最近のいじめのニュースは“教師のいじめ”だというから驚く。
私(32歳)が子供の頃は、先生がいじめをするような環境にあっただろうか?
先生の存在はもっと威厳のある、『指導者』というものだったように思う。
中学生の時は私の学年は4クラスあった。
とっても個性のある先生が揃って、4人のうち3人が同じ歳。
そして、初めて受け持ってくれた時その3人は確か31歳だった。
今の私と変わらない。13歳から見ると皆オッサンに見えたのに、
意外と若かったと気づいたのはつい最近。
あの頃、ある意味先生たちはやりたい放題だった。
殴る蹴るは当たり前。
殴られて歯が抜ける者、耳の鼓膜が破れる者…今だったら大騒ぎだろう。
部活をやっていた私は往復ピンタやスリッパピンタ、“ブス”“デブ”“アホ”と
罵声の数々を受けた。
しかし、それがいじめだとも体罰だとも思わなかった。
おかしな話だが、初めて先輩と並んで往復ピンタを受けた時は
“これでメンバーとして認められた”
と嬉しく思ったのを覚えている。
何が変わってしまったのか?
何年か前に同級会で担任が
“あの頃は楽しかった。生徒も生き生きしていた”
と話していた言葉が印象的だった。ちょうど『体罰』ということが頻繁に
取り上げられるようになった頃だ。
児童館で職員が小学生に“机の上に乗って遊ばない”など常識的な事を注意すると
“うるさい”とか“うざい”とか口答えをして聞く耳を持たない姿をよく目にする。
今の子達って、もしかしたら親からも真剣に叱られる事があまりないのでは
ないかと思う。
“真剣に、自分の為を思って怒ってくれている”という愛情を感じ取る力が
不足しているがゆえに先生や周囲の大人の言葉を正面から受け止める事が
出来ないのかも。
私は『教育の基本は家庭』だと思うので、それは親の責任であると思う。
しかし子供側の問題とは別に、生徒に愛情をもって接する事ができる先生が
減ってきているのかも。
自分の子供が学校社会にいる訳ではないので、あくまでも推測でしかないけれど
ニュースで次々に取り上げられる『いじめる教師』の言動を見る限りでは
とても生徒に愛情を注ぐほどの器のある人には思えない。
1人の先生との出逢いが悲しい結末を迎えることもあれば、
たった一人の先生が救いの存在になることもあるのに。
大学進学の時点では教師になろうと思っていた。
でも次第に自信がなくなった。
『生徒1人1人の人生に関わり、方向付けのお手伝いをするなんて
責任重大な事は私にはムリ』
と。
でも、今なら少しは余裕を持って生徒を見ることができるかなぁ。
それなりに歳を取って『個』の存在を受け入れる引出しが昔よりは
増えたように思うから。
これから息子も幼稚園、小学校…と色々な先生に出遭う事だろう。
安倍首相の教育改革の中にも教師の質の向上が謳われているが、
是非、素敵な出逢いが待っている事を願う。
私(32歳)が子供の頃は、先生がいじめをするような環境にあっただろうか?
先生の存在はもっと威厳のある、『指導者』というものだったように思う。
中学生の時は私の学年は4クラスあった。
とっても個性のある先生が揃って、4人のうち3人が同じ歳。
そして、初めて受け持ってくれた時その3人は確か31歳だった。
今の私と変わらない。13歳から見ると皆オッサンに見えたのに、
意外と若かったと気づいたのはつい最近。
あの頃、ある意味先生たちはやりたい放題だった。
殴る蹴るは当たり前。
殴られて歯が抜ける者、耳の鼓膜が破れる者…今だったら大騒ぎだろう。
部活をやっていた私は往復ピンタやスリッパピンタ、“ブス”“デブ”“アホ”と
罵声の数々を受けた。
しかし、それがいじめだとも体罰だとも思わなかった。
おかしな話だが、初めて先輩と並んで往復ピンタを受けた時は
“これでメンバーとして認められた”
と嬉しく思ったのを覚えている。
何が変わってしまったのか?
何年か前に同級会で担任が
“あの頃は楽しかった。生徒も生き生きしていた”
と話していた言葉が印象的だった。ちょうど『体罰』ということが頻繁に
取り上げられるようになった頃だ。
児童館で職員が小学生に“机の上に乗って遊ばない”など常識的な事を注意すると
“うるさい”とか“うざい”とか口答えをして聞く耳を持たない姿をよく目にする。
今の子達って、もしかしたら親からも真剣に叱られる事があまりないのでは
ないかと思う。
“真剣に、自分の為を思って怒ってくれている”という愛情を感じ取る力が
不足しているがゆえに先生や周囲の大人の言葉を正面から受け止める事が
出来ないのかも。
私は『教育の基本は家庭』だと思うので、それは親の責任であると思う。
しかし子供側の問題とは別に、生徒に愛情をもって接する事ができる先生が
減ってきているのかも。
自分の子供が学校社会にいる訳ではないので、あくまでも推測でしかないけれど
ニュースで次々に取り上げられる『いじめる教師』の言動を見る限りでは
とても生徒に愛情を注ぐほどの器のある人には思えない。
1人の先生との出逢いが悲しい結末を迎えることもあれば、
たった一人の先生が救いの存在になることもあるのに。
大学進学の時点では教師になろうと思っていた。
でも次第に自信がなくなった。
『生徒1人1人の人生に関わり、方向付けのお手伝いをするなんて
責任重大な事は私にはムリ』
と。
でも、今なら少しは余裕を持って生徒を見ることができるかなぁ。
それなりに歳を取って『個』の存在を受け入れる引出しが昔よりは
増えたように思うから。
これから息子も幼稚園、小学校…と色々な先生に出遭う事だろう。
安倍首相の教育改革の中にも教師の質の向上が謳われているが、
是非、素敵な出逢いが待っている事を願う。
『ピンタ』なの?『ビンタ』じゃないの??最初まちがいかな~と思ってたけど、全部ピンタになってるから(^o^;長野じゃピンタっていうの?愛媛はビンタっていうのだ(*^_^*)
私も迷っていたのですが…
辞書では“ビンタ”で載っていて『“ピンタ”とも』
とありました。
日本語は難しいですのう。