります。
さらに調査の幅を広げてみると、アメリカは日本の10倍チョイで年間17000人が殺されました。(2006年)
最悪はコロンビアの年間3万人チョイですが、日本に換算すると、なんと8万4千400人が殺されることになります。
日本は殺人事件が少ないランキングでは、統計によっても違いますが、殆んどトップに近いと言えます。
統計A: 1.スーダン 2.エジプト 3.日本
統計B: 1.パキスタン 2.カタール 3.ミャンマー 4.キプロス 5.モロッコ 6.日本
イスラム圏は戸籍制度が無い国も多く信用できません。ミャンマーはミエミエの嘘です。
この中でもしかしてそうなのかなと思えるのは、物騒な北キプロスを除外した南キプロスだけのようです。



舟を編む

2012年05月10日 | 読書


本屋大賞なるものが数年前から広く喧伝されるようになりました。
全く興味が無かったのですが、先日、駐車場代を無料にするために、ゴルフ雑誌を購入しようと飛び込んだ書店で、苦し紛れに購入しました。

タイトルは、言葉の海を、沈むことも、迷うことも無く、目的地にたどり着かせるような舟を編纂するという意味です。

辞書を編纂する人々の執念と喜怒哀楽をエンタメ系の配役とストーリー展開で娯しく仕上げています。
主人公は国語オタクで、携帯を持とうとか、彼女を作ろうなどとは全く考えたこともないような青年です。
主人公が住む下宿の大家さんの孫娘がヒロインですが、料理人オタクで、ただただ料理の修業一筋のような生活を送っています。
辞書編集部のスタッフ、顧問も皆オタク系ですが、その中にあって、ただ一人、西岡というチャラオ系のキャラが配置されています。
この西岡の存在が、おとぎ話に終わりかねないようなオタクストーリーを、かろうじてリアリティーのある作品として踏みとどまらせています。
そして、この西岡も結局は、自分に欠けているオタク性を自覚しつつも、辞書の完成をめざしてオタク達を支えていくことになります。

昨夜、テレビで報道番組を観ていると、偶然にもこの作品が紹介されていました。
作者の三浦しおんは女性だったのですね。なんとなく男性とばかり思って読んでいました。
ただ、振り返れば思い当たる節もあります。
自分自身も思いを寄せていたヒロインが主人公と結ばれたことを悟った時の西岡の反応ですが、
”女が重視するのは、自分を一番に大事にしてくれるか否かなのだ。
女にとって男の誠実さとは、自分に対して決して嘘をつかず、自分にだけ優しくしてくれることなのだ。
一見冴えなさそうで、真面目さだけが取り柄で、でもなんかちょっと愛嬌もなきにしもあらずで、
仕事や趣味に熱心に打ち込んでるやつが結局は、もてるんだ。”というものでした。
これは、もう、女の妄想以外の何物でもありませんね。
白馬に乗った王子様と同じようなレベルでしょう。

テレビでインタビュアーがカップルに”彼のどんなところが好きですか?”と質問した時の答えは、ほとんどが”優しいところ”です。
男は、皆、惚れてる女には優しく振舞います。ただし、惚れてる間という期間限定付きです。
女性は、男の優しさに重きを置きすぎる(騙される?)ような気がします。
私自身、どれだけ無駄な優しさを発揮して生きてきたことか。慙愧の念に堪えません。





共食い

2012年03月23日 | 読書
先週、文藝春秋で田中慎弥の上記小説を読みました。
今年の芥川賞受賞作です。
長いセンテンスを多用し、風景描写には現在形を、起こった出来事や感じたことには過去形を用いるという、純文学の古典的なスタイルで書きあげられています。
ストーリーも起承転結があって刺激的で、退屈することも無く読み終えることができました。
しかし、読後感は良くありません。
なんだか共感できないのです。
文学の醍醐味は、自分では整理あるいは表現できない様な心理状態が上手に文章で捌かれているのを読んで ”ああ、確かにそうだ。” とか
 ”そういえばそうだ。” などと共感することにあると思います。
文章力は認めますが、登場人物はみなキャラが立ち過ぎているように思えるのです。
もっと奇想天外な登場人物で固められた小説も多々ありますが、共感できた場合は、それほどキャラは立っているようには感じません。
この作品に対して、私は ”なんか違う” という印象しか持つことができませんでした。
他の作品を読もうという気にもなれません。

今年の芥川賞は二人同時受賞で、もう一作は円城搭の”道化師の蝶”でした。
これは読み終えるのに苦労しました。
カフカを連想させるような、 ”実験的小説” というジャンルなのかも知れませんが、面白さは感じませんでした。

石原慎太郎が今年限りで芥川賞の選考委員を辞めると宣言しました。
理由は既存の作家たちに脅威を抱かせるような作品が出てこないということだそうです。
宣言の際に何故か村上龍の名前をあげて、 ”彼が出てきた時も脅威は感じなかった。” と語りました。
私は最近、文藝春秋の ”オールド・テロリスト” と熊日新聞の ”55歳からのハローライフ” という、どちらも村上龍作品の連載を読んでいます。
しかし、 ”なんか違うなー ” という感覚が、次第に強くなっているような気がします。

コモディティー

2012年03月06日 | 読書


最近読んだ上記写真の本に ”コモディティー”という初めて耳にする単語が出てきましたので紹介します。
コンサイス英和辞典を引くと ”商品、日用品”とあり、”物価”は "commodity price"と表記されるようです。
ところが、経済学用語としては ”スペックが明確に定義できるもの”だそうです。
つまり、材質、重さ、大きさ、数量など、数値や言葉ではっきりと定義できるものは、すべてコモディティーです。
コモディティー商品はどれもスペックは似通っているので、安価であることが購入する際の唯一の目安になります。
つまり、コモディティー商品は買い叩かれていく運命にあるのです。
そしてコモディティーという考え方は人材に対しても適用されつつあります。

この本の著者は京都大学で ”起業論”という講座を担当している、東大卒の准教授です。
受講生では医学部の学生の数が最多だそうです。
つまり、最近の医学生は ”この国では将来、医者になっても、幸せにはなれない。”と感じているようなのです。
普通に卒業しても、医者は田舎に行かない限りは余っており、医者のコモディティー化が進んでいる。
買い叩かれて、勤務医として劣悪な条件の下で働かされ、魔女狩りのような医療訴訟に怯えながら生きていくことを回避する方法を模索しているようなのです。

司法試験改革で毎年の合格者数が増えた弁護士のコモディティー化も進んでいるようです。
以前は司法試験に合格して司法修習を終えた弁護士は、大きな弁護士事務所に居候の弁護士(イソベン)として所属し、とりあえずは食っていけたそうです。
最近ではイソベンも満員で、給料ゼロで事務所の軒先だけを貸してもらうノキベンや、事務所にも入れてもらえず、
必要な時だけ呼び出されるノラベンまで発生しているそうです。

勉強して資格を取ればスペシャリストとして裕福になれるという神話は崩壊しつつあります。
医師、弁護士、会計士、パソコン熟練者、英会話習得、など様々な資格がコモディティー化されてきています。